<欧風気動車アルカディア>
1988年3月30日に火災事故を起こした
JR東日本新潟支社の欧風気動車「アルカディア」をご紹介します。
炎上する「アルカディア」 (新潟日報より転載)
1988年3月30日、当時小学生だった私は同級生のJ君、T君と3人で長岡駅旅行センターが主催した
「ちびっこ一人旅・アルカディア号で群馬サファリへ」というツアーに参加しました。その群馬からの帰路に火災事故は発生しました。
時刻は午後6時過ぎ、上越線の新清水トンネルを通過した直後
1号車のキロ59−508のハイデッキ展望室部分より突如煙が上がったのです。
私はその1号車の展望室ではないところに着席していたのですが、「煙だ!」という声が聞こえたので振り返って見てみたら
展望室の方から煙がもうもうと立ち込めているではありませんか!その煙はあっという間に1号車全体へ広がりました。
列車は越後中里−岩原スキー場前間の大きく左にカーブしている地点に警笛を鳴らしながら緊急停車。
「荷物を置いたまま、2号車のサロン室へ避難してください」と添乗員の方から指示があったので
我々1号車の乗客は、荷物を1号車に残したままサロンへ一時避難しました。
乗務員の方々が消火器を手に1号車へ向かい、何とか消火させようと努力されましたが、消火器では火を消すことは出来ず
最終的には消防車の出動を列車無線で要請するしか手立てがなくなってしまいました。
結局、乗客はデッキから線路へ降り、歩いて避難することになったのですが、サロンに避難していた1号車の乗客は
サロン内が土足厳禁だったため、全員が靴を脱いでいる状態だったのです。
そのため車内の照明が消えてしまった中で自分の靴を探すのは
添乗員さんの懐中電灯の明かりのみが頼りだったので本当に大変でした。
暗闇の中、何とか自分の靴を見つけ出して線路に降り、越後湯沢方面へ歩いて避難します。
まだ線路の周りには1メートル以上も雪が残っており
線路から見える岩原スキー場のナイター照明が印象的だったのを今でも覚えています。
1キロほど歩いたところで踏切があり、そこから何とか線路外へ脱出し
その踏切のすぐそばにあるロッジでJRの手配した迎えのバスがくるまで待つことになりました。
私はロッジの外で消火活動を眺めていましたが、消防車が到着後も火の勢いは一向に収まりません。
結局アルカディアは45分間燃え続け、1号車・キロ59−508を全焼して鎮火しました。
火災の原因は排気管の異常な過熱により、周りの部品が溶けてしまったためと記憶しています。
残されたキロ29−505とキロ59−509の2両は盛岡で新たに1両を加え再改造され、「kenji」として活躍しているそうです。