忙しい生活
私達の日常生活は、何かに追われているように、毎日忙しい忙しいと言って生活しています。お父さんお母さんは仕事に忙しく、子供やおじいちゃんおばあちゃんまでもが、時間におわれています。
しかし、どんなに忙しがってみても、どんなにがんばってみても、一日は、一月は、一年は、あっという間に過ぎていってしまいます。
こんなはずではなかったのに、と思ってみてもどうにもなりません。
先人は、このことを無常迅速といわれました。無常のスピードがすごく早いということです。
日本人は、無常ということについて、悲しいとか寂しいとかいうイメージを持っていますが、本来の無常というのは、すべてのものが同じ状態で続くことができないということであって、無常には悲しいとか寂しいなどのマイナスの意味はありません。赤ちゃんが生まれることも、平社員が出世して社長になることも、無常がさせるのです。ですから私たちの生活はすべて、良くても悪くても無常なのです。
お釈迦様は、すべてが無常だと言われましたが、まさにそのとおりだろうと思います。
この無常の世界にあって、あっというまに人生が終わってしまったということがないように、しなければなりません。
そのためには、人生に喜びや生きがいがなければなりません。忙しい忙しいの日常を少し変えてゆかなければなりません。
喜びや生きがいは、どうしたら得られるのでしょうか。
それは、本当の喜び、本当の生きがいを持って生きて行かれた、私達の人生の先輩である、親鸞聖人や祖師方の言葉に、私自身を問いただしてゆくことが、大切なのではないいでしょうか。
私達は、お金や財産、地位や名誉ばかりを求め、生活していますが、一番大切な自分の心を忘れているのでないでしょうか。忙しい忙しいと言って、動かしている手を少し休め、たった1度だけ恵まれた自分の命を見つめ、人生を振り返ってみることも大事なことでしょう。本当の意味での幸せを見出し、生まれてきてよかった、といえる人生を歩ませていただきましょう。
人として、生を受けるは難く
やがて死すべきものの
今、命あるは有難し
『法句経(ほっくきょう)』