◆ 第2話 ◆  朝のひとコマ





 株式会社LSBの朝は、毎日穏やかに、且つ、これ以上ないほど爽やかに始まる。



 株式会社LSBの、穏やかで爽やかな朝。その裏には、ある男の日々欠かすことのない努力があった。





 今朝も東京の空はからりと晴れ上がった。

 まだ喧騒も遠い早朝のうちに、受付嬢たる森岡はすばらしい目覚めの時を迎えた。気分は最高、体調も万全。これで今日一日楽しく過ごせるとばかりに飛び起きる。

 しかし、森岡の出社時間は、他の社員の9時より少し早い8時40分。諸事情により彼が個人的に設定した目標タイムは、更に少し早い8時15分である。



 そのためにしては、5時起きは早いだろう。



 しかし、これは必要なことだった。

 森岡の朝のうち、大半の時間は入念な柔軟体操に費やされるのだから。その所要時間、平均して1時間12分37秒。ちなみに誤差はプラスマイナス3.8秒。
 しかもその前にまず、ゆっくり朝風呂。これも所要時間の平均は58分14秒。それから、温まった身体を更にゆっくり解すのだ。そりゃあ5時起きでもやっと間に合うくらいであろう。
 その後、本日の「制服」を選ぶ。本来、LSBに制服はないのだが、森岡は自前で毎日少しずつ違う「制服」を持参する。そのほころびや汚れなどをきっちりチェックした後、身支度を整えてようやく出勤、となるのだ。ちなみにこの身支度のうち最も時間をかけるのは、言うまでもなくヘアメイクである。

 と、まぁそんな調子で森岡は他の社員の誰よりも早く出社し、社員全員を爽やかにお出迎えするべく会社でもう一度メイクを整え直して、いざ定位置へ――。





 というのが、3ヶ月前までの朝の日課だった。
 だったのだが。



「あ、森岡さん、おはようございます!」



 この日も、森岡の日課はくじかれた。場所は会社の正面入口前。

 超爽やかな笑顔を朝日にきらめかせる相手の名は、河村隆一。

 森岡の朝のパターンを知った社長から会社のほとんどの鍵を任された森岡が出社しなければ、社内には誰も入れない。そうと知っているはずなのに、河村は派遣社員として来た初日から、来る日も来る日も森岡より早く入口にいた。
 それも、初日からの3ヶ月ほどは入口前で本なんか広げながら森岡の出社を待っていたのだが、最近3ヶ月は違っていた。



 森岡が預かったものと同じ、入口の鍵を、いつのまにか河村が入手していたのだ。

 よって河村は、今や森岡よりも早く社内にいる。しかも毎日必ず確実に。ただし、持っているのは入口の鍵だけのようで、その先まで進んでいることは絶対にないのだが。

「おはよう、隆一くん」

 今朝も負けた、と悔しさを噛み締めていることなど微塵も気づかせない完璧な笑顔で、森岡は挨拶を返した。それから、河村が持っていないらしいロッカールームへの鍵を開け、河村と一緒に中へ入る。

 ロッカールームでの日課もある。盛岡は手早く自分のロッカーに本日の「制服」以外の荷物をしまい、ロッカーに常備してある化粧品を取り出してメイク直しを始める。

 対して、河村はいつもスーツで出社するため、ロッカールームにはあまり長居はしない。が、今日は珍しく、コンビニのビニール袋を取り出した。ロッカールームで朝食をとるつもりらしい。

 決して超健康的とは言い難い量とメニューながら、河村はなんとも美味しそうに黙々と食べ続けている。ちなみにそのメニューとは、菓子パン1個とミニサイズのサラダ、カロリーメイトに栄養ドリンク。

 化粧直しを終えた森岡は、思い切って河村に声をかけた。挨拶以外で話すのは、実は初めてだったりする。

「それにしても、毎日早いよね。僕より早い人なんて入社以来誰一人としていなかったのに」

 若干の嫌味も込めてそう言うと、河村はにっこりと笑みを浮かべて顔を上げた。



「ああ、実は僕、朝が早いんじゃないんですよ」



 森岡はその意味をつかみ損ねて、河村とじっと見つめ合ってしまった。
 そんな森岡の視線をどう読んだのか、河村はこう続けた。



「毎日ほぼ徹夜なんです。いやー、そろそろ身体が参っちゃいそうなんだけど、やめられないんですよねー」

 そう言ってからからと笑う河村の、夜から朝にかけての過ごし方をあれこれと想像してしまって、森岡はぷるぷると頭を振った。夜遊びしまくってるんだろうかとか、パチンコやゲーセンに入り浸ってるのかとか、夜は夜でどこかでバイトとか、いろいろなパターンが思い浮かんでは消えていく。しかしそんなのは、本人に聞いてみるのが一番の近道なのだ。

「徹夜って、徹夜してなにをしてるの?」

 河村はほんの少し悪戯な光を混ぜた瞳で森岡を見上げ、笑った。



「サーフィンしに行くんです!」



 曰く、会社から帰ったあと、ほんの少しの仮眠を取り、夜中に出発して海に行き、朝日が昇る前から波乗り、というパターンなのだそうで。

 森岡は思わず、がっくりとその場に膝をつきそうになった。あまりに予想外のことを言われたので、どう反応したらいいのか分からないのだ。

 しかし、そんなことで動揺している場合ではなかった。



「ところで森岡さん、時間、大丈夫ですか?」



 話しながらも食事を終えた河村が、ゴミを片付けながら言った。森岡が慌てて時計を確認すると、時刻は既に8時半近い。あと15分もすれば、遅刻などしたこともない真面目な社員が出社してきてしまう。

 森岡はさっと頭を切り換えて、本日の「制服」を手に取った。
 ちなみにそれは。





 ラメ入り・シルバー基調の、全身タイツである。





「森岡さん、今日の制服も素敵ですね」

 手早く着替える森岡に、河村が言った。
 森岡は嬉しそうに笑って、ウィンク付きでキスをひとつ投げると、意気揚々と受付へ向かった。

 河村の言葉が100%お世辞だったとしても、内心でどう思っているのかまったく伺い知れなくても、森岡は満足だった。
 そして、この3ヶ月というもの毎日負け続けたことなど水に流して、河村にちょっと好感を抱いてもいた。

 受付に入る手前で立ち止まり、最後のストレッチ。そして森岡は、定位置についた。





 こうして、株式会社LSBの朝は、いつものように始まるのだった。

 

 

 

壁紙がアホ且つ目に痛い柄で申し訳ない。