オサマ・ビンラディンに利用される「男だけの世界」(リオネル・タイガー,Slate) 2001/10/03
どんな社会システムにとっても最も厄介な課題のひとつといえるのが、若い男たちをどう扱うかである。他のどんな集団と比べても、いつだって最も不安定で感受性が強く、エネルギーにあふれ、社会に対する要求が強い割には政治的に不器用ときているからだ。目上の者にとってはトラブルの種となるし、お互いの間では容赦ない争いを繰り広げる(ウェスト・サイド物語の不良グループ、シャーク団とジェット団や、ウェスト・コースト・ストーリーのブラッド団とクリップ団がいい例だ)。暴走行為や飲酒、麻薬乱用で、公共の秩序をいつも危険にさらしている。
そんな彼らが社会に受け入れられるような大人となるよう、多くの社会が苦しい儀式や試練を若者に課して来たのだが、驚くほど凄惨な内容もめずらしくない。ネルソン・マンデラは自伝の中で、15歳のときに割礼を受けて初めて、部族の長として生まれた事実を受け止めることができたと書いている。筆者は、しごきや新入りに対する儀式で仲間の男たちから暴行を受けた青年の訴訟で何度も証人をつとめたことがある。なかには、四肢まひが残ったケースもあった。だが、こうした残忍な儀式に耐えて初めて大人として、次の段階である恋愛や結婚に進めるようになる社会も多い。
一夫多妻制なのに女性の人口が少ないという事実
ビンラディンのテロリズムは、若い男たちの混乱状態を利用したものである。政治的熱情と性的エネルギーを結合させて激しい推進力にしているのだ。アルカイダももちろんメンバーは全員男性で、互いに強い絆(きずな)を結んでいる比較的若い男たちの集団がいくつも含まれているようだ。こうした絆は、任務から来る秘密性や危険性によって脚色され強まっていく。アメリカ陸軍のレンジャーや海軍のSEALなど高度な訓練を受けたエリート部隊同様、人里はなれた過酷な環境での軍事訓練の中でふるいにかけられ残った者だけが昇格を認められる。選抜されれば羨望の的だ。過激とはみなされてもイスラム教徒として申し分のない信任を得ることになり、訓練で聞かされてきた歴史の潮流に参加できるからだ。多くの場合、みじめなことの多い生活の中にあって、教え込まれたとおりに育まれた野心と、自らが受け入れた指導者への傾倒から生まれる目的意識に匹敵するものなど、他にあろうわけもない。
男だけの世界でもやっていける背景には、テロリストたちの生まれ育ったイスラム社会の多くにみられる強い性差別がある。イスラム社会といってもさまざまだが、性差別の傾向はきわめて強い。異性間の接触は厳しい倫理規定できつく制限されている。女性は顔をベールで覆っているだけでなく、その行動も制限されている。したがって、男性も女性も異性とかかわり合いを持つことはきわめて少ない。その結果、同性に大きく依存することになる。
大半の社会で大方の男性は結婚しているか、少なくともしようとはする。だが、一夫多妻制の社会ではそれほど簡単ではない。権力者が4人もの妻を独り占めしてしまうため、あぶれた男たちは土曜の夜ばかりか、常にデートの相手を見つけられない羽目におちいる。たとえば、オサマ・ビンラディンには実に4人のお相手がいると考えられている。そのうち最も新しく加わったのは、まだティーンエージャーで、熱心な神学理論家らしいとされている。また、アフガニスタンでは男性の人口が女性の人口をはるかに上回っていることも、一夫多妻制とならぶ大きな障壁だ。そのため、ビンラディン一派の者たちの中には、比較的禁欲的な生活に慣れるしかない者もいるわけだ。
ラディンにとって好都合だった若者の「純真」
そうした若者の性衝動と生殖能力を、政治的に些細な問題と片付けてしまうわけにはいかない。あまり「進歩主義」とは見なされていない国であるにもかかわらず、アラブ首長国連邦は創意に富んだある施策を実行し始めた。この国では同胞の女性と結婚しようと思えば、実に4万ドルにも上る贈り物や祝宴、儀式を用意しなければならない。こんな金額は、わずかの例外を除いて、まず払いきれない。そのため、多くの者が外国人の女性をめとることになるのだが、これは政府にとっては望ましくない傾向だ。そこで現在、同国人の女性と結婚する男性には、結婚式に必要な負担をまかないきれるだけの資金を政府が援助しているのである。この施策からは伝統的な方法での結婚がいかに難しいかがうかがえる。
だが、ビンラディンらはそうした結婚手当てなど払ってくれない(ただし、自爆テロを行った者の遺族にはボーナスを出している)。そのため若いメンバーとしては、恐ろしくインパクトの強い死をもって勝利を手にしようと共にまい進する仲間たちに、感情面および社会的な支えを求めるしかないのだ。
テロリストたちの献身と自己否定は、男ばかりの強烈さという試練の中で培われたものだ。ハンブルグからクリーブランド、リマ、ハバナ、ジャージー・シティへと移動していった彼らは、暗黙の仲間意識を共有していた。同じトレーニングを受け、同じような窮乏生活に耐え、共に砕け散って天国に行くのだという共通の展望をもつ仲間たちだ。宗教的な純粋さを貫いて激烈な自爆テロを決行するのだという甘酸っぱい考えも、彼らに共通している。つまり、彼らは孤独な精神病質者などではなく、まるで制服のような匿名性を一様に身にまとった、狂った特殊部隊なのだ。彼らが共有し作用し合う、渦巻くばかりのエネルギーと宗教的絶対主義。それは、灼熱の太陽の下で涼しい場所を求める若者たちの欲求を外へと転じ、自分たち以外の社会で無差別に異教徒を攻撃させようとするビンラディンのような策士にとっては、実に役に立つ力となる。
彼らは「なにか偉大なこと」を求めている。職はほとんどないし、経済は貧困ときている。また、崩壊寸前の社会だって、動かしているのは、汚職にまみれた皮肉屋や、わが子にだけはフォアグラを食べさせているような独裁君主、あるいは古代の書物を引用することが行動だと思い込んでいる神官たちだ。そんな中にあって、ラディンの呼びかける行為は、そのどれよりもはるかに素晴らしく映るのだろう。
アメリカ化に対抗し、倒そうとする者
状況は変わっていくのだろうか。貧しく「目を離せない国家」には、精神的・神学的勝利という象徴的な領域にしか贅沢(ぜいたく)と呼べるものを見出せないでいる若い男たちが無数に暮らしている。彼らはせいぜい、我慢できるギリギリの生活を手にするのがやっとだ。感覚的にも物質的にも危険だとして指導者たちが隠そうとするが隠しきれない存在「アメリカ!」とは比べるべくもない。「Great
Satan」(グレート・サタン)とは直訳すれば「強大な誘惑者」という意味になる。アメリカやその生活様式の一部に取り込まれる代わりにそれを倒そうとするのは、選ばれたごく一部の者だろう。それは、最も怒れる者や最も孤独な者かもしれないし、最も信心深い者や最も理論好きな者かもしれない。
アメリカを倒そうと決めた者には、ビンラディンのキャンプのように人を鼓舞するような教育機関が門戸を開いて待っている。こうした機関に属すると、その危険性ゆえに興奮がかりたてられ、やりがいのある組織だという感覚を覚えるようになる。仲間たちは感情面でのよりどころとなってくれるし、若さと自暴自棄が交わる時に生まれる荒々しいエネルギーをどこに向ければいいのか、はっきりと示してもくれる。
彼らの武器は基本的に、強烈さと狂信的傾倒であり、普通の戦士が持っているような目に見える装備ではない。アメリカをはじめとする各国の軍隊には、これまでとは違う相手を見つけ出し、対峙して、打倒することが求められている。