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来迎寺に停車中の列車です。0番線から魚沼線は発着していました。
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来迎寺に停車中の「さよなら列車」と信越本線の下り普通列車、信越本線の115系も当時はもちろん国鉄色です。 |
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来迎寺を発車した「さよなら列車」、右端には貨車の姿も見えます。まだ越後交通の貨物輸送も健在な頃でした。 |
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来迎寺〜片貝間の列車、来迎寺を発車したDCは右に大きくカーブして信越本線と分かれます。
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片貝に停車中の列車、魚沼線の駅は全て一面一線で交換は無く、有人駅は片貝と西小千谷でした。
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高梨に停車中の「さよなら列車」、線路の雪は融け春の気配も感じられる頃ですが雪の消えたころ魚沼線の姿は有りません。
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高梨〜小粟田間の「さよなら列車」、豪雪地帯の路線だけあって3月下旬でも線路脇は雪の壁です。
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撮影場所がよく思い出せないのですが、西小千谷〜小粟田間だったと思います。
魚沼線では末期はキハ47+キハ58の2連がさよなら列車も含めてよく見られました。
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西小千谷近くの踏み切りにて、雪の壁の間から姿を現した列車、快速と表示されていますが快速列車は有りませんでした。
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西小千谷駅です。黄色電話も懐かしい。
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西小千谷に停車中のキハ58+キハ35、本来の用途からするとちぐはぐな組み合わせですがこんな編成も見られました。
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西小千谷に停車中のキハ45+キハ52、魚沼線では色々な系列の気動車が使用されていました。
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西小千谷に停車中のキハ58、西小千谷駅は小千谷市街地からそんなに離れていない所に有りましたがローカル線の終着駅といった雰囲気は充分でした。
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昭和59年3月31日夜、来迎寺に到着した最終列車が回送されて行きました。これで魚沼線の歴史は終わり。そしてこれ以降JR発足までの間、全国的に赤字ローカル線廃止の嵐が吹き荒れることになります。
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