3 オチョレコの灌漑小規模農業振興プロジェクト施設〜ケープコースト城・エルミナ城

ガーナの農業はGDPの約40%を占める基幹産業であるが、大部分は雨水に依存する小規模農業であるため、天候に左右されやすく、輸入作物と競合するなどその成長率は停滞している。灌漑事業区についてはガーナの灌漑開発公社が管理しているが、水の管理や営農技術の未熟さ、予算の削減などの状況にあって農業生産は減少している。そこでガーナ政府は既存の灌漑地区の機能を回復し、農民自身で施設を維持管理し、持続的に営農技術を確立できるよう日本政府に要請してきた。オチョレコはそのモデル事業区である。
 ガーナの南部に広がるギニア湾には、15世紀から18世紀まで続いた奴隷貿易に使用された植民地時代の城塞、要塞がいくつも残っている。初期は美しいビーズ玉と物々交換で、その後は動物のように狩りの対象とされてヨーロッパ(産業革命後の労働力)、キューバ(砂糖きびのプランテーションでの労働力)、アメリカ(綿花産業の労働力)へと連れていかれた。その中でも世界遺産に指定されているケープコーストとエルミナを訪れた。

★8月2日(土)

8:00 広瀬(JICA職員)、孝森(家政)、木村(理数科教師)さんがバスに同乗しオチョレコへ向かう。写真・ビデオ撮影については配慮しないと大変だと教えられる(勝手に撮影して最悪の場合バスを囲まれることもある)。バスが止まると物売りが集まってくる。売り子の頭上の大きな籠に積まれたアイスウォーターを発見、売り子は10000セディ(150円位)の日収で働いている。道中、協力隊員からガーナの学校の様子について教えてもらう。
(談:3学期制<1学期9〜12月、2学期1〜4月、3学期5〜8月>である。夏休みは校長の気分次第で早まったりする。学校は7:30に始まり14:30に終わる。朝食10:00昼食14:00夕食18:00くらい。アクラからケープコースとまで昔は原生林が続いていたが、現在は減少し、平原が目だつ。違法伐採が多いらしい。)

10:00 オチョレコの灌漑小規模農業振興プロジェクト施設へ。人工の湖が広がっているだけで、実際に農業に使用されている様子は詳細に確認できない。湖では洗濯をしている女性の姿があった。

12:25 ケープコースト城(奴隷輸出のための収容所)着。海の香りがはっきりと鼻をつく。町には活気があり、売り子達がバスを見て何かを叫んだりしきりに手を振っている。食事に時間がかかるので、オーダーを先に済ませ見学することにする。広場を囲んで白壁が一面に広がる。提督の墓が中央に祭られている。150Fの収容面積に約2,000人が男女別に出航までの間約3ヶ月も閉じ込められていたらしい。トイレは垂れ流し。奥に進むと暗がりに祭壇が、現地の神を祭ってあるらしい。門番にさかんに寄進をするようにと言われた。そとに出ると霧が立ち込める中に荒波が激しく打ち寄せている。砲台はすべて南を向いている。雨季だというのから、さすがに泳ぐ人はいないのだろう。展示室でケープコースト城の歴史を垣間見る。昔は金、植民地時代には南部はカカオ、北部は労働力(奴隷)が狙われたのだ。

15:00 エルミナ城着。陸橋を渡って中へ。ケープコーストとは異なり、中庭を高い白壁が囲む形である。前庭は余裕があるつくりで海には出やすくなっている。外には漁港が見え、子どもたちはサッカーに興じている。さすがブラックスターの国だ。
17:00 タコラディに向かう。道端には木材屋や家具屋がやたら多い。ここで孝森さんに環境インタビューを行う。
☆問1「どうしてこんなにゴミが多いのですか?」
 答 アクラの一部では街を掃いている人がいるからゴミは捨ててもいいんだろうという感覚の人が多い。ゴミは途上国にしては少ない方だ。理由は再利用しているからだが将来的には問題になるだろう。生活することが最優先でそれどころではない。当然社会保障はない。感覚は昔の江戸っ子的なのかも知れない。
☆問2「ガーナにはヨーロッパや日本のセコハン(自動車、冷蔵庫などの中古)がどうして多いのですか?」
 答 品質がいいから。日本では廃棄物でもガーナでは違う。廃棄物でも日本・ヨーロッパのものは良い(ガーナのものはだめ)らしく人々はそっちを求めるので、ガーナではなかなか国内産業が育たない。ただし、再利用して使うけれど、電圧が違うのですぐに壊れる。
☆<参考>孝森さんが、生徒にある製品を上手に作ったらお金をやると言ったら、その時は盛り上がったが、結局やった生徒はゼロ。理由は面倒だから。ガーナ人と日本人は国民性が異なる。これは気候や価値観の違いにもよるのだろう。ガーナ人はよくかわいそうという理由で人に物を施すことが多いのだとも話していた。