三条の歴史人物

石川雲蝶

彫刻師。文化11年(1814年)江戸、雑司ヶ谷に生まれました。名は安兵衛といいます。彫刻師といっても彫り物大工で主に神社・仏閣の彫刻をしていました。若い時から彫刻の腕は優れていたようです。当時の身分制度から石川の姓があったということは刀を持つことも許されていたことになります。雲蝶(うんちょう)は号ですが、いつから名乗ったかは定かではありません。
 法華宗総本山本成寺で修築が行われました。その時同寺の檀家・世話役であった金物商内山又蔵は彫刻の名人である雲蝶を説き伏せて、三条へ連れて来たと言われています。雲蝶36歳の時でした。 彼は本成寺の蓮如院に住み込みながら仕事をし、「白牛」など数多の彫刻を残しました。残念ながら雲蝶の傑作は焼失して今はありません。安政年間に内山又造の紹介で四ノ町酒井家の婿となりますが、仕事のため家に居ることが少なかったようです。嘉永6年には長女ナミを儲けています。そして雲蝶42歳の時、永林寺に入りそこで数々の傑作を創り上げて行くのです。
 明治13年、三条古城町のランプ屋から出火、それが大火となって、古城町は勿論の事、四ノ町にあった雲蝶の家までも燃えてしまうのでした。
 ところで針倉山永林寺のホームページに面白い逸話が載っていますので、ご興味のある方は閲覧してみてください。エピソードの通り彫刻の技術は大変優れていましたが無類の酒好きで、いつも飄々としていたようです。明治16年(1883年)四ノ町で没しました。享年69歳でした。

 雲蝶の作品は一見の価値があります。下記の場所で鑑賞できます。
主な作品 
●西福寺開山堂 (小出町)「承陽大師一代記」 
●秋葉三尺坊(栃尾)の大彫刻 /永林寺 (魚沼市)の「天女」他
●吉野屋石動神社の「竜と波に千鳥」ほか多数