荒波に揉まれる木の葉のように
 
 War in the Pacific: 1941-1945をいつもの自作ルールでやりました。Y君が日本、私が連合軍です。


 1941年12月、日本は何年も続く日中戦争の行方すら見えぬまま、米英にも戦いを挑むという暴挙に乗り出した。歴史では何の展望も持たず、ただ悲惨な敗北に突き進んだ日本であったが、この世界線では何らかの成算があるのだろうか。

 予定通り資源地帯とホーランディアを押さえた日本は、中国を一撃で屈服させるべく大陸の兵力を倍増し、それを支える兵站網を構築することにした。そして大量の輸送船が中国に向かったが、これを待ち伏せしていた連合軍の潜水艦が二度に渡って船団に損害を与え、日本は予定の戦力を揃えられなかった。
 42年春、日本は不足気味の戦力で山を越え重慶に突入するが、やはり蒋介石を屈服させることはできない。その間にイギリス軍はサイゴンを占領してフィリピンへの連絡線を回復し、日本の占領した資源地帯は孤立してしまった。これにより海南島が危険に晒された日本は、せっかく占領したホーランディアを明け渡し、地上部隊を移送するはめになる。
 夏、日本は本土に動員した部隊でフィリピンを攻撃し、一撃で落としてそれらを中国に転用する作戦を立てたが、思惑通り行かずマニラの戦闘は継続。もちろん中国戦線も膠着状態のままだ。全戦線がカツカツの状態で、日本は1ユニットだけ中国に送り込んだが、次は何とかなるのか。
 秋、日本は三度重慶に必死の攻撃を仕掛けるが、その隙に連合軍は集結した部隊でパレンバンに逆襲。マニラと合わせて3つの大戦闘が巻き起こる。そして日本はようやく重慶を落として中国を降伏させたが、マニラはまたしても落ちず、パレンバンは奪還されてしまった。これから長期に渡る日本の燃料事情悪化が懸念される。連合軍は引き続き上陸艦隊をシンガポール、決戦艦隊を南アフリカに配置した。


 冬、日本はシンガポールの連合軍に対して艦隊決戦を挑むことも考えたが、いくら損傷を与えても空母を撃破できなければ意味が無い。歴史のように無意味な夢を追い求めることはせず、小さくても領域を確保し防衛圏を構築することにする。日本はグアム、ホーランディアを無血占領し、マニラもついに陥落させた。しかしその代償に連合軍はブルネイを攻撃し、そこに駐留する日本艦隊と地上部隊を撃滅した。これを持って連合軍は全艦隊を前線に配備することとし、日本の降伏もそう遠くないものと思われた。
 年が明けて43年春、ヴェンジェンス作戦は発動されず。連合軍は力押しの攻撃を掛けたいところだったが、日本の小さい防衛圏は逆に陸上機の密度を高め、連合軍の今の戦力では、味方機の支援を受けても壁を押し破れそうにない。連合軍は資源の目も悪くこの年の攻撃を諦めた。
 夏、ヴェンジェンス作戦は出ず、今のままでは地上戦力が足りなくて、連合軍はこれ以上の前進が難しい。そこでオーストラリア経由でアメリカと連絡線を繋ぎ、アメリカ陸軍を西方に持ってきた。
 秋、今季も作戦は見送り。連合軍は大きな兵站網で資源を食うこともあり、やはり攻勢が取れない。これだけ航空支援があれば十分だと思っていたが、なおもまだ艦隊を前に押し出すのは早すぎたのか。連合軍は艦隊を一旦南アフリカに再集結させることにした。しかし次も作戦が出なかったら・・
 そして冬、ようやく待ちに待ったヴェンジェンス作戦発動。これでもう一つの日本空母艦隊を撃滅し、決戦戦力を失った日本は、全艦隊を後方に下げるしか無くなった。
 年が明けて44年春、予想以上の損害を出しながら、連合軍はついにマニラを奪還。日本地上部隊にも大分損害を与えており、さすがにここまでくれば、日本本土に侵攻するにしろ海外港湾を全て奪うにしろ、連合軍の未来は明るいだろう。と思っていたらこの隙に日本は隠密上陸部隊を送り出し、上陸部隊を引き抜かれ丁度無防備になっていたセイロンを占領してしまった。連合軍は上陸決行がほんの数日早すぎたのだ。暗雲が立ち込め始める。


 夏、連合軍はセイロンを奪還しつつパラオへ侵攻。攻撃自体は成功したものの、インドへの通商破壊と大規模な作戦で資源を使い切り、前年の予想外の損害もあって、なんとマニラを日本に再占領されてしまった。優勢だったはずなのに、行ったり来たりで一向に進まない連合軍の攻撃。
 秋、もう反撃を受けたりしないよう、連合軍は慎重にマニラを攻撃したが、今度は攻撃が失敗して継続戦闘になってしまった。ただ日本は陸上部隊がかなり減っていて増援が難しく、次には占領できるだろう。
 冬、ここで日本艦隊を完全に殲滅しておけば、次からダブル上陸が簡単になる。連合軍は圧倒的戦力で、日本本土に駐留する残存艦隊を攻撃した。ところが日本の目6、連合軍1。1艦隊だけ取りこぼしてしまった。1つでも残っていると上陸時に捨て身の妨害ができ、上陸戦力を1余計に使わされてしまう。ただマニラは無事陥落させることができた。
 最終年の春、さあ今こそ連合軍猛攻撃の時・・おい、ニミッツとマッカーサー、今喧嘩してる場合じゃねえ!上陸ができなくなった連合軍は仕方なく日本の1艦隊を潰し、溜まっていた損害を回復するだけ。
 夏、今度こそ行くぞ。日本「国体を護持せよ」!日本の地上戦力2倍とか、海南島も台湾も日本が本気で守ってる要所が落とせんぞ。どうするんだ。
 しかしその時ルーズベルトは言った、「硫黄島を取るのだ」。ずっと資源で良い目が出なかった連合軍だったが、ここに来て初めて良い目が出て燃料が十分にあった。連合軍艦隊は日本陸上機の妨害をくぐり抜けて硫黄島に殺到し、目的も分からずこれを占領する。そう、実はこの年の初め、アメリカは早くも原爆を開発していたのだ。そのため春に艦隊を再配置し、手薄だった硫黄島を攻撃する手筈を整えていた。それでももしアメリカが特攻隊攻撃を引いてしまっていたら、原爆は落とせないところだったのだが。結局この世界線でもやはり日本は原爆に焼かれ、敗北を免れることはできなかった。
 日本は十分に考えた策を持って荒海に飛び込んだが、そのうねりは予想を越えて大きかった。そしてそれは連合軍も同じく、予想外の幸運と予想外の不運に翻弄され、勝利を諦める寸前まで追い詰められた。戦争というものは始めたら最後、明るい見通しなどすぐに消え、誰もが苦難の荒波に揉まれる木の葉となってしまうものなのだ。


 このゲームでは、日本の中国攻略が遅れシンガポールを占領できなかったとしても、それでいきなりゲームが終わる訳ではなく、日本がきちんとした防衛作戦を立てれば、まだまだ勝てる可能性があります。また日本が的確に守っていれば、ハワイから日本へ一本道の力押しだけで連合軍が勝つのは難しく、西から東から遠くから近くから、状況に応じて適切な攻撃・兵站計画を立てなければなりません。
 どちらも選択肢が多く、片方が攻勢に出ると相手にカウンターの余地が生まれることから、チェスや将棋のような深い読み合いが生まれます。特に両者の今できうる作戦と残り資源の状況をよく読んで、1ポイントずつ資源を刻んでいき、最善のタイミングが来た時に初めて作戦を始めるというのは、他ではなかなか無い高いゲーム性となっています。この難しい駆け引きに神経をすり減らすような感覚は、この戦争での両者の苦難を表しているかのようです。
 
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