The Campaigns of Frederick The Great 自作ルール
 
 フリードリヒ大王のゲームとしては、SPI/AH/HJのFrederick The Greatが良く知られています。これは簡単な割に良くできたゲームですが、簡単な分不満な点も少なくありません。
 まず最大の問題は戦闘ルールです。兵力が少なく「ても」大王が勝てたことを表そうとするあまり、大王は兵力が少なけれは少ない「ほど」強くなっていて、10戦力まで下がると、相手が4倍以上いない限り(オーバーランされない限り)負けることはないという、変なシステムになっています。歴史上大王が破ったのは、せいぜい2倍程度なのにです。
 そのため大王と戦闘をするのはかなり無謀で、オーストリア軍は山地に隠れて支配地域で補給線を妨害し撤退させるといった戦術が主になります。歴史において、片方が相手を攻撃しようと近づくと、相手が戦わずに退却するといったことはよく起こりました。しかしSPIのFrederick The Greatは、これと本質的に全く異なるものになってしまっています。
 これに対してThe Campaigns of Frederick The Great(3W)(以下Campaigns)の戦闘は、兵の参加率等のルールを使い、理にかなったものになっています。フリードリヒ大王が倍する敵を破り得たことが再現できると同時に、兵力の優越による有利も反映されていているのです。
 さらに戦闘が、軍のモラルや行軍の疲労等、様々な要素に左右されるようになっています。そのため少しでも有利な状況で戦おうとして、一旦戦闘を避けて体勢を整えてから攻撃したり、決定的な有利が得られないため睨み合いながら右往左往する等の歴史上よく見られた光景が、Campaignsでは見事に再現されています。

 オーストリアのダウン元帥は、1757年コリン、翌58年ホホキルヒと続けてフリードリヒ大王を破り、60年にはトルガウでほぼ同戦力を持って戦い、負傷のため惜しくも撤退はしたものの、大王に倍近い損害を与えて実質的な勝利を得るなど、フリードリヒ大王最大のライバルとして活躍した将軍です。
 それに比べると同じオーストリアのラウドン将軍の目立った勝利と言えば、59年にロシアの名将ソルティコフ伯爵の軍主体で一緒に戦って勝ったクネルスドルフの戦いくらいしかありません。
 ところがSPIのFrederick The Greatでは、ダウン元帥よりラウドン将軍の方が高く評価されており、釈然としませんでした。Campaignsではちゃんとダウン元帥の方が優秀になっており、この不満も解消されています。

 その他にも、
・行動能力の差を表し、かつ運次第にならない斬新なチット活性化ルールや、リアクション
・現地調達だったという事実が正しく反映された補給ルール
・それぞれに異なる戦略を要求されるシナリオ
・大王に強行軍時の暴走癖が無い
等、CampaignsはSPIのFrederick The Greatを完全に越える傑作となっています。
 もちろんCampaignsをオリジナルルールそのままでプレイしても、大きな問題はありません。しかしさらにプレイアビリティを高め、バランスをシビアにして、より快適にこの優れたゲームに没頭できるように考えたのが以下のルールです。



1.補充のサイは振らず、偶数ターンに自動的に1戦力を受け取る。

 このサイ振りの手間を省き、期待値で同じになる固定補充を与えることにします。必ず同時になることで、少しとはいえ、相手が補充の置き場所を考えている間待つ時間も無くなります。



2.戦闘で補給消費のサイは振らず、自動的に1消費する。また包囲開始時にも補給を1消費する。

 補給は余裕がありすぎるので、余計なサイ振りを省くとともに、補給の消費量を増やします。
 また包囲戦をめぐる駆け引きが、より微妙になります。



3.移動力は表を使わず、サイ1個の出た目を移動力とする。通常移動では以下の修正を使う。

+# 指揮能力
−1 自国や同盟国の外にいる
−1 士気喪失
−1 同じコマンドに同じ場所から2番目以降に動くリーダーごとに
(イラータ通り同時移動の時は最も不利な修正を適用する。例 3人同時なら−2)
(3人を越えて同時に移動するリーダーの修正ルールは無視)

強行軍ではサイの目修正はないが、以下の目で損耗を被る。

5:5%
6:10%

 SPIのFrederick The Greatでは、大雑把な移動力決定法だったものを、Campaignsでは状況による修正を加えてサイを振り、逐一表を見て決定するようにしました。
 しかし一人の移動ごとに、表を参照したり、出発地の戦力を数え直したりするのは、少し煩雑です。そこで両ゲームの長所を合わせました。



4.士気喪失からの回復は、自国補給基地(同盟国は不可)でしか行えない。
 士気喪失した部隊は包囲を行えない。また移動・退却は自国補給基地(無い場合は自国盤端)に近づくようにしか行えず、敵部隊のいるヘクスには入れない。

 SPIのFrederick The Greatでは、反プロイセン側が戦闘で負けると、回復に時間が掛かることが多く、それだけで実質勝負がついてしまうことも少なくありませんでした。
 Campaignsはこれを改良しようとしたようですが、今度は余りに簡単に回復できすぎてしまい、大王が各個撃破で苦境を切り抜けるなど、夢のまた夢になってしまいました。そのためシナリオによっては、プロイセンが苦し過ぎることがあります。
 例えば1761年シナリオでは、オーストリアが歴史上活発でなかった事を表そうとしたのか、オーストリアの補給基地がありません。しかし実際には補給は同盟国からもらうことができ、むしろ守るものが無いオーストリア軍は、手のつけられないほど活発に活動できてしまいます。
 また歴史上1758年のツォルンドルフの戦いで破れたロシア軍は、その年そのまま引き揚げてしまいましたが、このゲームでは負けても繰り返し回復して襲って来ます。
 これらの点を改良するのがこのルールで、敵地に侵入して破れた軍は、回復に時間が掛かるようになります。特に補給基地を持たない国は、回復が一切できなくなるので、慎重になるか、負けた時に無力化する危険を犯すことになります。



5.1対1以上の戦力があれば包囲を行える。ただし2対1未満の時は、Breachに以下の修正がつき、Honors of Warは自動的にHの結果となる。
+1 2対1未満、3対2以上
+2 3対2未満、1対1以上

 戦力が少しでも足りないと、いきなり効果無しというのは、ちょっと極端です。兵力に余裕のある反プロイセン陣営は、篭城によってプロイセンの侵攻を簡単に防げすぎることがあります。
 実際に1757年チャールズがプラハで包囲された時、プロイセンは2倍もいませんでしたが、もう少しで陥落するところでした。



6.包囲中の要塞、砦、都市への出入りはできない。内部の軍が外部の敵を攻撃することはできるが、退却するときは内部に戻らなければならない。

 当然の規定ですが、ルールブックに見あたりません。



7.戦力等は常に公開する。

 いろいろ調べてみましたが、この時代だけ異常に敵戦力の偵察が困難だったなどの事情は見つかりません。それどころか自軍の兵力を誇示して、敵を威嚇することさえよくあったようです。
 敵が千人なのか十万人なのか、戦ってみるまでわからないとか、シナリオカードの内容をより多く憶えている方が有利だなどというのは、どう考えても変です。
 SPIのFrederick The Greatの、オーバーランができるかどうかで天と地の差がある博打システムでは、敵戦力が判ったらゲームが成り立たず、戦力秘匿ルールが必要だったかもしれません。
 しかしCampaignsの完成された戦闘システムでは、そのようなルールを引き継ぐ必要はありません。戦力公開の方がより的確な状況判断を要求され、ゲーム性も高まります。(注 ここで言うゲーム性とは戦略性、競技性、先を読む面白さといった意味であり、イベント性、運不運に翻弄される楽しみ、しょっちゅう起きる大逆転等の意味ではありません。)



8.シナリオ2
 Charles,Browne,Darenburg(初期配置を2025に変更)は常に一緒に移動しなければならない。

 1757年は、絶望的な状況の大王が、チャールズ坊やの無能さで救われた年です。しかしゲームではチャールズの指揮を逃れて、ブラウン元帥が主力を率いるでしょう。それでは大王は手も足もでません。
 この年の大王は、ロシアやフランスの思わぬ進撃停止にも救われています。しかしそこまでルールにしてしまうと、大王の苦境を実感できなくなったり、知るはずの無い未来を知った上で行動することになってしまうので、そのようなルールは付けませんでした。
 そのためこの自作ルールを使ってもなお、歴史通りの戦略ではプロイセン側はまず勝てないでしょう。歴史にとらわれない戦略を考えてください。



9.キャンペーンシナリオ
 最上位のリーダーは40、それ以外は20までしか戦力を割り振れない。
 補給の購入コストは2資源ポイントとする。

 キャンペーンはまだやったことがないので、現時点で気づいた点だけです。
 元のルールでは、最高のリーダーに大半の戦力を集めることになってしまうでしょう。また補給が多くなりすぎます。
 
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