太陽・作

二人だけでは、まだ遠乗りに出てはいけない、と父ジャルジェ将軍からきつく言われていたが、オスカルとアンドレは二人きりで遠乗りに出かけた。

「アンドレ、早くこいよ。」
「待ってくれよ、オスカル。俺まだ乗馬下手なんだから・・・。それにだんな様にばれたら、どうするんだ。」
「大丈夫さ、父上は国境近くの駐屯地まで行っていて、しばらく留守だからな。」
「でも、・・・おばあちゃんだって、心配するし・・・」
「まったく、お前は相変わらず心配性なんだから。あの丘の上まで行ってみよう。」
「じゃあ、あそこまで行ったら、帰ろうよ。」
「わかったよ。」オスカルは馬の腹を蹴った。
アンドレは、慌ててついて行く。
(まったく13歳になっても、相変わらずの無鉄砲なんだから)

「アンドレ、あそこに馬車が・・・。」
「車輪がはまって動けないんだな。」
「よし、行ってみよう。アンドレ。」

馬車の側には深緑のしっとりとした森を思わせるようなドレスに身を包んだ一人の貴婦人が立っていた。ゆたかな黒髪に漆黒の瞳の穏やかでとてもやさしそうな雰囲気を漂わせた、美しい婦人だった。

「マダム、お困りですか?」オスカルが声を掛ける。
「ええ、とても。馬車が動けなくなってしまって、屋敷に使いを出そうにも馬が動けなくては。」
「私は、オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェ。私がお屋敷まで使いに参りましょう。」
「私はBETHと申します。そうして頂けると、とても助かりますわ。マドモアゼル・オスカル。」
「え? 私は女に見えますか?」
オスカルは、生まれて初めてマドモアゼルという言葉を聞いて、驚いていた。
「もちろん、そんな男装をなさっても、とても男性には見えませんが?」

 オスカルは、彼女に屋敷までの道を聞くと、アンドレと二人で使いに走り、屋敷で用件を伝えるとすぐ彼女の馬車まで戻った。

「オスカルさま、どうもありがとうございました。大変助かりました。」
「いいえ、どう致しまして。」
「明日お二人で遊びに来て下さいな。お待ちしていますわ。」
「明日? アンドレ、どうする?」後ろを振り返り小声で聞く。
「俺はどっちでも、お前の好きにすれば。」
「うん、わかった。」
「では、マダム・BETH。明日お伺い致します。それでは、今日はこれで失礼します。」

次の日。オスカルとアンドレはマダム・BETHの屋敷に向かった。
「私はマダム・BETHにもう一度会いたかったのだ。なんていうのかな、私の心の中まで見通されているような。そんな感じがするのだ。かといってそれがいやな訳ではなく、ほっとするような。」
「ふーん、お前のことを一目で女だってわかった人も珍しいしな。」

「お待ちしておりました。昨日は本当に助かりました。」
屋敷の中は異国情緒に溢れていた。
「マダム・BETH。お国はどちらですか?」
「東洋の日本という国ですわ。」
「日本」
「ふーん。」
オスカルとアンドレは珍しいものがいろいろあるので、キョロキョロと辺りを見回していた。
「これは、剣ですか?」
 「そうです。日本の刀と言われるものです。」
「あの、これは?」
オスカルが衣桁に掛けられた鮮やかな色打掛を驚きと憧憬で手にする。
「これは、着物といって日本の女性の衣裳です。」
 「すごくきれいですね。全部刺繍なんですか? 色鮮やかで繊細で・・・」
 うっとりと見惚れる。
 「やはり女の子ですね。美しいものはお好きですか?」
 「いいえ、違います。」
慌てて、色打掛から手を離す。
 「私は父の後を継ぐために男の子として育てられているのです。ですから、このようなものに興味があるなどと、父に知られたら叱られてしまう。」
「まあ、そのようなこと。美しいものは、美しいのですわ。男でも女でも。性別など関係ありません。」
「でも、私は・・・」
「私が今日あなたたちをお呼びしたのは、実は何かお礼がしたかったからなのですわ。」
「お礼?」
「そうです。昨日私は大変困っておりました。あなたたちが声をかけて下さらなかったら、どうなっていたでしょう。ですから、あなたたちの願いで、私に出来ることがあれば叶えてあげたいと思ったのです。オスカルさま、あなたは何かございますか?」
「いいえ、別に・・・。」
「そうですか? 私には何かあるように思いますが。」
オスカルの蒼い瞳を静かに見つめる。
「・・・・・・あの、・・・」
自分の望みを見透かされたような気がして、つい声を出してしまう。
「はい?」
「本当になんでもいいのですか。本当に?」
「私にできることであれば。」
「私は先ほど言ったように、生まれた時から男の子として育ちました。そして今13歳になりました。あの、この話は父上には絶対に内緒でお願いします。」
「もちろんですとも。お約束しますわ。」
「それで、私も一度でいいから・・・、あの・・・姉上たちみたいに・・・、あの・・・」
「ドレスが着てみたい。ですわね。」
「ど、どうしてお解かりに?」
「当たり前ですわ、女の子ですもの。着てみたいと思うのが当然です。そんなに美しくお生まれなのに。」
「マダム・BETH。ありがとう。私がこんな望みを持っていると母上が知ったら悲しい思いをなさるだろうと思って。だから今まで誰にも言えなかった・・・。」
オスカルは、マダム・BETHに縋り泣き出した。
「かわいそうに・・・、こんなに小さな望みなのにね。」
マダム・BETHは、やさしくオスカルを抱きしめ、頭を撫でてやった。

「オスカル・・・。」
アンドレはオスカルの願いを知って、胸が潰れる思いだった。
大貴族の令嬢に生まれながら、ドレスを着ること。そんな当たり前のことが、この先もきっと叶わないのだろう。

最近特に女の子だなと思うことが多くなってきた。
柔らかく木目細やかな白い肌、丸みを帯びてきた身体つき、声のトーンも甘く変わってきている。女性として、今まさに匂い立つように花開こうとしているオスカルが、これから先は軍服に身を包んで生きて行かなければならない。そのことが、アンドレには不憫でならなかった。

「オスカルさま、安心なさい。あなたの願いは私が叶えてあげられます。10月2日は私の誕生日なのです。その日に舞踏会を開きます。そこにあなたはドレスで出席して下さい。彼をパートナーとして。よろしいですか?」
「でも、私はドレスなんて持ってないし・・・。」
「ドレスの準備は全部私が致します。彼の分もね。小物も総て用意します。ですから、当日あなたのお屋敷まで私の家の馬車がお迎えにあがります。そうしたらお二人はいつもの姿でお越しください。私の家で着替えて、舞踏会に出席して下さい。その後また着替えてお屋敷にお帰りになれば何の問題もないと思いますよ。」
「ありがとう、マダム・BETH。本当にいいのですか?」
「もちろん、私にお任せください。」
「アンドレ君、あなたの望みは?」
「私は、彼女の幸せが望みです。ですから、彼女の願いが叶えば、私の願いも叶います。」
「そう、もう立派な紳士なのね。では、それでよろしいわね。」
「はい、オスカルをよろしくお願いします。」
「彼女が好きなのね?」彼だけに聞こえるように耳元で言った。
「はい・・・。」真っ赤になって答える彼。
「彼女をずっと支えてあげてね。これからが本当に大変なのだと思うから。いつかきっと、あなたの本当の願いも叶うと思うわ・・・。」
マダム・BETHはうれしそうに笑った。

「それでは、サイズだけ今日測っておかないと。」
そう言うと侍女を呼び、オスカルとアンドレの採寸を済ませた。

オスカルは、10月2日を浮き立つ気分で心待ちにしていた。

当日、予定通り馬車が二人を迎えに来た。
ばあやの計らいで、深紅の薔薇の花束とワインをプレゼントに持って、二人は馬車に乗り込んだ。
屋敷に着くと、二人は別々の部屋に通された。

オスカルは、何人かの侍女に囲まれ、下着から整えられていった。
そして、ドレスが着せられる。オスカルは初めてのその絹の感触に胸がときめいていた。
見事な黄金の髪も結われて、真珠の髪飾りで止められる。
ヒールの高い、絹のミュールも生まれて初めて履いた。
彼女が動くとドレスがさやさやと歌った。何もかも初めての感動だった。

「素晴らしいこと。さあ、鏡をどうぞ。」マダム・BETHが声をかける。

鏡に映った自分の姿にしばらく呆然としていた。
侍女たちからも賞賛の声が上がる。

あんなに憧れたドレス。
姉上たちや母上と一緒だ。私もドレスを着ている。
鏡に映った今日の私は、ちゃんと女の子に見える。
いつも鏡に映っていた、悲しそうな目をした男の子じゃない。

きれいなサファイヤ・ブルーのローブ・ア・ラ・フランセーズ。彼女の瞳と同じ色。
ふくらみ始めたばかりの真っ白い胸元にサファイヤの首飾りが飾られ、ドレスを引き立てる。
耳もサファイヤの耳飾りで艶やかに彩られる。
肘から下は、たっぷりとした白のレースで飾られている。
所々に配された白のレースと真珠が一層ドレスの蒼さを引き立てている。

いつも下ろしている豪華な黄金の髪も、今日は結われ上げられて、細くきれいな首筋が見える。
うれしさに自然に輝きを増す、サファイヤ・ブルーの瞳、白い頬をほんのりと薔薇色に染め、こぼれんばかりの笑みを湛えた、愛らしい唇。
見るものを幸福にせずにはいられない、初々しいオスカルの姿だった。
押さえつけられていた白薔薇の蕾が今、神々しいばかりに美しく花開いた。

「BETHさま、彼のお仕度ができました。」
「これは、素敵にできたこと。さあ、こちらへ」
アンドレがオスカルの居る部屋に通された。
アンドレは、オスカルのあまりの美しさに声もでなかった。
彼のアビ・ア・ラ・フランセーズも髪のリボンもオスカルのドレスに合わせて、同じ色で仕立ててあった。

二人で、マダムBETHに薔薇の花束とワインを手渡し、キスを贈る。
「マダム・BETH。お誕生日おめでとうございます。そして、本当にありがとう。」
「いいのよ、あなたが幸せなら、私も本当にうれしいわ。二人揃うとまるでお人形みたいに綺麗ね。ケースに入れて仕舞っておきたいようだわ。さあ、広間に参りましょう。」

広間に現れた二人に他の客は感嘆の声を上げる。
初々しく美しい二人だった。

「オスカル、綺麗だよ。やっぱり姉妹の中でオスカルが一番美人だ。」
「本当?」
「うん。」
「月の女神様みたいだ。」
「お前もなかなか似合うぞ。」
「そうか? 何か恥ずかしいけど・・・。」
「アンドレ、ドレスって動くと音がするんだよ。ほら、さやさやって。」
「オスカル、俺ダンス下手だけど、踊って下さい。」
「はい・・・。」
差し出された彼の手を取って、本当に幸せそうに、女性のパートを初めて踊るオスカル。
「ドレスって、ちょっと動きにくいけれど、とっても幸せな気持ちになれるんだ。」
「よかったな、オスカル。」
「アンドレ、お前の黒い瞳に蒼いドレスの私が映っている。ふふ・・・。」


「マダム・BETH、あの初々しく美しい二人は、どなたですの?」
「そうね。私の誕生日に神が特別に遣わして下さった、天使かしら?」

広間で幸せそうに踊る二人。
その姿をマダム・BETHは複雑な思いで見つめていた。

普通ならちょうど社交界にデビューする年頃。
きれいなドレスに憧れる、ピュアな心を持つ女の子。
でも、明日からの彼女はドレスではなく、軍服を纏わなければならない。
自分の意志からではなく、家の為に、父の為に。
あまりに聡明な彼女の事、今日を限りに自分の気持ちを抑えて、本心は誰にも悟られずに生きていくのだろう。
薔薇の蕾が、せっかく美しく花開いたというのに・・・。

アンドレは、オスカルと踊りながら想った。
このまま女性としての人生を過ごさせてやりたい。
でも、彼女には平凡な人生は用意されてはいない。
その事は、充分に解っていた筈なのに。
それならば、俺はこのまま彼女を支えて生きていこう。
この想いが決して叶えられることはないとしても。
この命終わるまで、ずっと・・・。

オスカルは、アンドレと踊りながら想った。
今日だけは、ドレスを纏い、女性として過ごそう。
明日からはこの気持ちは完全に封印してみせる。
誰にも決して気取らせはしない。
それが、逃れることのできない、私の運命なのだから・・・。
誰にも手折られることのない、氷の華として咲いて行こう。
この命散っていくその時まで、ずっと・・・。

オスカルの一夜限りの幸せな夜は、静かに更けて行く。



-FIN-

 

この話は、昨年のBETHさまのお誕生日の
プレゼントにお送りしたものです。