心に刻まれる、深い詩と美しい旋律
―小椋佳の音楽の世界―
香りを持たない花と言われるシクラメンに、あえて彼は
『かほり』と言うフレーズを入れた。そんなところに、
彼の深い詩の世界を感じることができる・・・。
 
    管理人宅に咲くシクラメンの花/Photo/Koback
1975年(昭和50年)、布施明が唄って大ヒットした、
『シクラメンのかほり』という曲がある。誰しも、一度は
耳にしたことがある曲ではないだろうか?

真綿色した シクラメンほど すがしいものはない・・・

この曲を作詞・作曲したのが、小椋佳である。それまで、多く
の素晴らしい作品を手掛けながら、ヴェールに包まれていた小
椋佳を、世に知らしめた名曲である。本来の彼の本業、それは、
作詞家でも作曲家でもなければ、歌手でもない。現在は職を離
れ、音楽、学問、芸術の世界に身を置いているが、元を辿れば
東京大学出身のエリートサラリーマンとして、仕事に専念する
傍ら、自らの研ぎ澄まされた感性と才能で、独自の音楽の世界
を切り拓いていったのだ。自ら唄う一方で、多くの歌手やシン
ガーソングライターに作品を提供し、ヒットを生み出したこと
でも知られている。先述の『シクラメンのかほり』は、その代
名詞的存在であるが、他にも、美空ひばりの『愛燦燦』、中村
雅俊の『俺たちの旅』、梅沢富美男の『夢芝居』。詩の提供と
して、堀内孝雄の『愛しき日々』、井上陽水の『白い一日』な
どが挙げられる。いずれも、耳にされた方は多いことと思う。

彼の創造する音楽の世界、それは、何気ない日常だったり、青
春時代の素晴らしさ、恋の楽しみ、悲しみ、或いは愛の形など、
あらゆるシーンを我々の心情に重ねて捉える奥深い詩と、それ
を生かす美しい旋律の世界・・・。簡明直截なフレーズに混じ
って、ときに彼の詩は、その奥深さ故に、難しく感じるフレー
ズもあるかもしれない。実際のところ、彼の曲を繰り返し何度
も聴いている管理人にも、難解な詩は多いように思う。しかし、
それは、彼が言葉を飾り立てて難しくしているわけではないと
思う。それは、彼の『言葉』に対する感性が、詩を高めるとき。
ときに言葉は、文字という媒体だけでは完全に表現できない、
言い知れない感情を持つことがあるのだと思う。そう、言葉も
生きているのだ。それを感じ取ったときに生まれる、彼の美し
い詩の世界。それは、決して現実に有り得ない、現実味を帯び
ないから虚構、虚飾・・・と言うのではなく、ただ生きた言葉
を、彼の感性で表現しているのに過ぎないのだ。

・・・香りを持たない花と言われるシクラメンに、あえて彼は
『かほり』と言うフレーズを入れた。香りがないのに?何故?

一説によれば、愛妻家の小椋佳は、妻であるかほりさんの名を
詩の一節に使いたかったからであるという。彼の、愛する妻に
捧げる想いが、あの曲でカタチになったという。管理人には、
確かめる術もないが、彼らしい温かみを感じるエピソードであ
るし、確かにそうなのかもしれない。しかし、彼の持つ、言葉
に対する感性を考えたとき、もしこの一説と異なっていても、
香りを持たないと言われるシクラメンに、あえて『かほり』と
言うフレーズを用いたであろう。あくまでも管理人の勝手な推
測なのだが、そのように考えても不思議はないのだ。

現実に香りがあるかどうか、それは問題ではないのだ。シクラ
メンの花が持つ可憐な美しさ、そこから漂う香気は、嗅覚を通
して伝わるものではなく、心に直接伝わり、刻まれる香気だと
思う。小椋佳の奥深い詩と、美しい旋律の世界は、そのような
感覚で味わうと、より素晴らしさを実感できると思う・・・。


◆管理人が好きな小椋佳の作品◆

『しおさいの詩』詞・曲/小椋佳
しおさいの浜の岩かげに立って しおさいの砂に涙を捨てて・・・

『さらば青春』詞・曲/小椋佳
僕は呼びかけはしない 遠くすぎ去るものに・・・

『うす紅色の』詞・曲/小椋佳
うす紅色の恋をして 一度位は泣いてみたい・・・

『シクラメンのかほり』詞・曲/小椋佳
真綿色したシクラメンほど すがしいものはない・・・

『海辺の恋』詞/佐藤春夫 曲/小椋佳
こぼれ松葉をかきあつめ をとめのごとき君なりき・・・

『白い一日』詞/小椋佳 曲/井上陽水
真っ白な陶磁器を眺めてはあきもせず かと言って触れもせず・・・


その他多数。いずれの作品も、心に刻まれるよいものです。
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