「INORAN!」
楽屋のドアが見える辺りで、RYUICHIはようやくINORANをつかまえた。
ステージでは、あとの三人がまだファンとの別れを惜しんでいる。
対してINORANは、恒例のジャンプが終わるや否や、さっさとステージ袖に引っ込んでしまった。
しかもそのまま、普段のおっとりした様子からは想像もつかないほどの速さで、狭い通路を通り抜けて行く。
ステージを降りてきたRYUICHIは、小走りでINORANを追いかけ、やっとその腕をつかんだ。
「……放せよ」
「……INORAN。怒る気持ちもわかるけど、席が遠いファンの子からは、なんでINORANが怒ってるのかわからなかったんじゃ」
「そんなのわかってる」
珍しく、RYUICHIの言葉を語気も荒く遮って、INORANは無理矢理RYUICHIの腕を振り払った。
「RYUICHIさん? どうかしましたか?」
「あ、ううん、なんでもない。ごめんね、邪魔だね」
なにが入っているのか、大きめのケースを持ったスタッフに声をかけられて、RYUICHIは慌てて通路の端に寄った。
そのスタッフが通り過ぎてから小さく溜息をつくと、RYUICHIは楽屋へ向けて歩き出した。
関わる人すべてが、不安定だった。
五人で一から築き上げてきたものを、五人で終わらせることを選んだその日から、ずっと。
中心にいる五人も、周りを取り囲むスタッフも、関係者も、そしてファンも。
関わる人すべてが、不安定だった。
ふとしたことで泣き出す者がいる。
ほんのちょっとしたことに神経を尖らせる者もいる。
茫然と日々を送るだけの者がいる。
最後のその日まで自分を見失わないよう、歯を食いしばる者もいる。
五人で終わらせるその日まで、全力で走っていくのだと決めたはずだった。
愛しているから。この場所を愛しているから、終わらせるのだと。
嫌な形でなど終わらせたくない。最高の瞬間を最後の瞬間にして終わらせるのだと。
そう決めたはずだった。
なのに、ふとした瞬間に思う。思ってしまう。
本当に、これが最良の方法だったのか。
最後の日に向けて転がり出した車輪を止めることができないのをわかっていて尚、そう思ってしまう。
関わる人すべてが、不安定だった。
言い過ぎた。
INORANがそのことに気づいたのは当然、その言葉を言ってしまった後で。
「…………………………もういい」
言ってしまったINORANの言葉に対する返答にしては、とても穏やかな口調でそれだけ言って、Jは楽屋を出て行った。
穏やかな、けれど、なんの感情も見えない、冷たい口調だった。
そして。
「なにしてるんですか、Jさん!」
「うるせえ!」
なにかを蹴るか殴るかしたような音に続いて、そんな怒声が通路から聴こえた。
RYUICHIと真矢が、顔を見合わせた次の瞬間には立ち上がり、急いで通路へ出て行った。
元々通りのいい二人の声と、まだ怒りがおさまらない様子のJの声が聴こえる。
「……INORAN?」
楽屋に残ったSUGIZOは、茫然とした表情のままうなだれてしまったINORANに、そっと声をかけた。
返事はない。
INORANがアンコールで見せた荒れた態度に、楽屋に戻ってきてからJが怒ったのだ。
なんであんな顔を見せた、と。
INORANはいつになくきつい視線をJに向けて言い返した。
ステージの上で嘘なんかつけるか、と。
それは間違いなくその通りで。
すべての感情が音に出てしまう。嘘などつけた試しがない。
それが、ライヴだった。
しかしJは更に言い募った。
音に出るのはしょうがない、けどあの時は音を出してたわけじゃない、と。
INORANはその言葉に本気で頭に血を上らせ、何年も出していなかったのではと誰もが思うほどの大声で言い返した。
曲が終わってから楽器や機材に八つ当たりしてるお前に言われたくない。
その怒声の余韻が消えないうちに、INORANに食ってかかっていたJの表情が、消えた。
そしてJは楽屋を出て行った。
「……INORAN?」
もう一度、SUGIZOが声をかけた。
INORANはうつむいたまま答えない。
「……なにがJを怒らせたのか、は……わかってるよね?」
「……………………うん……」
小さくうなずいたINORANに、SUGIZOは椅子から立って歩み寄ってきた。
INORANの肩に手を置き、うつむいたままの顔をのぞき込む。
「……じゃあ、どうすればいいのかもわかるよね?」
今度は無言で、それでもINORANはうなずいた。
「……大丈夫だよ。行っておいで?」
SUGIZOはそう言いながら、INORANの腕を引っ張った。
つられてINORANが立ち上がったところへ、RYUICHIと真矢が戻ってきた。
「誰かさんは先にホテル戻って頭冷やしてから打ち上げ行くってさ」
「なんかケガしたの、あいつ」
真矢の溜息混じりの報告に、SUGIZOが聞いた。
「こ・こ」
RYUICHIが自分の右手の指の付け根辺りを指差した。
「壁に穴開く寸前だったって。スタッフがすぐ手当てしてくれてたから、たぶん大丈夫だと思うけど」
右手で壁を殴ったということなのだろう。
「INORAN?」
真矢が声をかけた。INORANはまだうつむいたまま立ち尽くしている。
「……ほら。行かなきゃ伝わらないよ?」
「うん、そう思う。行っておいでよ、INORAN」
SUGIZOとRYUICHIにも促されて、INORANはようやくその場から動いた。
とぼとぼと楽屋を出て行く背中を見送って、残った三人は顔を見合わせた。
「……だいじょぶかね?」
「まぁ、大丈夫でしょう。あの二人のことだしね」
「……俺としてはねー、頭に血ィ上った野獣がINORANになにするかが心配なんだけど」
「なら一緒にくっついてってやれば?」
「やだ。ラヴシーンなんか見せつけられたくねぇよ」
「だったらガタガタ騒ぐなっつの。ほら、お前も着替えて来いよ。打ち上げ行くんだろ?」
「へーいへい」
そんな言葉を交わしつつ、結局は三人とも、珍しく派手にけんかした二人を心配していた。
ルームナンバーを何度も確認して、深呼吸してから、チャイムを鳴らす。二度。
少し待つ。息を殺せば殺すほど、心音がうるさくなるのを感じながら、室内の気配を探る。
そして、INORANの目の前で、ドアが少しだけ開いた。
「……なに」
チェーンをかけたまま、Jは不機嫌なのが一目でわかる顔を覗かせた。
「……ちょっと、いい……?」
「……あぁ……」
それだけ吐息と一緒に呟くと、Jは一度ドアを閉めた。チェーンを外して、今度はドアを大きく開ける。
「INORAN、シャワー浴びた?」
「うん……」
「ならいいけど。なんか飲む?」
「ううん……」
「あっそ……座んねぇの?」
Jは自分の分だけ冷蔵庫からビールを出し、さっさとソファに腰を落ち着けながら言った。
ライヴで立ちっ放しだった足に、間違いなく疲労感はあるので、INORANもおずおずとその隣に座る。
Jの右手には包帯が巻かれていた。その手では持ちにくいのだろう、ビールの缶は左手にある。
「……手……」
INORANには、たった一文字しか言葉にできなかった。けれど、たった一つの音にも感情はこめられる。
「あぁ、たいしたケガじゃねぇよ。すぐ手当てしてもらったから、明日には腫れも引くだろうし」
軽い調子で、けれど感情のこもらない声でJが言う。
「……ごめん……」
不意に口をついて出た謝罪は、Jにケガをさせた大元の原因が自分にあると知っていてのもの。
けれどJは、ビールを一息にあおった後で、溜息混じりに言った。
INORANのせいじゃない、と。
「だって、そのケガ……」
「原因がお前なんじゃない、きっかけがお前だっただけだ。俺が自分で望んでケガしたんだから、お前のせいじゃない」
強い口調で、けれどやはり感情のこもらない声で、Jは言う。
だから、INORANはなにも言えなくなる。
謝ることすらさせてもらえない。
強引に謝ってしまえばきっと、何故謝るのかと逆に問われるんだろう。
そうなったらどう答えればいいのか、INORANにはわからなかった。
Jはもう一度ビールの缶に口をつけると、手の甲で乱暴に口元をぬぐいながら缶をテーブルに置いた。
「……不安定なのはわかるよ。たったあれだけのことで気ぃ立っちまうのも、八つ当たりしたくなるのもわかるよ。けどさ」
やはり感情の見えない声で、Jは淡々と言葉を紡ぐ。
INORANはなにも言えないまま、黙ってJの声を聞く。
「……不安定なのはみんな一緒だろ。INORANだけじゃないし、俺だけでもないし、ファンの子たちだけでもない……」
終わりにすると決めた、その日が刻一刻と迫ってくる。
そんな状況下で皆、平静を保っているように見えて、穏やかに時を過ごすことができずにいる。
むしろ、時も場所も関係なしに泣き喚くことができるファンの方が、まだ一時的な安定を保てるかもしれない。
ステージの上でメンバーが不安定な顔を見せようものなら、ファンが心穏やかでいられるはずがない。
だから、ステージの上ではなにかをふっきったようにいつも通りのライヴをしてきた。
JもINORANも、RYUICHIもSUGIZOも真矢も。
終わりの日を公表する前も、その後も。
けれど、その裏にいつも。不安定なまま落ち着くことができずにいる心がある。
「八つ当たりなんかいくらしたっていいよ。だけどな、ステージの上であんな顔すんな」
それはきっと、Jもその不安定さを身を以って知っているという意味で。
ただ、八つ当たりする相手と時と場合を考えろ、ということなのだろう。
最低でも、メンバーの表情一つ、仕草一つで一喜一憂するファンの目の前では、八つ当たりなどするな、と。
「……考えてみろよ。今日が『終幕』になった子だって、絶対にいたはずだ。違うか?」
「……あ……」
思わず口元を手で覆ったINORANに、Jは溜息をついた。
「普段のお前ならすぐに気づくことだと思うけど?」
少し呆れたように言われても、INORANは身体を硬くしたまま答えない。
わかっていたことだった。
すべてのファンが、「終幕」を迎えるその場にいられるわけではない。そのことを、INORANはわかっていた。
わかっていたのに、数時間前のステージで、それを忘れたのだ。
今日しか会えない人だって多かったはずなのに。
「それを、あんな顔で終わらせた……気まずいどころか、最悪の記憶にだってなりかねないんじゃねぇの?」
Jの言う通りだった。
INORANはなにも言えないまま、唇を噛んでうつむいた。
「……まぁ、『今日のライヴ』はもう終わっちまったんだし、今更時間は戻せないし、言ったって仕方のねぇことだけど……」
Jの言葉に、INORANはさらに身体を硬くした。
同じライヴは二度とない。
同じ日は二度と来ない。
時間を戻すことはできない。
自分がしたことを、なかったことにはできない。
「次は、いい顔で終われるようにしようぜ」
言葉と一緒にINORANの頭を軽く叩いて、Jはソファから立ち上がった。
「打ち上げ行かねぇの?」
レザージャケットを羽織ってそう聞いてくるJに、INORANは顔を上げた。
「俺、行くけど。残るならキー預けてってよ」
ルームキーを渡そうとするJの手を押し退けて、INORANは慌てて首を横に振ると立ち上がった。
「……ごめん」
出てきたのはやはりその言葉。
相変わらず手のかかるヤツでごめん。
いつまでもJに甘えてばっかりでごめん。
いろんな意味を込めて、INORANはその言葉を口に乗せた。
「……行くぞ」
Jは背を向けて歩き出した。短い髪をぐしゃぐしゃにかき回しながら。
INORANがその背中を追って、Jが開けたまま待っているドアを抜けようとした瞬間。
「ぅ、わっ!」
急に肩を引き寄せられて、キスされた。唇を押し当てるだけのキス。
「ほら、早く出ろって」
ようやくいつもの笑みを浮かべたJに促されるまで、INORANはあまりの唐突さに固まったまま動けなかった。
「突然なにすんだよ、それも部屋の中からともかく、ドア開けたとこでなんて!」
「あーあーわかったよ、もうしねぇって」
笑いながらあしらわれると、どうにもコドモ扱いされているようで嫌なのに、相手がJだとINORANはなぜか許してしまう。
「じゃ、先に行ってるからな」
ドアを閉めて鍵をかけ、今度こそ歩き出したJはきっと、本当に先に打ち上げ会場へ行くだろう。
それを追いかけるには、今のINORANは薄着だった。
一度部屋へ戻って、なにかもう一枚上に着るものを持ってこなければならない。
小さく溜息をつくと、INORANは歩き出した。
明日もまた、ライヴがある。
終わりにすると決めたその日まで、あと何本でもない。
いい顔で終われるようにしようと、Jが言った。
残りのライヴのすべてを、Jの言う「いい顔」で終われるようにしたいと、そう思った。
今日と同じ後悔をしなくてすむように。
気持ちは落ち着かないけれど。
不安定なまま走っていくしかないけれど。
それでも、もう後戻りはできないから。
なら、最後まで。
五人で築き上げてきたものを五人の手で終わらせるその日まで。
後悔だけはしないように。