ま と め

19世紀後半、造形芸術に顕著となる反リアリズム的潮流は、20世紀初頭になって多くのモダムズム運動に発展し、1910年代のドイツ語圏では表現主義が起こり、芸術分野のみならず、思想や文化にまで影響を及ぼす運動となりました。

この主に若い世代に担われた前衛的なモダニズム運動は、権威主義的伝統に基づく階級制度、政治体制の立ち遅れ、急激な経済発展による社会の歪み、帝国主義政策伸張による戦争に対する危機感といった時代状況を背景に生れ、根強く残る権威主義や、市民社会の打破が目的とされました。汎芸術領域に同時多発的に出現したこうした運動の特徴は、極度に興奮した感性表現と慣習的芸術技法に対する破壊傾向にありました。

しかし、表現主義における伝統破壊は、芸術様式を破壊することのみが目的だったのではなく、それはかつて経験したことのない時代的苦悩や世界的な終末感を背景として、芸術家によって求められた内的必然性に基づくものだったと言えます。

表現主義文学においても、作品のモチーフや抽象化において表現主義絵画との類似点は数多く見られますが、それは文学が絵画的技法を取り込んだというよりも、時代の持つ共通した生活感情の現れであると考えられます。また、文学における表現主義の発生には、時代背景のみならず、象徴派や未来派の文学理論の影響を色濃く受けていることからも明らかなように、文学独自の発展によるものも多分に関与していました。

こうした文学における表現主義的な傾向の現れを、トラークルの作品分析を通じて考察してみた訳ですが、その詩形においては伝統的な押韻詩から自由律詩へという流れが明瞭に見られたものの、それは意識的に伝統的な韻律を否定したというよりは、テーマにおける「滅び」の世界の深まりと対応するものであり、文法的にも一部の例外を除いて著しい形式破壊は見られませんでした。

しかし、テーマにおいては戦争や大都会のモチーフ、反社会的なものや醜悪なものの積極的な取り込みといった、表現主義に特徴的な要素が随所に見られ、トラークルの下降的な滅びの世界は、彼の詩人としての資質と、危機的時代背景が密接に結びついて生じたものと言えます。また、彼の中後期の作品では、日常と非日常的世界が混在し、各行の意味的連関は失われて感覚的な要素が著しく増加していますが、そうした作品も詩全体の流れから捉え直すならば、明確なテーマがその根底に潜んでいることが分かり、表現主義の特徴のひとつでもあった激しい精神性の高まりもそこに見出すことができます。

トラークルの作品に頻繁に用いられ、表現主義的傾向の現れと考えられている色彩語については、象徴主義の影響と共に極めて現代的な抽象化が見られました。そのWeiß(白)、Blau(青)、Purpur(深紅)といった色彩語の一部には、慣習的な意味も気分的価値も含まない、ある種の暗号のような抽象が現れていますが、それらは概念的価値をすべて失っているという訳ではなく、彼の作品世界全体から包括的に把握するならば、非常に感覚的なものとはなっていますが、そこにはまだ象徴的な概念が含まれているといえます。

また、トラークルの作品には各行間の意味的連関は失われる傾向が見られましたが、個別の単語間の繋がりは殆ど失われておらず、作品としての概念的価値はぎりぎりのところで保持されていると言えます。しかし、こうした抽象化傾向はダダイズムやシュールレアリズムにおいて更に徹底化され、言葉は意味的連関も概念的価値も喪失し、純粋に感覚的なものにまで解体されるのであり、その潮流は現代まで継承されることになります。

以上、表現主義的傾向を軸に、トラークルの作品を見てきましたが、最後に表現主義の終末について簡単に触れてこの考察を閉じることにします。

表現主義は第一次世界大戦でトラークルをはじめとして、Stadler、Stramm、Lichtensteinといった優れた詩人や、その他にも多くの芸術化を失い、1920年代に入ると世代交代や、表現主義に対する反動から時代の波が新たなレアリズムを求める方向に傾いたことなどから衰退の道を辿ります。そして、ある者は新即物主義に、またある者は他のモダニズムの運動に吸収され、1933年にヒトラーが権力を掌握すると退廃芸術であると見なされ徹底的な弾圧が加えられ、その命脈を絶たれることになります。

表現主義は後に多くの問題点(例えば、表現主義において革新的であったのはそのポーズだけであった、表現主義は階級間の闘争を世代間の闘争にすり替えたところに問題があった、表現主義の精神はファシズムに通じるものであった、etc)、が指摘されますが、こうした経過や表現主義における政治的、思想的な背景、日本における表現主義の受容、あるいは現代における影響などについては今後、取り組んでみたいテーマです。

 

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