HAPPY BIRTHDAY






 9月29日。
 言わずと知れたINORANの誕生日。
 Jは毎年、その日がどんなに忙しくても、ちゃんと祝ってくれる。
 プレゼントがなかったこともあるし、互いに顔を合わせられないくらい忙しくて電話一本で済まされたこともある。
 けれど、それでもINORANは嬉しかったし、お返しの意味も込めて翌年のJの誕生日をちゃんと祝ってきた。
 それもやっぱり、プレゼントがなかったこともあれば、忙しくて電話一本で済ませたこともあるけれど、それでもINORANは毎年ちゃんと、Jに「おめでとう」を言ってきた。
 ところが。
 今年の8月12日。INORANはとうとうJに「おめでとう」の一言を言わなかった。
 もちろんそれにはちゃんと理由がある。
 実は10年前の8月12日にも同じ理由で、INORANはJに「おめでとう」を言わなかった。
 その理由とは。
「Jの方が先に大人になるのが気に入らない」
 ……要するに置いてきぼりを食う感じでつまらないだけなのだが、INORANはこのことについてだけはどうしても素直になれず、こんな無茶苦茶な理屈をつけてしまったのである。
 加えて、30代突入の今年も「おめでとう」を言わなかったのには、もう一つ理由がある。
 30にもなって「オタンジョウビ、オメデトウ」でもなかろうと思ったのだ。
 もういい加減大人なわけだし。
 もうちゃちなプレゼントで喜ぶような歳じゃないんだし。
 だんだんオヤジになってくだけなんだから、いいじゃん、もう。
 そんなことを考えて、INORANはJに「おめでとう」を言わなかったのだ。
 ところが、その後のJ。思いっきり機嫌が悪い。
 前々からその予定だったとは言え、ツアー前半が終わるや否や海外へ遊びに行くのに、とうとうINORANになにも言わないままだったのだ。
 いつもなら、旅行だろうが単独の仕事だろうが、ちゃんと「行ってくる」コールがあるのだけれど。
「INORANさぁ……アイツになんかした?」
 予定通り帰国すると、事務所にJからの連絡が入った日。たまたまギターの機材関連の打ち合わせでスタジオに来ていたSUGIZOに聞かれて、INORANは返事に困った。
 自分に思い当たることと言えば、誕生日を祝ってやらなかったという一点のみ。
 じいっとこちらを見て答えを待っているSUGIZOを丸め込んでごまかす、なんていう芸当がINORANにできようはずもない。
 仕方なく事情を説明すると、SUGIZOは心底驚いたようで、しばらく落ち着きなく視線をさまよわせていた。
「……マジで? だってINORAN、俺が30になった時なんて嬉々として祝ってくれたじゃん。なんでJだけ……」
「……なんとなく」
 色々と考えて「おめでとう」を言わなかったというのはもちろん本当のことだけれど、それ以上に、ツアーが一段落した直後だったということもあって、疲れきっていてタイミングを逃した、というのもあるのだ。
 名古屋から東京へ戻って、自宅へ帰ってシャワーを浴びて、あとは、寝た。起きたら13日の昼だったのだ。単にそれだけの話。
「……半月近く経っちまってるからなぁ……今更言うってわけにもいかないか……」
 真剣に考え込んでいるSUGIZOに、INORANは笑ってみせた。
「大丈夫だよ。Jのことだからさ、忘れてるって」
「……それはないと思う。ぜっっってぇいじけてるよアイツ」
 SUGIZOの声が、INORANの胸に重くのしかかった。けれどINORANはそれでも、作った笑みを顔に貼りつけていた。
 ……内心でかなり焦っていることだけは自覚しながら。



 9月29日。
 言わずと知れたINORANの誕生日。
 ツアー後半戦に向けてのリハーサルが進むスタジオで、INORANはめでたく五人中最後の30代突入を果たした。
 今日予定していた分のリハーサルが終わり、楽器や機材に影響しないよう部屋を移動して、ごく内輪のスタッフを交えてのささやかなバースデーパーティーが開かれた。
 ところが、約1時間後。
「……あれ、Jは?」
 最初にそう言ったのは、なにかとよく気のつく真矢。
「いつの間にかいなくなってたんだよね。どこ行ったんだろ?」
 RYUICHIも気づいていたようで、しきりに首をかしげている。
「……INORAN。だから言ったろ? ぜっっっっってぇいじけてるって、アイツ」
 隣に立っていたSUGIZOがこっそり耳打ちしてくるのに、INORANもさすがに気づく。
 やはり、Jの30回目の誕生日にちゃんと「おめでとう」を言わなかったのが原因なのだ。
 そうでもなければ、Jが誰にも気づかれないように消えるなんてことするはずがない。
 なにか用事があって先に帰るのなら、誰かにちゃんとそのことを話してから。それが普段のJ。
「……今からで、間に合うと思う?」
 隣に立つSUGIZOを見ることなく囁いて、INORANはポケットに入れてある車のキーを探った。
「間に合わせないでどーすんだよ! ほら、行け!」
「ぅわあっ!」
 突然大声で言ったSUGIZOに思いっきり背中を押されてよろけながらも、INORANはその勢いで走り出す。
「ごめん! 俺、帰るから!」
 唖然とするスタッフに振り向かないまま叫んで、INORANはあっという間に姿を消した。
「……ま、アイツてなずけられんの、INORANだけだし。しょうがないか」
 真矢がわかるようなわからないようなことを呟いた。
「さーって、俺もかーえろっと」
 SUGIZOがわざとらしいほどに大きく伸びをして、すたすたと歩き出した。
「……じゃ、そういうことで、また明日。お疲れさま」
 SUGIZOと一緒に行ってしまった真矢をも見送ってから、まだ茫然としているスタッフに、RYUICHIは全開の笑顔で挨拶して、同じように出て行った。
 後に残ったのは、互いに顔を見合わせるスタッフばかり。



「……なんで来んだよ」
「いいじゃん」
 Jの自宅の玄関先で、そんなやり取りがあったのは30分ほど前のこと。
 INORANは勢いだけでスタジオを飛び出し、家にいるという確証もないままJの自宅に押しかけて来ていた。
 一応部屋には上げてくれたものの、JはずっとINORANを見ようとしない。
「ねぇ。Jさ、なんでそんなスネてんの?」
 INORANが、すでにおおよその見当がついていることをあえて白々しく聞いてみる気になったのは、さらに10分ほど経過した後だった。それも、わざと軽くノリで言うことを選んで。
 言った途端、Jがかなり凶悪な目つきで睨んできた。それも、無言のまま。
 けれどINORANも、Jのそんな顔くらい見慣れているから、わりに平然と受け流せる。
 付き合いの長い相手はこういう手が通用しないから面倒だということを、Jもわかっているのだろう。すぐに視線を戻すと、大きく溜息をついた。
「……これだからヤなんだよな、オマエ。わかってんだろ? 俺がスネてる理由くらい」
「大体の見当はついてるけど、それがホントに当たりかどうかは、Jに言われなきゃわかんないもん」
 もう一度、大きな大きな溜息。
 INORANはそれを無視して、Jが折れて口を開くのを待った。
 そして。
「……俺の誕生日に、オマエ、俺のこと祝ってくんなかったから。そんだけ」
 吐き出すように呟いて、Jはふいっと顔を背けた。
 やっぱり……。
 心の中で呟いて、INORANは口を開いた。
「だってさぁ、もうちゃちなプレゼントもらって喜ぶような歳でもないんだし? だんだんオヤジになってくだけなんだから、もういっかなって」
「ならなんで他の三人にはちゃんと『おめでとう』って言うわけ? 説明つかねぇじゃん」
 即座に返ってくる言葉が、自分の子供っぽさを強調しているのだと、Jは気づいて……いないのだろう、きっと。
 そんなところがJだなぁ、とも思うし、そんなに子供でどうするんだ、とも思う。
 それでも結局、いい加減大人になれとかそんな台詞を吐けない辺りに、INORANのJに対する甘さが見えていたりするのだけれど。
「……Jってさぁ……子供だよね」
「……るっせ……」
 ふてくされてそっぽを向いているJは、1ヶ月とちょっと前に30になった成人男性とは到底思えない。
 その姿が、記憶の中の誰かと重なって見えて、INORANは少し考え込んで、そして。
「……あはははははは!!」
 すぐにその答えを見つけて、思わず笑い出してしまう。
「なんだよっ!」
 INORANが笑い出した理由がわからないJは、機嫌の悪さを全開にしてINORANを睨みつけてくる。けれど、INORANの笑い声はそれでも止まらない。
「だーってさぁ! もー、なぁんでこんなに似てるかなー……いやぁ、Jってカワイイねー!」
「だから、なんなんだよ!」
 散々Jを笑って、ようやくINORANが落ち着いた頃には、Jは完全にふてくされてしまっていた。
「ごめんごめん、謝るから。ね?」
 まだ口元が緩みそうになるのをどうにかこらえながら、INORANは小首をかしげてみせる。
 いつもは半ば以上無意識の癖を、あえて作為的にやってみせたりして。
「……似てるって、なんにだよ」
 INORANが笑いながら口走ったことを、ちゃんと聞き分けていたらしい。Jは、顔はそっぽを向いたまま視線だけINORANに投げてよこして、そう聞いてきた。
 その仕草までもが、INORANが思い浮かべた人物とそっくりで、INORANは再びこみ上げてきそうになる笑いを押さえ込むために、意識して呼吸を整えなければならなかった。
「いや、あのね……うん……Jって、『弟』なんだなぁって思って。『弟』だから、こういう時に甘えたがるのかなって。俺の弟もそうだからさ。あんまり似てるからおかしくって」
 それは、Jの反応が、であって。顔がとか、そういう問題ではないのはもちろん、性格の問題ですらない。
 ただ、こういう場合の反応という、全体のほんの一部が似ているというだけの話なのだけれど。
「……オマエの弟君と俺が似てるって? 全然似てねぇじゃん」
 案の定、Jはきっちりと誤解している。
 スネていると相手の言葉尻だけを捕らえがちになってしまう。誤解がそのせいだということに、もちろんJは気づかない。
「ううん、顔とか性格の問題じゃなくてさ、スネ方が、ね。そっくり」
 INORANは男ばかりの三人兄弟の長男、つまり「兄」。対するJは姉が一人いる「弟」。
 育った環境の違いは、こんなにも長い付き合いの中、意外なところで顔を出すもので。
 INORANは「兄」として育ったからこそ、「弟」ならではの反応には慣れている。Jは「弟」として育ったからこそ、自分が「弟」ならではの反応をしていることに気づかない。
「……真ん中? それとも下?」
「一番下。そっくり。並べて比べたいくらい」
 一番下の弟の、それも子供の頃にそっくりなのだと言ったら、Jはきっと烈火のごとく怒るのだろう。それはちょっと避けたいINORAN、ちゃんとそれを計算して言葉を選ぶ。
「……だからってオマエに弟扱いされる筋合い、ねぇと思うんだけど」
 この辺までくると、スネるネタさえ尽きてくる。こうなってしまっては、「オニイチャン」という存在を持たずに育ったJに勝ち目があろうはずもなく。
「だって俺は『オニイチャン』だもん。Jは誰かの『オニイチャン』になったことないでしょ?」
 ここぞとばかりに経験の差をひけらかしてやる。INORANは一番下の弟を言い包めるのには慣れているので、この程度はお手のもの。
「……ムカつく。オマエ、もう帰れよ」
 ほーら来た。
 INORANは、あまりにも自分の弟とそっくりなJの反応に、笑い出しそうになるのをどうにかこらえて、わざと子供っぽい仕草でソファにしがみついた。
「やーだっ!」
 時として「弟」というのは、「兄」が自分より子供っぽいことをすると戸惑うもので。
「帰れってば!」
 焦ったようなJの声。見れば、向かい側のソファから立ち上がって、INORANを立ち上がらせるべく歩み寄って来る。
「やだ!」
 それでもINORANが子供っぽくがっしりとソファにしがみついていたら、その場に沈黙が降りた。
 そして。
「…………………………」
 盛大な溜息とともに、なにかがフローリングの床に当たる重い音。
 INORANが姿勢を戻して見てみると、その視線の先には床に大の字になったJ。
「……俺の勝ちぃ」
 満面の笑みで言ってやると、Jはもう一度盛大な溜息をついた。
「『おめでとう』って言ってほしかったんだ? 30なんておっさんになるのに?」
 今更改めて聞くまでもないのだけれど、INORANは意地悪く聞いてしまう。
 Jはもう抵抗する気力を失っているようで、あっさりとうなずいた。ただ、やっぱりそっぽを向いたまま。
「……やっぱJってカワイイ」
「……うーるーせーっつってんだろー、がっ!」
 そう言うや否や勢いよく跳ね起きたJは、勢いを殺すことなくINORANの腕をつかみ取った。
「な、なに!?」
「……ふん、実戦なら俺の勝ちだな、やっぱ」
 一転して勝ち誇った笑みを浮かべたJは、戸惑ったままのINORANを引き寄せた。
「……っ!」
 あまりの早業にしばらく茫然として。
 なにをされたか自覚してあわててみて。
 息苦しさにもがいてJの肩を力一杯押し返して。
「……っ! な……、なにすんだよ突然! 息止まるだろ、バカ!」
 要するに、突発でディープキスされただけなのだけれど。
 ようやく解放されたINORANの唇からこぼれたのは、荒い息遣いとそんな言葉。
「バカはねーだろー? 寂しかったんだぜー? オマエ、俺の誕生日祝ってくんなかったのって、今年で2回目じゃん?」
 あ……覚えてる。しかもきっちり。
 頬を両手で挟まれたままのINORANの、Jを睨みつけていた視線が、途端に力を失くしてさまよった。
「1回目はさー、寂しかったけど忙しかったから忘れたフリもできたんだけどさー、今年はさー、そんな極端に忙しいわけでもなかったじゃん? ライヴだったわけだしさー。やっぱさー、オマエにはさー、言ってほしいなーって思ってさー」
「……わざわざ語尾伸ばすのやめろって。変だよ」
 Jは明らかにわざと、子供っぽくスネたフリをしてみせている。けれどJのそんな顔は、自分以外絶対に見られないものだと知っているから、それを嬉しいと思ってしまうINORANの言葉も、妙に説得力がなかったりして。
「……なぁ。言って?」
 さっきとはまるで違う、Jの声。
 いつもより低くかすれて、鼓膜から全身を震わせるような。
「……1ヶ月以上遅れてんのに? それも、今日って俺の誕生日だよ?」
 まだ頬を挟まれたままで、視線をそらす程度の逃げ方しかできないINORANは、それでも最後の悪あがきをしてみせる。
「ん……だから、さ……二人分一緒。な?」
 言いながら、かすめるだけのキス。
 いくつも落とされるそれが心地良くて、くすぐったさに目を閉じながら、INORANは小さな小さな溜息をついた。
 そして。
「……Happy birthday」
 苦笑しながら、48日遅れの祝福。言葉と一緒に、小さなキスもおまけでつけたりして。
「……thanks」
 お礼にJから返されたのは、深い深いキス。
「……俺には言ってくんないの?」
 キスが解けた後、少し笑いながら言うINORANのシャツに手をかけて、Jはにやりと笑ってみせた。
「……Happy birthday」
 言葉と一緒についてきたキスは、はだけたシャツに隠れていた肌に落ちた。








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