鮎釣り師の独り言         片貝 三尺球  


 最近中高年を中心に山登りがブームとなってきている。深田久弥の百名山がそれに火をつけているようでもある。私もその年齢にさしかかっているが自分の意思で山に登ろうと思ったことはまだない。しかし月に一度名水を求めて車で山越えをする。こんなところに滝があったのか、こんな身近にブナ林があるのか、新緑のころに見る青葉の美しさはたとえようのないものである。年をとるにつれて自然の中に身を置く機会が増へ、また自然を素直に感じ取ることができるようになった。現代社会は、人と自然の間に次々と垣根を作ってきているが、それに反発するかのように自然を求め、自然に回帰しているように思える。

 小さい時よりテニス、卓球、ゴルフなどボールを追いかけるスポーツが好きだったので、自然に親しんだり自然を相手に何かするということがなかった。そんな私に転機が訪れたのは十五年ほど前、ガンセンターにいた頃のことで、それは鮎釣りへの誘いでした。釣りといえば、小学校のころ竹ざおで三十センチの鮒を釣った事を覚えていますが、それ以外印象に残ることはなかったようです。同室の胸部外科医と塩野義の某氏に攻め立てられついに陥落。五万円ですべての道具を揃へ、鮎の入門書を一冊読んで、これで本当に大丈夫なのか不安であったが、そんなことはお構いなしに、まず始めることが大事といざ出陣。自分の趣味に引き込むときの常道は、相手に考えさせる余裕を与えず、まず行動させることなのかもしれない。

 その日はうす曇で、こんなに早くからと思う時間に集合。胸部外科医二人、大学の技士、塩野義の某氏そして私の五人。皆が集まると一言二言言葉を交わし、それぞれ車に乗って走り出す。何処へ行くとも言わず、ただついてこいという事らしい。目指すは阿賀野川の上流か。国道からそれ、民家の脇の細い道を通り、地図には載っていないような道を抜け、いつのまにか河原へ出ていた。この道は今でもよくわからない。河原に着くと皆の動きが急に早くなり、まず誰かが運んできたおとり鮎をそれぞれの囮缶に移し、それを川に活け、竿の準備をし、糸をはりそしてそれぞれ囮缶を持ってパッと散っていった。残ったのは私と塩野義の某氏だけ。川の見方、危ない場所、ハミ痕、初心者の釣りやすい場所を簡単にレクチャーして、おとり鮎に鼻管を通して「それじゃ先生がんばって」と某氏もいなくなってしまった。阿賀野川は、太く短い大河なので流量が多く変化に富み、大鮎が棲む荒瀬も多い上級者向きの河川である。いまでも怖くて一人では行かないようにしている。鮎はいっぱいいたようだが、その日は坊主(一匹も釣れないこと)。

 翌日も同じメンバーで同じ場所で鮎釣り。同じ手順で始まり、違ったことは、私をいっぱしの鮎釣り師と見なしてくれたことである。昼食時に、女性二人を伴ったM氏(その当時胸部外科医)が現れ「おまえ誰だ」「小児科の太田と申します。宜しくお願いいたします」河原では新参者は仁義を切らねば受け入れてもらえないことがわかった。この日もまったく釣れない状態が続いた。鮎釣り名人と云われる大学技士氏曰く「先生よくやるね、最初はみんなそうさ」とお褒めの言葉をいただく、かといってああしろこうしろとは全く言ってくれない。これが職人の世界、うまくなりたいなら俺の技を盗めといっているようであった。鮎釣りは石についている居付き鮎の縄張りの中へおとり鮎を近づけ、それを排除しようとする鮎との絡み合いを利用した釣りです。つまり川底から三十センチ以内におとり鮎を誘導してやらなければならないのです。今思へば私のおとり鮎は川の中層から上層を吹流しのごとく泳いでいただけに過ぎません、これでは何時まで経っても釣れるわけがありません。しかし私にも幸運がめぐって来ました。おやっと思った次の瞬間,竿が下流へあっという間にのされ、支えきれず竿と一緒に川を下ることとなった。どうやって鮎を取り込んだかは定かでないが、二匹の鮎が入ったたもを抱いて河原に座り込んでいた。頭の中は真っ白、膝はガクガク、心臓はバクバク、腰が抜けた状態になっていた。生まれてはじめてこんな興奮を覚えた。そんな顛末で最初の鮎釣りが終わった。そしてまた一人鮎に魅せられた人が誕生した。毎年、解禁日が近づくにつれ胸が高鳴り、解禁前夜は興奮して眠れず、夏の間だけ漁師になりたいと夢想する有様です。

 最後に私の釣りの師である開高健氏の著書「オーパー!」に載っていた中国の古い諺を紹介します。

 一時間、幸せになりたかったら 酒を飲みなさい。

 三日間、幸せになりたかったら 結婚しなさい。

 八日間、幸せになりたっかたら 豚を殺して食べなさい。

 永遠に、幸せになりたかったら 釣りを覚えなさい。

 
                                      (1999.7.20 ぼんじゅーる)




心に残るゴルフ
 


 今回、パートナーとダブルベリアという幸運に恵まれ、平成10年度医師会会員ゴルフ大会で優勝することができました。パートナーの皆さんありがとうございました。優勝の弁ということですが、ゴルフの思い出でこれに替えたいと思います。

「フォレストを避ける小児科」

 約20年前、小児科医局始まって以来の最初のコンペ。各自、真新しいクラブを引っさげ、付け焼き刃の練習を重ね、自信満々で望む。結果は、プレー時間がハーフ4時間を越え、ゴルフ場より次回はちょっと・・・と云われ、その約束を今でも律儀に守っている。

「真空切り」

 その数年後の話。紫雲ゴルフ場にて朝一番のスタート。堺杯(小児科医局コンペ)の第一組のオーナーのティーショット。第一打空振り、一同大爆笑。第二打空振り、続く第三打、真空切り、そしてボールが転げ落ちる、みんな真剣な顔。第四打、ボールが前へ飛ぶ、どっと歓声が沸く。このコンペのその後を予感させる出来事でしたが、キャディさんの教育よろしく無事進行。

「池ポチャ」

 歴史ある県の小児科コンペでの一幕。紫雲ゴルフ場の池越えショートホール。0氏のティーショットが池の手前へ。池を越えるとすぐグリーン。第二打ポチャ、四打目ボチャ、六打目ボチャ、「すいません、池の向こう側にドロップして打ってもらえますか」キャディきんの言葉にだれの反対もなし。コンペでルールが変更になったのはこの時が最初で最後。

「イップスにならない方法」

「このバットが外れても死にやしない」と自分に言い聞かせて力ップめがけて強めにヒット。プレッシャーがかかるどんな場面にもこの殺し文句が大いに役立つ。

「走馬燈の・場面」

 0氏との熾烈な戦い。一打リードで迎えた最終18番。ティーショットは私がフェアウェイ真ん中、0氏は左のラフ。私の第二打は砲台グリーンを捉え、急いでグリーン上へ。カップまで5m、勝利を確信して相手の二打を待つ。100ヤード先のラフより放たれた打球は、期待に反し、グリーンヘオン、そしてカップへ向かって転がり、旗竿にガシャ、旗竿とカップに挟まりカップインしないままご主人様を待つ、実によくできたボールである。最後の土壇場で絵に描いたような逆転劇、開いた口が塞がらないとはまさにこの場面でしょう。0氏日く「死の間際に、この場面が走馬燈のごとく出てくるんだろうな」

                      (1998.10.20 ボンジュール)






           心に残るゴルフ(其の二) 

 秋晴れの中、すばらしいパートナーと3発のOB全てが隠しホールという幸運に恵まれ、医師会のゴルフコンペで優勝することができました。パートナーの皆さん、色々お騒がせいたしましたが全て皆様のお陰です。本来は優勝の弁について触れなければならないのですが、ゴルフをやっていない、これからやってみたいという人々のためにゴルフの楽しさを述べてみたいと思います。

「神々の洗礼」 ゴルフにはさまざまな神が登場してきます。初心者がまず出会うのは、水神様です。ティーショットで目の前に池があると必ずと云っていいほど、どなたかが池に捧げ物をします。ルールでは池の後ろにドロップして打ちなおすのですが、繰り返し貢物をする人が多いためローカルルールで池を越えた向こうから打たせるところが多いようです。これは本人の技術向上を妨げるものですが、ある面ではそのルールを歓迎してもいます。その他には、森の神、魔女のすむ森など、大叩きの原因を作ります。信仰心が足りないためか、神々との対話を大切にするためか定かではありませんが、いずれにしてもリピーターが多いようです。かく云う私もいまだに人には知られたくない神々を信仰しています。最後に忘れてはならない神に、山の神がいます。帰宅の際には十分な配慮が必要です。

「結果オーライ」 ゴルフで不思議なことは、ショットを失敗して、OBを打ったり、池に入れた時は自分のミスを大いに悔しがりますが、ミスショットが木にあたったり、土手にぶつかったりしてボールがフェアウエーに出てきたり、カップの近くに寄ったりするとミスショットが急に"ナイスショット"に変わります。ミスシヨットを打った本人もスーパーショットを放った時の顔になってしまいます。

 "上がってなんぼ"、"結果オーライ"がゴルフの面白さであり、真髄なのでしょうか。

「ホールインワン」 ゴルフをやる人なら一度はやってみたいのが、ホールインワン。だいぶ前、世界マッチプレー選手権で青木切がホールインワンを達成し、大きな別荘を贈られたことが印象に残っています。しかし青木のように絵に書いたようなホールインワンだけではないのです。小児科の医局で初めてホールインワンが出た時の話です。フォレストカントリー西の打ち下ろしのショートボール。H氏のショット。トップ気味のチョロ。打球は坂を転げてガードバンカーへ、バンカーへ入ると思いきや、縁をぐるーと回って、グリーンヘ。みんな妙な期待を持って玉の行方にくぎづけとなる。ボールがカップに吸い込まれる。しばらく誰も声が出ない。しばらくして事の重大さに気付きみんな「おめでとう。おめでとう」。どういうわけかみんな調子はずれ。このエピソードは"結果オーライ"の究極の姿ですが、神様のおふざけとも映ります。

「英国流のユーモア」 パーより少ないスコアをバーディ、イーグル、アルバトロスと鳥の名前に因んで付けたことは皆さんご存知のことと思います。ではボギー、ダブルボギー、トリプルボギーとは、この答えを知ったときは思わず笑ってしまいました。ボギーとは泥の中に脚が1本嵌まった状態、ダブルボギーは2本の脚が、トリプルとは、3本とも泥の中へ、そしてそれ以上は数える脚がないのでアザーズとなる。やはりゴルフは紳士のスポーツなのでしょうか。

「自然破壊」 ゴルフ場は自然破壊の代名詞のように云われます。この事に反論すると物が飛んできそうなので止めておきます。長岡カントリー東6番のティーグランドの傍にちょとしたくぼ地があり、そこに小さな桜の木が植わっています。春になると桜の花の周りをギフチョウがつがいで舞っています。ギフチョウは年1回桜の開花に合わせて姿を見せます。その美しく華麗ないでたちから"春の女神"と呼ばれています。来春、ギフチョウに会えるといいですね。

                         (1999.10.20  ぼんじゅ〜る)





           心に残るゴルフ〜其の三 

 秋晴れの天候と優しくおかしなパートナーに恵まれ長岡市医師会ゴルフコンペに優勝することができました。出場の皆様ありがとうございました。今回は3回目で書くねたが少なくなりましたので私事について書いてみました。

「ホールインワン」

 ゴルフを愛好する人はシングルになりたい、エージシューターの栄誉を受けたい、アルバトロスを出してみたい、県アマで優勝したい、その他様々な無いものねだりの夢を持っているものです。しかしこの中で初心者からベテラン、老若男女全てのゴルファーに叶う夢があります。それがホールインワンです。ホールインワンは心の準備のないまま突然やって来ます。本人はただただ呆然、周りはお祭りもしくは一種のしらけムード。望むものと望まないもの、偶然のアクシデントによるもの、実力で勝ち取ったものなど実に様々な状況とリアクションがあります。

 実は私もホールインワンをやってしまったことがあります。誠に悲劇的なことであり、また良い思い出でもありました。今から約3年前、所は苫小牧ゴルフクラブ南コース七番ホール。札幌で開催された小児保健学会の合間を縫って?秋晴れの中、北海道の自然を満喫しておりました。池越えのショートホールにやってきてオーナーの私は120ヤードの距離と木の葉を巻き上げる風を読み一度持った9番アイアンを捨て、8番アイアンでショット。打球は池を越えやや大き目のグリーンにオン、そして旗に向かって10ヤードほど転がり視界から消えた。同伴の若ちゃんが「入ったんじゃない」と大喜び。みんなしてお祭り騒ぎでグリーンヘ。カップを覗き込むと奥にボールがあった。ボールが覗き込む僕たちを不思議そうに見ているように思えた。

 帰宅後、妻に事の顛末を伝えると「よかったわね。ゴルフ続けてきた甲斐があったわね」「んーんこれはすごい事をしたのか」と一人納得していると「ホールインワン保険、北越の大川さんがいなくなつてもうやめたと思うよ」まあしょうがないかと言いつつやっぱり後悔。相談の結果、厄落としと我が家の愛犬をデビューさせることを兼ね「甚兵衛」と「あき」の仲良く写った写真をラベルにした特注のワインを作り、ゴルフを通じて知り合った方々へお送りした。翌年の正月には小児科恒例の「満月の会」 でみんなから記念の金貨を贈られ、お祝いをしていただいた。実に幸せでした。その乗りで翌年の秋に同ゴルフ場で記念コンペをすることとなつた。

 札幌へ出発する前日、妻がNHKで放映している「とあるビデオ」を見ながらストレッチをしていた。私もついそのストレッチに嵌ってしまい初めてでありながら第一体操から第四体操まで全てを試みてしまった。第四体操は「大腿の前の筋肉を柔らかくし、ひざ、足首の関節のゆがみを矯正する」体操で正座したまま体を後ろに倒すストレッチでした。私のように骨太で筋肉質の者にとっては非常にきついストレッチでしたが痛みがある訳でなく何回かチャレンジして俺にもできると気をよくして就眠。真夜中右膝の痛みで目が覚める。初めての経験であった。すぐにストレッチによる靭帯の損傷?と悟ったがすでに手遅れ。痛み止めの湿布とボルタレンを飲んでようやく痛みが和らぐ。急に膝が痛くなり行けなくなったとは言い出せず、足を引き摺りながら札幌へ出発。痛みのため膝が上がらず摺り足で歩くとほんの少しの段差でもつま先がぶつかり、その度に激痛が走った。年を取るとバリアフリーが如何に大切かを身をもって体験した。この状態でゴルフができるのかと危ぶまれたが、膝のテーピング、痛み止めの湿布とボルタレンそしてカートを駆使して前半50台、後半、例のショートホールまで1オーバーできて、ここでトリプルを打ち無事終了。翌日は無理やり取っていただいて文句も言えないが、北海道にあるまじきひどいひどいひどいコース。朝の第一組のスタート。左ドッグレッグの狭いミドル。バッフィーでナイスショットし、ショートアイアンでパーオン。落差20ヤードもありそうな二段グリーン。ファイブパット。少し切れ掛かっているところへ突然雷が鳴り出し、雨が降ってきた。「危ないからやめよう」キャディは知らん顔。茨城ならすぐに避難所へ行く状況。その後もショットもパットもめちゃくちゃ。そしてワンオンできるミドル。三人に一人がツーオンするロング。コースもめちゃくちゃ。バブルの落とし子でクラブハウスだけはご立派。極めつけは、クラブを送るため宅急便の手続きをしている間に、傍に置いておいた手荷物のバッグが行方不明に。正に踏んだり蹴ったりであった。悪いことはその後も続いたが、ある事を境にぴたっと止まり好転した。

 その後ホールインワン保険に入り、ショートコースを前にすると間違っても人らないようにと念じっつ、かといってグリーンをはずしたくない複雑な気持ちでショットを楽しんでいる。この次のホールインワンではもっと面白いこと、楽しいことがあるのではと夢想しながら。

                       (2002.10.20 ぼんじゅーる)