「ねぇ、俺のこと好き?」
昼の光が溢れるベッドルームで、唐突にそう聞かれた。
昨夜というか朝方まで互いの身体を貪るように重ねていて。
世間様のランチタイムにようやく目を覚ましたら、突然そんなことを言う。
そんな目の前の男が、愛を囁くと同時に実は相手に見返りを求めていることを、INORANは知っている。
またそれが、見返りと言うよりご褒美と言った方が正しいようなもので。
まるで、命令を上手に遂行できた犬がご褒美を待って尻尾を振っているかのよう。
「……何度言わせれば気がすむの」
間違いなく痕をつけられた肌を隠すようにシーツから出るのを拒んで。
INORANは盛大に溜息をつく。
昨夜だって散々言わされたのだ。
好きだの愛してるだのといった甘い甘い言葉の数々を、本来ならINORANはあまり好まない。
大事な場面でだけ出せばいい言葉だと思っているのに。
目の前の男は常にそれを言い続け、同じモノをINORANにも求めてくる。
「何度言われても足りないし、俺は何度でも言いたいよ。『キミが好きだ』って」
そんなところも含めて惚れてしまったのはお互い様。
悪びれもせず飽きもせず同じ言葉を何度でも欲しがるこの男を、INORANはそれでも好きなのだ。
ただし、素面な上に甘ったるい熱も引いてしまった状態で言ってやるつもりは毛頭ない。
「……同じモノを遺伝子がまるごと全部違う俺に求めないでよ」
言わなければならないシーンやどうしても自分から言いたいシーンに出くわしたら。
INORANだってそれらの言葉を口にすることに躊躇いはない。
多少の羞恥心はあっても、ちゃんと言える自信がある。
だからこんな起き抜けのタイミングでまで求めてくれるな、と思う。
けれどそう思う反面、ちゃんと言うべき時に言えているという自信があまりなかったりもする。
そんな自分を真っ向から好きだと言ってくれる目の前の男に、だからINORANは少しの罪悪感を抱き続ける。
いつも「好き」の意思表示をしてくれるのに、なかなか返せない。
今みたいに、あえて返したくない時があるのも事実だけれど。
RYUICHIはこんな自分を本心から好きでいてくれるのだろうか?
時々、心配にも不安にもなる。
「うーん……それもそうだね。じゃあ別の質問」
なのに、RYUICHIはあまり気にしたふうでもなく、くるりと瞳を輝かせて笑う。
「今度はナニ?」
この顔にINORANが弱いということを、知っててやっているのかはわからない。
そもそもRYUICHIの考えが読めたことが、INORANにはほとんどない。
告白も誘いもプレゼントも、RYUICHIから与えられる何もかもがINORANには予測不可能。
それがまた面白かったりもして。
今度はいったいなんだろう?
「俺の、どんなとこが、どういうふうに好き?」
この質問ならば、INORAN以外の者がINORANと同じ立場から答えられるはずもない。
RYUICHIもそれをわかっているのだろう。
子供が無邪気な問いを親に投げた時のような、なんとも楽しそうな顔でこっちを見ている。
INORANが答えられる言葉は、とりあえず一つだけだった。
他にも色々あることはあるけれど、それらを指折り数えるのはなんとなく避けたくて。
だから、一つだけ。
つい今しがた考えたばかりのことは、実はRYUICHIと一緒にいる時にいつも考えていることで。
ということは、自分はRYUICHIのその部分に多大なる興味を持っている、ということじゃないかな、と。
そんなふうに結論付けて、INORANは答えを待つRYUICHIの視線を受けながら口を開く。
「……ナニ考えてんのかわかんないとこ」
「が?」
「……が、面白くて……好き、かな」
「かな、がつくの?」
いまいち自信がなくて曖昧な語尾を使うと、すぐに噛みつかれる。
甘く柔らかく、けれどしっかりと痕を残すKissに似ている、RYUICHIの問い。
「……もういい」
答える言葉を探せなかったことをごまかすために、ふて腐れた振りでRYUICHIに背を向ける。
「怒らないでよ。ごめんってば」
即座に態度を変えるRYUICHIを、ずるいと思う。
思うけれど、INORANはいつもRYUICHIを許してしまう。
「でも、俺ってナニ考えてるかわかんない?」
やっとINORANの回答に疑問を見出して、RYUICHIが小首を傾げた。
INORANに言わせれば、唐突に脈絡のない言葉を出すことのあるRYUICHIの考えは謎。
けれどそこにはちゃんとRYUICHIなりの思考回路があるのだろう。
ただ、それがINORANには少々理解しがたいことがある、というだけで。
RYUICHIが首を伸ばして顔を覗き込んでくる。
それに合わせて仰向けになって、INORANは口元を緩めた。
「俺にはね。わかりづらいっていうか……でも」
「でも?」
「わかんないから面白いし、わかんないけどそれでいいと思ってるし、わかっちゃったらたぶん……」
「たぶん?」
いちいち言葉尻を復唱するRYUICHIは本当に子供のようだった。
そんなRYUICHIにINORANは、次の言葉を少しだけためらってしまう。
「……好き、じゃない……かも」
言葉の繋ぎ方の関係上、こうして否定的な表現を使わざるを得なかった。
結果的に肯定になるとは言え、見るからにわくわくしているRYUICHIにこう言ってもいいものか。
そんな細かいところで一瞬悩んでしまったINORANの語尾に、またしてもRYUICHIは食らいついてくる。
「また『かも』がついた」
「だってよくわかんないんだもん、自分でも」
けれどRYUICHIが笑いながらそう言うので、INORANも内心で安堵の溜息をつく。
「んー……そうだ、俺もねぇ」
なにかを思いついた顔のRYUICHIの視線が降ってくる。
その顔はどんな小さなことにも興味を持つ子供のように見える。
けれど、すべてを見抜く力を持つ大人のようにも見えた。
目の前の年齢不詳の男は、今度はINORANになにを話すのだろう。
INORANにはやっぱりわからない。
瞬きを繰り返すINORANに、RYUICHIは柔らかい笑みを浮かべて言葉を繋いだ。
「INORANの考えてることわかんない」
にっこりと人好きのする笑みを浮かべて、言うことはこれなのだ。
RYUICHIの表情と言葉のどちらを信用すればいいものやら、まったく見当がつかない。
「そう?」
とりあえず確認のために問い返すと、RYUICHIは小さく笑ってキスを落としてきた。
頬に薄い唇の感触を受けて、INORANはくすぐったさに目を細める。
「うん。でもわかんないから好き。だよ?」
「そう?」
「そう」
続けられた言葉にもう一度問い返しても、RYUICHIは笑顔を崩さない。
その笑顔の奥にある本心をINORANが読みとれたことはほとんどない。
けれど、今のやり取りが嘘だらけだと思っているわけでもない。
INORANと同じことを満面の笑みで言ってみせたRYUICHI。
その言葉が本心であるという保証はない。
けれど嘘ばかりを並べられているとも思えなかった。
「でもさ……それはたぶん」
RYUICHIはINORANがなにを考えているかわからないと言ったけれど。
思い当たる理由がINORANにはあった。
普段の自分がなにを考えているか、それを思い出せば見えてくる。
「……俺がナニも考えてないからわかんないんだと思うよ?」
実際そうなのだ。
INORANは普段ぼんやりしている時、本当になにも考えていないことが多い。
脳裏に思い浮かぶことはある。
今もRYUICHIと話しながら全然違うことを思い浮かべてもいる。
ただ、脳裏にあることを思い浮かべることと、考えることとは違うのだ。
「そう?」
「たぶん、だけどね」
不思議そうな顔で見下ろしてくるRYUICHIに小さく笑ってみせる。
そのINORANの前で、RYUICHIが真剣な顔になった。
なにかを真面目に考えている時の癖は、歌う時の癖に少し似ている。
RYUICHIの眉間の皺を見てINORANがそんなことを思っているとは予想もつかないだろう。
気難しそうに腕組みまでして考え込んだRYUICHIは、少しして顔を上げた。
「でもINORANだって色んなこと考えてるじゃん。考えてること、俺よりいっぱいありそうだけどなぁ」
「気のせい」
「また一言で終わらせるし」
RYUICHIが言ってくれたことは、不正解ではないかもしれない。
普段ぼんやりしている時こそなにも考えていないという自覚はあるけれど。
INORANだって真面目になにかを考えることくらいある。
それはあるけれど、RYUICHIほど深く考えないとINORAN自身は思っている。
だから否定してみたのだけれど、RYUICHIはまた変な揚げ足を取って笑うだけ。
「でも、それでいいのかもしれないね」
まだ悩む素振りを見せていたRYUICHIは、少ししてそう言った。
柔らかい、どうあっても憎めそうにない笑顔で。
「『それ』って?」
「お互いナニ考えてんのかわかんないまんまでいいのかも、ってこと」
問い返したINORANに、RYUICHIはほんの少し得意げな顔で言葉を紡ぐ。
大人が見落としてしまったことを見つけて目を輝かせる子供のよう。
実年齢とはあまりに不釣合いなその笑顔が、INORANは好きなのだ。
悔しいけれど、自分が失くしてしまったものだと思う。
だから好きなのかもしれない、と思うこともたまにある。
結局INORANには、自分がRYUICHIを好きな理由がいまいちわかっていなかった。
「……そうかな」
RYUICHIの言う通り、互いの考えていることがわからないままで。
本当にそれでいいのかと、今度はINORANが悩んでしまって眉間に皺を寄せてしまう。
「だめ?」
小首を傾げるRYUICHIも眉間に皺が寄ったまま。
「……わかんないことはあっていいと思うけど……」
「けど?」
「俺はもうちょっとRYUのアタマの中をわかりたいなって思うことがあるよ?」
それこそ、起き抜けにINORAN自身が言った通りだろう。
遺伝子が丸ごと違う他人同士、相手の考えのすべてがわかったら却って怖い。
だからわからなくていいと思うけれど、もう少しくらいはわかりたいというのもINORANの本心だった。
恐る恐るINORANが出した言葉に、RYUICHIは考え込む表情のまま一つ頷いた。
「それは同感だけど、一緒にいたらわかってくこともあるんじゃない?」
一緒にいてもなかなかわからないからわかりたいと思うのだけれど。
どうもその辺が、RYUICHIとINORANでは少しずれているらしい。
INORANはやっとベッドから身体を起こしながら、RYUICHIの髪を引き寄せた。
「じゃあ、ここは今、どんなこと考えてるの?」
洗ったばかりらしい湿り気を残すRYUICHIの黒髪の奥を指先でつついて、INORANは笑う。
「内緒。INORANは?」
やっぱりなにを考えているのかつかめない笑顔でRYUICHIが言う。
「RYUが言わないなら俺も言わない」
拗ねた子供じゃあるまいし、と思いながらも唇を尖らせて、INORANはRYUICHIを睨んでみる。
「えー、じゃあねじゃあね」
笑いながらも少しだけ瞳に真剣さを混ぜて、RYUICHIは楽しそうに考え始める。
そして、ほんの少しの間を置いて出てきた言葉は、こんなものだった。
「『お腹すいた』、かな?」
「うわ、当たり。なんでわかったの」
なんとも脈絡のない唐突さで落とされた言葉は、INORANの考えていたことそのもの。
INORAN自身も、話の内容とはかけ離れたことを考えていた自覚はあった。
だからこそ思いつかないだろうと思ったのに、見事に当てられてしまったのである。
どうしてRYUICHIに見抜かれたのかがわからず、INORANは半ば本気で驚いてしまう。
しかし、INORANの反応にもRYUICHIは笑顔を崩さない。
「なんでって……俺がそう思ってたから、INORANもそうかなって」
「なに、RYUもお腹すいてんの?」
「うん。だって昨夜ご飯食べたの一緒だったじゃない」
そう言えばそうだった。
言われてようやくINORANはそのことを思い出す。
昨夜はRYUICHIと外食して、RYUICHIの家に来てからワインを少しだけ飲んだ。
その後ベッドに入ってから今まで、食べ物はなにも口にしていない。
まさかRYUICHIも同じことを考えていたとまでは思わなかったけれど。
「じゃ、どっか食べに行こうか?」
RYUICHIの家の冷蔵庫に食材がないことは確認済み。
出かける方が早いことはINORANもRYUICHIもわかっている。
起き抜けからずっとしがみついていたベッドから抜け出して、二人で身支度を整えた。
「ねぇ、歩いて行ける所にしようよ」
「この辺に食事できるような店ってあったっけ?」
玄関を出たところでRYUICHIがそう提案してきた。
あまりこの辺りに詳しくないINORANが問うと、RYUICHIは小さく頷く。
歩きだと少しかかるけど、と言いながら二人はRYUICHIの愛車の前を素通りした。
よく晴れた湿り気のない空気の中を、INORANはRYUICHIの後について歩いていく。
「珍しいね、車出さないの」
「うん。月が綺麗だから」
振り向いて綺麗に笑ったRYUICHIが、ふわりと空を指差した。
その指の先、淡い青に透けるように、月が出ていた。
「……ほんとだ」
人が「普段」という名の忙しなさの中で、つい忘れてしまうもの。
風の匂い。土の音。水の柔らかさ。生きているモノの気配。
昼の月と、夜の太陽。
それらを、RYUICHIはいつも見失わない。
自分とは違うところをまた一つ見つけて、INORANはわずかに口元を引き上げる。
だからこそRYUICHIなのだろうし、だからこそ好きなのだ。
たぶん。