◆ 第3話 ◆  製作部の日常





 製作部長・今井寿は、彼を冷静に観察できる人間曰く、「気まぐれ」だそうである。



「J、ソフトクリーム食べたい。買ってきて」



 そう、人が今井を「気まぐれ」だと思うのは、こんな要求が何の前触れもなく唐突に出された時なのだ。

 確かに、外は暑い。まして常時重役出勤の今井が顔を出す頃には、既に外気温は軽く30度を超え、何もしなくてもじわじわと汗が滲んできてしまう。夜になっても大気は頑固に熱を保つため、冷たいものを食べ過ぎ・飲み過ぎで腹を壊したり、エアコンで冷やし過ぎて風邪をひく者も少なくない。
 そんな暑い最中、ソフトクリームという選択肢はまぁ間違ってはいない。熱々のおでんとか言われるよりよほど納得がいく。

 が、しかし。
 一応就業時間中の社内で、部下相手にそんな命令をあっさり下してしまう製作部長は、どう考えても謎だった。
 ところが。

「はい! 今井さん、味、何にします?」

 製作部係長・小野瀬は勢いよく立ち上がると、チェーンをつけた財布の小銭入れをデスク上にひっくり返して中身をぶちまけながら今井に尋ねた。今井の命令の唐突さやその内容に、微塵の疑問も感じていない顔である。

「ふつーの」

 今井の返答はずいぶん適当である。ふつーと言っても、店頭でそう素っ頓狂な味のソフトクリームなんてあまり売っていない。バニラとイチゴに抹茶辺りが妥当な線か。

「わかりました、すぐ買ってきます!」

 しかし小野瀬はまたもまったく疑問を抱いていない顔で、デスクにぶちまけた小銭のうちの二枚をつまむと、猛然と駆け出した。
 さすがサッカー好きだけあって、目の前にボールならぬ大事な使命を置かれたら後ろも見ずに猛スピードで走るのが癖らしい。

「Jさん、どこ行ったんすか?」

 
ASAKIが何やらこまごましたものをいじっていたデスクからようやく顔を上げて、今井に問う。

「ただのおつかい」

 今井の答えは答えになっていなかったが、
ASAKIはそれで納得した。そしてまた手元のよくわからない作業に戻る。
 
ASAKIは前夜も飲みに行く今井に付き合わされ、明け方近くまで飲んでいたというのに、重役出勤当たり前の今井と違って朝は頑張って定時に出勤したのだ。寝不足と二日酔いで酷い顔だったが、作業に没頭するASAKIの横顔は少なくとも眠そうではなかった。





 数分後、盛大な足音が製作部のデスクめがけて猛スピードで近づいてきた。

「……あれってバカだよな」

 今井がぼそっと呟いた。

「……今井さん確か、ソフトクリームって言いませんでしたっけ?」

 
ASAKIが信じられないといった顔で呟き返す。
 そして、小野瀬は現れた。



 溶けて既に流れ落ち始めてさえいる、バニラソフトクリームを大事に掲げて。



「今井さん、お待たせしました!」

 バカである。
 小野瀬はソフトクリームを持って全力疾走したらしい。そりゃ短時間で勢いよく溶けて当たり前である。
 床にぼたぼたとバニラの水滴を落としながら、小野瀬は急いで今井にソフトクリームを差し出した。反対の手はしっかりと握り締めている。どうやら釣り銭がそこにあるらしい。

 今井はデスク上のティッシュを数枚取ると、落ちるソフトクリームを受けるために自分の前に敷いてから、ようやくソフトクリームを受け取った。既にコーンの端もかなりやばいことになっている。これは大急ぎで食べてしまわないと、デスク上も大変な事態になってしまうだろう。

「J。これ、どこの?」

 今井は、一口舐めるとそう聞いた。

「そこのマ○クです」

 確かに会社の窓から見える場所に、マクド○ルドがある。

「これ、いくら?」

 今井は更に聞いた。いつの間にか気を利かせて給湯室へ行っていたらしい
ASAKIが差し出すスプーンを受け取り、それで溶けかけのソフトクリームを豪快にすくって食べながら。
 
余談だがASAKIは、Jのためにはほとんど動かないが、今井のためならいくらでも動く男である。

「105円ですけど」

 だから持っていった小銭が二枚だけだったのだ。なるほど、と頷いて、今井は溶け落ち続けるソフトクリームと格闘しながら、Jに再び命じた。



「今度行く時はミニス○ップのハロハロにして」



 今井の趣味も謎である。ちなみに会社から一番近いミニ○トップは徒歩だと10分ほどかかってしまう。だがJは、了解しました、と言って笑った。

 そのJに、もう一つ命令が下された。



「それと、床にこぼれたのはお前が全部掃除しろよ」



 かくして小野瀬は、雑巾とバケツを手に奮闘することになった。
 そしてその姿を、庶務課のデスクから井上がヒマそうに見ていた。

 

 

 

このネタで製作部を書くと決定した後、
Jと同じ素でやってるおばちゃんを見かけました。
人を避けながら懸命に走るおばちゃん、止めたかった…