青少年有害社会環境対策基本法案に関する個人的見解。
なんて堂々と書いてしまうと大仰だが、事態そのものはけっこう大仰になっていると思う。
「青少年(中略)法案」については、各種の問題点がすでに様々なメディアで取り沙汰されているし、
俺が見た限りのそれらの意見については異論らしい異論もあまりないので(細部までいくとあるけど)
ここでは放置。そういう意見各種を見たい人はとりあえずこのページ下方のリンク参照。
で、俺個人としての意見はと言えば、基本理念の方向性以外については反対。というちょっと微妙なポジション。
「青少年(中略)法案」の基本理念は法案の第一章
第三条に見える。それはいいのよ。
青少年(この法案では十八歳未満と定義)に悪影響を与え得るメディアがかなりの野放しであることに間違いはないと俺も思うし。
なので、基本理念の方向性には賛成だ。かなり賛成だ。
が。
言い方が気に入らない。その、人を上からしか見てない物言いはなんとかならんのか。
青少年は「守ってやらなきゃいけない」存在で、それを取り巻く健全な環境を「維持してやらなきゃいけない」わけ?
……すんごい偉そうだと思うのは俺だけか。
国会議員というモノは偉いんじゃないと思うんですけど。だって人間だし。
肩書きが偉いだけで、中身まで偉いわけじゃないだろ。なのになんでこんなに偉そうな言い方なんだ?
なので、方針のみに賛同。言い方と態度が気に入らん。
さて、それでだ。俺がこのページで言いたいのは、法案そのものについての意見とはちょっと言い難いことだったりする。
まぁこの法案の必要性がどこにあるのか、とか、実際に成立し施行された場合どのくらい有効なのか、とか
そういった問題にもちょっとずつ触れることにはなるだろうが、言いたいのはそれがメインじゃなくて。
この法案の存在が明るみに出たことで、思い出してしまった問題についてである。
法案がきっかけで思い浮かんだ個人的な意見、ということで。
具体的には、犯罪年齢の低下問題の原因についてって言っていいかな。
この下に続くのは実際、そういう話だ。
この問題もきっかけの一つとなって、「青少年(中略)法案」が編み出されたんだろうし。
法案内に明記はされてないが、よもやまったくの無関係とは誰も言うまい。
だが、この法案の狙いはまったく別のところに向いてしまってるように思えてならん。
実際に、犯罪年齢の低下問題がこの法案誕生のきっかけだったと仮定して、この法案に見える規制がしかれた場合。
犯罪年齢の低下、未成年による大人顔負けの犯罪の数々が食い止められるか。
それが非常に疑問なのだ。疑問っていうかもう絶対無理だと思うがな。止まるかよ、そんなんで。
じゃあ、青少年を取り巻く「有害社会環境」じゃないとしたら、犯罪年齢の低下問題の原因はどこなのか。
これについて思うところがあるのね、俺は。というわけで、行きます。
さー悪口言うぞー。
法案そのものの問題だとか、犯罪年齢の低下問題についてだとかってことを語れるほど、
俺には法律関係の知識もなければ犯罪心理学等の心得もない。
同じくこれについても知識はほとんどないも同然なんだが、何故か経験だけはあるので、これで語ります。
そもそも子育ての初期段階・幼児期のしつけに問題があるんじゃねぇのか?
という点ね。
未成年による犯罪の報道を見ていると、ここ数年で特に問題視されているのがこれでしょう。
「犯罪を犯した子供自身に、罪の意識が薄い」
これ。よく見ます。聞きます。ほんとに増えましたね。いっぱいあります。
(公私を問わず)物を盗ること及び壊すこと・他人になにかを強要すること・他人を傷つけること・命を奪うこと。
一般常識をきちんと身につけているはずの、恐らく大多数の人(含未成年)ならすぐに、「これらの行為=悪」と定義できるだろう。
その善悪の認識は、ごく幼い頃に「こういうことはやっちゃだめ」とこの上なく分かりやすい形で植え付けられた言葉と、
それを習慣化することに成功したその人自身の努力の結果であって。
……こんなふうに書くとまどろっこしいが、常識ってものはそうやって備わると思うのよ。
細分化していけばもちろん、自分のクラスとか町内とか職場とかでしか通用しない常識とか、
一家庭でしか通用しない常識、なんてものももちろん出てくるが、
こういった簡単な善悪の認識なんつーもんは、常識のそのまた基本くらいのところに位置するものだろう。
ところが、ここ数年の「罪の意識が薄い」という未成年。どう考えてもこの常識の基礎ができてない。
できてたら犯罪を犯すことが善なのか悪なのかくらい判断できるはずだろうし。
それ以前に、なにをしたら犯罪になるのか、ということも判断できるはずだろうし。
でも、その判断ができないから犯罪を犯しても「自分はなにか悪いことをしたのか?」と首を傾げることになる。
では、善悪の区別もつかないような未成年が存在する、その原因はなにか。
幼少時のしつけに問題があったから、という結論に行き着くのは俺だけか?
ここで実話を一つ。
うちの地元には某大学の、幼稚園から中学までの付属校がある。地元ではそこが一番いい学校とされている。
まぁそうだよな。でも高校がないからエスカレーターで大学へは上がれないんだけど。
で、その付属小の子がある時、公立図書館内で駆けずり回って騒いで、館員に注意されたんだそうだ。
後日、その子の親が出張ってきたという。
曰く、「うちの子に注意なさったそうですけど、なんでうちの子がそんなことを言われなきゃいけないんですか。
うちの子は付属ですよ!」
開いた口が塞がらないとはこのことだ。その当時、子供が小学校の何年生だったか知らんが、馬鹿の極致。いや、親がね。馬鹿でしょ。
閑静極まりない公共機関で、大声ではしゃぐことは悪いこと、他の利用者の迷惑。
こんなことは、知ってる子なら幼稚園児でも知ってる。
っていうか俺は知ってたぞ。物心つく頃には、週に一度は必ず図書館連れてってもらってたしな。
加えて、ちゃんと入り口に平仮名で書いてないか?
「としょかんは みんなのばしょです。しずかに りようしましょう」ってーな類の注意が。
なのに、小学生にもなってその付属小の子はこの常識を知らなかった。これが「悪」だということを知らなかった。
それ、親の教育の問題じゃん。
「どうしてそういうことを学校で教えてくれないんですか」と教育機関(幼児教育を含む)に食ってかかる親もいると聞くが、
独身・子無しの俺でも言えるぞ。
そんなの親の仕事に決まっとろーが。
ここで、半ば私見になってしまうけれども、子供の発達について。
先に断っておくが、これは親戚や近所の子供たちを見てきた経験と記憶に基づく意見である。
断じて育児書や雑誌の通りではないし、もちろんこれが正しいだなんて言う気はない。
これよりずっと早い発達ペースの子も、もっとずっと遅いペースの子も、いて当然。
あくまでも「20人前後の子供を見てきた一個人の感覚」と捉えてもらいたい。
で、だ。
家庭環境、幼児本人の心身、養育者の心身に特筆すべきことがない状況で、文字通りすくすくと幼児が成長した場合。
自らの意思表示というか、簡単な「Yes, No」が表せるようになるのが、だいたい生後12ヶ月前後だ。1歳だよ。
例えば、ご飯食べさせてもらってる時に「最初の一口はごはん、次の一口はおかず」といった具合に、
養ってくれる人に注文つけて、自分が望まないものを差し出されると口を閉ざすとかね。(←従妹がやってた)
そういった、自分の欲求に直結した「Yes, No」は1歳前後で表せるようになる。
もちろんこれは、言葉での意思表示に限らない。
泣いて嫌がるとか首を横に振るとか絶対に口を開けないとかっていうのもNOの意思表示だからね。
で、それに加えて「自分がやっていいこと、悪いこと」の区別がつき始めるのが2歳から3歳にかけて。
この辺になると、自分で扱える物があることを知って興味対象が広がるし、
外で走り回ることも増えて行動半径が急激に広くなる。
その中で、例えば「ストーブに触っちゃだめ」とか「一人でお風呂場で遊んじゃだめ」とか
「一人で外に出ちゃだめ」とかっていう禁止事項が増える反面、
食事・着替え・排泄などの生活習慣で幼児本人がやりたがることも増える。
ポイントはここだ。
ここで、如何に「善悪」の区別をつけるかだ。
こんなに小さなうちに、もう簡単な善悪の区別はつけられるはずなのだ。というか、ついてて当たり前なはずなのだ。
無論、子供に分からないようなことでまで善悪の区別を植え付ける必要は無い。
子供の生活に出てくる「いいこと・わるいこと」の区別を教えてやればいいのだ。ただそれだけのことだ。
一見「わるいこと」と思えそうなことでも、例えば食べ物にするために動植物を殺すことは、人間にとって完全悪ではない。
けれど、善でもない。その辺も説明してやれば、「基本的には他のイキモノを殺してはいけない」という知識が子供に備わる。
身近なことを例に挙げて、善悪の区別を含む簡単な常識を徐々に植え付けていく。それがこの時期のしつけの基礎だと俺は思う。
子供が子供同士の社会を形成するのは、この後である。
幼稚園・保育園・保育所では、年少組さんはその年度内に4歳になる子供。
つまり、それ以前は家庭とよく行く外以外の社会をあまり知らずに育つ子供がいる、ということだ。
子供の一部は、もっと小さいうちから保育施設による保育を受ける。
が、その子供たちとて集団生活を意識するのはだいたい2歳前後からで、
その前はひたすら「先生と自分」を優先するので手一杯ってな状態になってるんじゃないだろうか。(この辺ちょっと曖昧だが)
子供同士で遊ぶこと、遊びの中でルールの存在を知ること、子供同士で折り合いをつけることなどを学ぶのは、早くても2歳児クラスだろう。
つまり、年少組に入る頃には、簡単な善悪の区別や各種の生活習慣はすでに「家庭である程度身についた状態」であることが「当然」。
だったはずなんだけどね。そうじゃない現実はどのくらい前からあるんだろう。
ここに、乳幼児に対する家庭でのしつけが行き届いていないという現実がある。
問題はこれだ。
話を未成年による犯罪のところまで戻そう。
「犯罪を犯した未成年に罪の意識が薄い」ことの原因は、ここまで遡らなければならないケースもあるんじゃなかろうか。
「雑誌や漫画に影響されて我慢がきかなくなった」からわいせつ行為に走った、なんていうケースもあるそうだが、
そんなの理由になるのかよ。
それ以前に、「我慢するだけの理性」を自分の中に育む必要があったんじゃないのか。
そしてそれは、幼児教育の段階からやらなきゃ備わらないものなんじゃないのか。
ここまできてようやく「青少年(中略)法案」の話に戻る。
だから、幼児教育の段階での問題を完全に無視して、媒体を指定しない全メディアを対象に規制しようったって無駄なんじゃないの?
っていうのが俺の意見。
すでに、大人相手にも犯罪を犯せるほどの年齢に、常識が欠落したままの子供たちは育ってしまっている。
もう未成年から脱した年齢の人だって多い。事実、常識欠落児童は今年25歳になる俺の同級生にもいた。
そういう未成年と元未成年に、幼児教育を一からやり直したって意味はない。
年齢に見合った再教育を施すと同時に、犯罪を犯してしまった人に対してはきちんと責任追及することも必要だろう。
加えて、その親。親の責任問題も明るみに出すべきだと思うよ。
「なにも知らない、子供が勝手にやったことだ、あんなことする子だとは思わなかった」なんていうのは言い逃れに過ぎないだろう。
打てる手を打たずに甘やかして常識を植え付け忘れた親の責任はちゃんと問うべきだと俺は思う。
ただし例外はあるだろうけどね。本当にどこをどう探しても親に責任のない未成年犯罪だってあると思う。
が、前述の某付属小学生の親みたいな場合は絶対、親にも責任あるからな。そういうとこをきっちりと。
この「青少年(中略)法案」をネットで知って以来、賛否両論を主にネット上で拾い読みしてるけれども、
賛成派の特に「親」という立場の人に言いたい。(っつってもこんなサイトに書いても読まない可能性大だが)
「親」ってのは、「子供」に関するすべての「責任と義務」だけを背負う理不尽な立場であることを自覚してほしい。
その「義務」の中に、「幼少時のしつけ」という名の常識教育が入ることを理解してほしい。
それは他の教育機関の仕事でもあるよ、たしかに。
例えば、学校でやっちゃいけないことを乳児に教えたって意味ないしね。
保育機関で、あるいは教育機関でしか教えられないこともあるよ。
でも、それ以前にまず「親」の仕事なんだよ。
それをしないまま集団生活に子供を放り込むなら、教育機関がしつけしてくれない、なんてほざく権利はない。
「親」というのはそれほど理不尽な立場だけれど、その立場故の「責任と義務」を果たしてくれないと、常識欠落した子供が増える一方。
その点だけは是非ご理解いただいた上で、子供の年齢的にまだ間に合う人には、
ちゃんと自分で善悪の区別がつけられる子供に育ててほしい。
そういう育て方ができる人が増えて、善悪の区別がちゃんとつく子供が増えるために、この「青少年(中略)法案」は役に立つのか?
答えはNOだと俺は思う。
むしろ、法案が成立して施行された場合、「わるいもの」の見本が存在しなくなったら。
常識植え付けるのに成功した親でも説明に困ります。説明に困ったら子供には理解させられません。
よって「青少年有害社会環境対策基本法案」、不要と考える。
ただし、この法案。一つだけ、活用方法次第でかなり有効になるんじゃないかと思う場所がある。
狭いスペースながら品揃えが豊富な、コンビニ。ここ。
「青少年(中略)法案」を気にして以来、そのつもりでコンビニ店内見てみると、
「それ、意味あんの?」とツッコミ入れたくなる場所が、まず間違いなく存在する。
成年向け雑誌のコーナーである。その雑誌のラックに小さく小さく張り紙。
「この棚の雑誌は18歳未満のお客様にはご購入いただけません」
これが目立ってない。……だめじゃん。
更に、俺が知ってる店舗の一つでは、成年向け雑誌のラック上部に文庫・コミックスが並ぶ。
文庫の中にはタイトルにモロに「淫乱」とか入ってるようなのも存在するのはご承知の通り。その並び方が問題。
成人男性向けの文庫本の隣に「ONE PIECE」コミックってどうよ。それはいくらなんでもまずかろう。
この文庫本、なかなかクセモノで、文庫だけラックを分けている店舗もあるが、
成年向け作品の隣にお構いなしに「動物占い」とかあったりするんだよな。いや、それはどうなわけ?
ちなみに文庫だけのラックを置いている店舗では、文庫のラックには「18歳未満のお客様には〜」という注意書きもない。
……ないよな、「動物占い」なんかも一緒だもんな。
ある店舗ではなんと、文庫のみのラック上で艶かしいお姉ちゃんが飾る表紙をわざわざ見えるように置いていた。
実はそれ、小学生の目線の高さだということに気づいてないらしいところが悲しい。
こういった現状の改善を促して、各種の過激な情報が不意に子供の目に入る機会を減らそう、なくそうとする
っていうんだったらいいんだけどね。それはとても有効だと思う。
だが、「青少年(中略)法案」はそんなレベルじゃすまない規制をしくためのものに思えてならない。
情報の置き場所をちゃんと区別して、不意に子供の目に入るケースを減らそうとかってレベルじゃないよね、この法案。
各種の情報が世に出ることそのものを規制するための法案に思えるんだよな。
それはやりすぎ。それ以前に見当違い。
表現者と表現されたもので飯食ってる人や、情報を発信する側に立ってる人が悪いんじゃないだろ。
各種の過激な表現を野放しにしてきたから青少年犯罪が増えたんだと言うなら、もっと数は多いはずだろうしな。
面白いことに、ネット上で反対意見を出している人の中には、この法案で守られるべき現役未成年も多くいる。
その「子供たち」の意見を見ていくと、大体の人がちゃんと自分の頭で判断した上で反対を表明している。
まぁ短絡的に極論に走ってる人とか、法案の原文や各種の情報を見ないまま又聞きの話だけで考えてる人とかいるけどね。
けれど、それでもちゃんと「自分で」判断してる。
中学生くらいから上の意見が圧倒的に多いが、そんな世代でもちゃんと考えてる人はいるのだ。
守られるだけじゃなく、ちゃんと自分で物事を見極められる人が。
まだ10年ちょっとしか生きてなくても、自分の意思をしっかり持てる人が。いるんだよ、沢山。
っていうか、そう育つのが本来望ましいわけで。
そういうふうに育ててもらえない子供がいる現状をどうにかする方が先じゃないのか。
だからこの法案は見当違いだと言うんだ。
法案で「有害社会環境(としか書いてないから厳密にはナニを指すのか分からんけどな)」とされる
メディアに関わる大人だけが悪いわけじゃないのにな。
というわけで、見当違いも甚だしいと思えてならん「青少年有害社会環境対策基本法案」。
俺は概ね反対である。
二〇〇二年四月九日 もり。
参考リンク ※この他にもかなりの数のサイトが公私を問わずあるので色々見てみるとよろし
・青少年有害社会環境対策基本法案全文(毎日新聞) http://www.mainichi.co.jp/digital/yuugai/01.html
・青少年社会環境対策基本法を上程(自民党HP内) http://www.jimin.jp/jimin/wv2000/policy/dataroom/001.html
・参議院議員 大島慶久ホームページ http://www.home.cs.puon.net/y-ooshima/
法案についてのページはここ→ http://www.home.cs.puon.net/y-ooshima/03katudou/clm04n01.htm
・衆議院議員 奥山茂彦のWebサイト http://www.yamabikonet.gr.jp/
法案についてのページはここ→ http://www.yamabikonet.gr.jp/KOKKAI/2002/_0222/0222_2.html
・「メディア規制」の危険性を訴え、反対を呼びかける(中京テレビHP内) http://plus1.ctv.co.jp/bro/index.html
・言論3法+2 http://members.tripod.co.jp/event0307/
・青環法(案)反対 http://www3.to/zasshu
・今、そこまで来ている危機 http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Miyuki/7276/
・表現・言論の自由を脅かす規制法案に反対 http://www.geocities.co.jp/AnimalPark/1555/