「……あれ?」
 ミーティングを終えて、さて移動、と立ち上がった真矢の耳に飛び込んだのは、不思議そうな声だった。
「な、なに……どした?」
 振り返った先には、声の主たるINORANの、これまた不思議そうな顔。いつもの癖で小首を傾げたまま止まってしまっている。
「……んーと……」
 INORANはその問いに応えず、片手に持っていた煙草を灰皿に放置して、今度は両手を駆使してなにやら指折り数え始めた。
「なにしてんだよ、INORAN。置いてくぞ」
「INORANちゃん、どうかしたの?」
「おーい。寝ながらなんか数えてないー?」
 他のメンバーからも口々に声がかかるのに、INORANはお構いなし。
 使った書類をまとめたりミーティングルームの片付けを始めたりしていたスタッフまでもが止まる頃までそれは続いて。
「……真ちゃーん……」
 ようやく周囲の声に応えたINORANが呼んだのは、最初に声をかけた真矢。
 その真矢に限らず興味津々の周囲に対して、INORANは傾げていた首をまっすぐに戻してから、困ったように眉根を寄せた。
「……俺、バカになったかも……」
 その一言に、その場にいた者は様々な反応を見せた。
 一番多かったのが、止まった人。
 次いで多かったのは、笑った人。
 あとは、突然オロオロし始める人に、なにやら考え込む人、それらの全部を観察する人。
「あのー、INORAN? どうしちゃったわけ?」
 一応落ち着き直した真矢が問い返すと、INORANは眉根を寄せたままで室内を見回した。
 笑われたのが気に入らなかったのか、眉根にもう一本シワを追加して、口を開く。
「だってさぁ。覚えてたはずなんだよ? ちゃんと」
「だから、なにをだよ……」
 Jの少々疲れ気味なツッコミに答えるINORANの動きに、その場の全員が注目した。
 そして、質問の答えは少し不機嫌そうなINORANの声で告げられた。
「干支の順番」





「……INORAN?」
 たっぷり1分近く続いた沈黙の後で、恐る恐る声を上げたのはSUGIZOだった。
「大真面目極まりないミーティング中に、ナニ考えてたのかなぁ……?」
「いや、終わってから気がついたんだよ」
 SUGIZOの声に次第にこもる力に、気づいていながら無視を決め込んでいるのか、INORANはマイペースに考え続けている。
「それにしたってなぁ……」
 INORANの言葉に呆れ返って溜息をつくJのそばで、真矢がSUGIZOをなだめている。そんな光景をよそに、RYUICHIは興味津々でINORANににじり寄っていく。
「なんで干支が突然気になったの?」
「なんでだろう……よく分かんないけど、急に思い出して」
 INORANはやっぱりうつむいたまま考え中。
「で、干支のことを思い出してはみたけど、順番が分からなくなって困ってたわけ?」
 とりあえず事の経緯を把握したい真矢が問うと、INORANはようやく顔を上げた。が、その表情はやはり不満そうというか、納得のいっていない顔のまま。
「そう。だってさ、12種類でしょ? 頭の中で端から思い出してみて、たぶん種類は全部揃ったんだよ。でも、順番分かんなくてさ」
「えー……順番って決まってんの?」
 呆けた顔で問い返したのは、INORANよろしく小首を傾げたJである。
「おっ前ねぇ、それくらい知ってろよ、大人だろ!?」
 ネタがあれば噛み付かないはずもないSUGIZOが瞬時に爆発すると、Jも負けてはいられないとばかりに反撃しようとする。
「お、大人なら知ってなきゃいけないなんて、そんなルールあんのかよ!」
 無論、口でSUGIZOに勝てるはずもないのだが。しかも噛んでいては迫力すら半減する。
「はいはい、そこ、ケンカはやめなさいね。INORANの思考の邪魔よ?」
 真矢が場を治めるのは毎度のこと。
「……真ちゃんが言わなきゃ俺が『うるさい』って言ってた」
 ぽつりと落とされたINORANの言葉に、「うるさい」二人が背筋を正したのもまた、毎度のこと。
「だろうね。それで、なに、干支の順番?」
 全てを面白そうに眺めていたRYUICHIが話を戻すと、INORANもそちらに集中する。
「そう。最初って鼠だっけ?」
「はい正解。ちゃんと覚えてんじゃん。偉い偉い」
 12のうちたった一つが合っていただけなのだけれど、真矢にぽんぽんと頭を叩かれて、INORANは相好を崩した。真矢になにかを褒められると顔が崩れるのは、実は四人共通だったりする。
「ええとー……ね、うし、とら、う、た」
「RYUちゃん、待って」
 その隣でゆっくりと指折り干支を数え始めたRYUICHIを、半端なところでINORANが遮った。その顔はまたしても難しい考えに沈んでいる。
「『う』ってなんだっけ」
 その言葉にコケたのは年長組二人で、年少組のうちINORANとJが頭上にクエスチョン・マークを浮かべて悩んでいる。
「兎」
「うん、うさぎ……って、あれ?」
 心底呆れたと言わんばかりに溜息混じりに答えを提示したSUGIZOに、同じく答えを知っていたRYUICHIがうなずいた。
 しかし、問題はこの後。
「どこまで数えたっけ?」
 折りかけの指を曲げたり伸ばしたりしながら、分からなくなったと笑うRYUICHIに、年長組二人は今度こそ盛大に溜息をついた。
「いーか? よーく聞いてなさいね?」
 気を取り直して場を仕切った真矢に、年少組三人から拍手が沸く。
 が。
「はい、SUGIZOさんどーぞー」
「俺かよ!」
 その場に居合わせた全員がコケたのは言うまでもない。場を譲られたSUGIZOですら、真矢のペースに振り回されている。
 それでも、仕方ないともう一度溜息をついて、SUGIZOは両手を眼前にかざした。
「いくよ? ね、うし、とら、う、たつ、み、うま、ひつじ、さる、とり、いぬ、い。おしまい」
 指折り数えてきっちり12種類。淀みなく干支を並べてみせたSUGIZOには、真矢以下メンバー全員から拍手と歓声が贈られた。
 ちなみに真矢とて干支くらい並べられないはずもないが、SUGIZOにその役を押し付けたのは単に、真矢が遊びたかったからだったりする。
「『み』が、蛇だよね?」
 SUGIZOの声に合わせて指を折っていたINORANが顔を上げて問うと、真矢がまた頭を軽く叩いてくれた。
「そ。あとは最後の『い』が猪ね」
「そっか。分かった。ありがとう」
 INORANの疑問が解消されたことで、この場はお開きになった。





 が、それは次の一瞬に崩された。





「ねぇ。俺たちって戌年生まれだよね」
 今度はRYUICHIがなにやら考え込んでいる様子。うつむいたままちらりと視線を上げて問うその顔は、考え込んでいる割には楽しそうなのだけれど。
「いや、俺だけ酉年。真矢は早生まれだから俺と同級だけど、生まれ年そのものは戌だよな」
「そういうこと。そんでRYUちゃん、なにを突然?」
 SUGIZOの訂正を受けてまたうつむいたRYUICHIに、真矢が恐る恐る問いかける。
 メンバーでも、こういう顔をしている時のRYUICHIの考えが読めることはほとんどない。真矢とSUGIZOもそうだし、ようやく移動のために腰を上げたINORANとJも、分からないと首を傾げている。
 そんなメンバーの眼前で、RYUICHIは突然笑い出した。
「いやー、俺たちがね、生まれ年の通りの動物に例えられそうだなーって思って」
「はい?」
 唐突に繰り出されたRYUICHIの言葉に、真矢が本気で首を傾げる。その様がまた可笑しいと笑って、RYUICHIはSUGIZOを指差した。
「だってね、SUGIちゃんなんてもう間違いなくお喋り上手なオウムとか九官鳥っぽくない?」
 その言葉で、全員がSUGIZOを見る。確かにSUGIZOはよく喋る。話上手とはまた違うのだけれど、喋る量が半端ではないことは間違いない。
「ああ、当たってる当たってる!」
「真矢!」
 RYUICHIの言葉で大笑いし始めた真矢に、SUGIZOが即座に食ってかかる。その二人をよそにRYUICHIが視線を向けたのは、金髪のベーシスト。
「J君はもう間違いなく人懐っこいタイプの大型犬だし」
「なにぃ!?」
「J、うるさい」
 SUGIZOとよく似たタイミングでRYUICHIに噛み付いたJに、INORANが冷ややかな声を投げつける。この声でJが黙らなかったことはなく、今もJは叱られた大型犬のようにしょぼくれている。耳と尻尾がついていたら間違いなくそれらが垂れているであろう表情は、Jの体格を考えればいっそ笑えるほど。
 そんな光景を眺めて小さく笑うと、RYUICHIは落ち着きを取り戻したらしいSUGIZOの隣で笑う真矢に視線を戻した。
「そんで、真ちゃんは日本犬。絶対。秋田犬とかの感じ?」
「ああ、そうね。洋種じゃねぇわな、少なくとも」
 こちらはあっさりと納得できる意見を出されて、真矢は嬉しそうに笑った。
 ね、と笑い返したRYUICHIに、SUGIZOから声がかかる。
「じゃあRYUは?」
「俺はー……」
 考え込むRYUICHIの背後で、うつむいていたJがゆらりと視線を上げた。
「……やたら元気なだけの小型犬」
 かなり棘を含んだJの低音はしかし、それを聞き慣れてしまったRYUICHIにはなんの威力もなかったらしい。
「なに、J君、仕返ししたつもり? 当たってるから仕返しにならないよ、それ」
「るっせぇ」
 今度はふてくされてそっぽを向いてしまったJに、その場に居合わせたほとんどの人がにやにやと笑っている。
「あ」
 その隣で、RYUICHIの話に笑うでもなくぼんやりしていたINORANが、突然顔を上げた。
 またか、と視線を向ける周囲にもお構いなしで、INORANは困ったように眉根を寄せる。
「……俺、やっぱり馬鹿かも」
「今度はなによ?」
 弟を心配するような声音で問う真矢に、INORANは表情を変えないまま口を開いた。
「干支に猫っていないんだよねぇ?」
「うん、いない」
 答えたのはSUGIZO。そうだよねぇ、とまたうつむいて、INORANはやっぱり困っている。
「いるもんだと思ってたの?」
 真矢の問いに小さくうなずいたINORANを、鼻で笑ったのはJ。一瞬だけ冷えた視線を向けることでそのJを黙らせ、INORANはうつむいたまま視線だけを上げた。
「……で、俺は、戌年生まれ?」
「そのはずだけど? 同い年なんだし」
 あっさりと肯定したRYUICHIに、そうだよねぇ、ともう一度呟いて、INORANは眉間のシワを深くした。
 そのまま固まったように動かなくなったINORANに、全員が同じように動きを止める。
 やがてその沈黙が、INORAN自身によって破られた。
「……俺、自分を動物に例えるなら猫だと思って考えてた……」
 それは単に性格から考えてのことだったのだろう。実際、INORANはあまり犬っぽくない。
「あー……まぁたしかに、INORANはあんまりこう……犬っぽい感じしないよな」
「うん。アタマ良さそうな猫っぽい」
 真矢の言葉に、RYUICHIが深くうなずきながら賛同する。干支と関係なしに考えたら、INORANは犬よりは猫だろう。
「っていうかそれは、猫と同居してるせいでもあるんじゃない?」
「そうかなぁ……飼い主がペットに似たの?」
「かもねー」
 楽しそうに言うSUGIZOに、INORANはまだ納得がいかないと首をひねる。
 最終的には、「INORANは猫っぽい戌年生まれ」ということで決着がついたのだが。
 INORANにとって疑問だったのは実は、「戌年生まれなのに猫っぽい自分」ではなく、「干支に猫が入っていない理由」の方だったりした。それが判明するのはこの後のことである。








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