新潟中越地震(←大震災)関係・アーカイブ

祖母逝去の当時、新潟中越地震の被災により、地元は大混乱しており…その混乱のなか、祖母は逝き、私たちは見送ったわけです。祖母の逝去は覚悟してないわけでは無かったけれども、非常に不意すぎた。そのことについての困惑を書こうとすると、被災のことを思い出さないわけには行きません。

ただ、今は少しつらい部分もあるので、祖母の死の前に震災のことについて書いたものがあるので、それをこちらでも公開します。これはドイツ在住のジャーナリスト・クライン孝子さんの日記に掲載をいただいた投稿です。

クライン孝子さんは、主に産経新聞や雑誌「正論」等に寄稿しておられ、またネット上での日記には大変アクセスが多いです。

私はクラインさんのスタンスの全てに賛同している者ではないです。
が、新潟県民として北朝鮮による拉致被害者の問題について関心をもつ上でこの方の存在は存じておりました。今回のことについては、「クラインさんの日記を通じて、被災地からの率直な声の一つなりとも伝われば…」と投稿し、掲載をいただいた次第です。

掲載いただいたこと、また掲載にあたってのお心遣いには大変感謝しております。

biwa拝
10/25発信分・1
10/25発信分・2
10月28日発信分
10月31日発信分
12月1日発信分
※おことわり:
1.
一通分、掲載を止めたものがあります。
内容の中に、小千谷からの現地入りしたボランティアの方からのメールについて書いているものがあったのですが、それがチェーンメールだと分かったのです。書いた方に悪意があったわけではないと思いますが、伝言ゲームの原理でコピペしているうちに元々のソースが分からなくなったらしいのですが…。
この件については全容をよく理解出来ませんので、とりあえずはこのような判断をしました。
2.クラインさんの日記に掲載時、直しが入ってまして…改めて自分の文を見ると確かにこれは日本語ではなかったな、とかなり恥ずかしかったものです。なので、本当は全部直したいのですが…あえて直しを入れないことにしました。こちらに残っているファイルが元なのでクラインさんの日記掲載時より変な日本文だろうと思います。ただ、これを整形してしまうと、当時のこちらの状況や雰囲気などがかなり消されるかな、とも思います。読みにくいことこの上ないんですが、どうか、ご容赦を願います。

10/25発信分・1
当方、長岡市住民です。昨日は食糧の手配と片付けと使えそうなものを探すのと、老人施設に預けていた祖母の安否確認で手一杯でした。
昨夜遅く、やっと電気が復旧、ネットにつながりました。自宅は築年数経ってなかったんで、ガラスなど割れ物の損壊とかで済んでます。炊き出しに使える石油ストーブがあってそれでしのいでいたのです。
ストーブ調理には限界がありますが、一杯の味噌汁と熱いお茶のありがたみをしみじみ知りました。火力が弱いのでご飯がダメでしたが。避難所は毛布の供給間に合ってないから、来るなら持参で来い、といった感じです。
冷たい体育館の床より車の中を選んだ人も多かったはずです。避難所はおにぎり一人一個と水は水のみ場で飲め状態だと電話で聞いてます。すごくお腹すいてると思います。
道路状況が良かったら差し入れとか出来たらと思いますが…。
地鳴りと縦ゆれが数秒続いた後、激しい横揺れが来ました。
それそのものはそんなに私は驚きませんでしたけど、規模が似たのが立て続けに第二波、三波…以降と来ていて、ここらへんは今体感で300回以上は余震があって、今も数分ごとにくるそれを感じつつタイプしております。市役所の地震計は壊れてます。ヘリの音と車の中で過ごす方があるんでエンジン音にも耳が慣れてきています(ただ、眠れるような精神状態ではないです、多分みんなキレやすくなってるか、鬱入ってるかどっちかの感じです)
水道は水圧低いですが、今使えます。ガスが難しい。
あと医療機器の損壊と医薬品の不足なんかがちょっと憂慮されます。病院なんだから電源のバックアップがなかったのかと思うんですが、それがダメで車のヘッドライトの灯りで外で治療行為をしていた病院もあったらしい。あと人工透析とかも出来る医療機関の情報が流れてないと思います。
電話会社がかなり通話規制をかけているので、電話がかかりにくいはずです。地元ラジオ局がまだ伝言を受け付けてるかも知れないです。かなり確実だった手としては、BSN新潟放送(http://www.ohbsn.com/)というところに電話すること(025-267-****から*番まで、安否情報伝言をしています。誰が誰に何を伝言したいのかをハッキリ言ってください)でした。
まだテレビを見られない方がいて、情報はNHKFM、先ほど名を挙げたBSN新潟放送のラジオがリアルタイムで伝えています。橋が落ちた、トンネルが崩落した、道路の陥没・隆起があったなどで身動きできない親族が複数いて、今かなり心配してます。
とにかく孤立化の地域は、自衛隊が救出してくれてますので死人は最小限にとどまるかと。
義弟が葬儀社で小千谷勤務ですが孤立化した地域におり、職場に電話をしたところ「悲惨でもう何も言葉にならない…」といっておられたそうです。多分、地震の被害者の方のご葬儀などお受けしてるんだと思いますが、こういう職業の人たちが絶句するくらいの惨状です。

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10/25発信分・2
掲載、ありがとうございます。被災地住民です。
前のメールで「悲惨でもう何も言葉にならない…」という葬儀社社員の言葉ですが、義弟の電話で様子が分かってきました。
小千谷市の状況。想像以上です、葬儀場の天井が落ちてしまってるそうで、仏さまをたくさんお預かりしてるのに、まともなご葬儀をあげられない。チリ焼きといって、本当にきれいに焼いて差し上げるしかないんだそうです。
その焼き場も機能してないので、県内あちこちに手を尽くしているのだそうです。聞いていて、本当に胸が痛みます。
これからも周辺あちこちの市町村からお引き受けすることがあるのに、彼らにはそれしか今出来ません。でもそれをしなくてはならないから義弟は孤立化地域を出まして、いつもは一時間そこらで着くところを泊りがけで勤務地に向かってます。夜は動くな、と警察の方に止められたらしいので。
(葬儀屋さんというと、一般の方、いいイメージないんでしょうが、例えば孤独死とか自殺・他殺体なんかのとても見られたものではないご遺体をお棺に納めているのは葬儀屋さんです。病院によっては病死した方の湯かんもしてくれない、それをするのも葬儀屋さんです。彼らは人生最後のケジメである『葬儀』を通じて人々と出会い、彼らなりの心を尽くしています)
平田さまのメールのこと拝見しました。それは先に記述しましたBSNのサイトからリンク先に行ってみてください。(URL:今は削除されている場所もあるので略します)
そして私がとても強く懸念に至っていることとして、避難所・そして車内避難をしている方々の疲労も限界来ていると思います。急ぎ、医師の方が回診いただけるといいのですが。避難所は乳幼児・高齢者を優先で入れてますが、かなり夜は気温が下がります。このままでは衰弱する方が増えます。何とか医療支援をお願いしたいです。私も今日の昼間、貧血で倒れましたが、不眠状態とストレスがかなりたたっていると思います。避難所の方はもっとつらいでしょう。
義弟からの情報だとガソリンスタンドの人も24時間以上、眠ってないそうです。このままじゃ危ないと思います。携帯についてはNTTドコモが充電器を配ってたそうです。
地震の夜、妹が自宅まで歩いてきて「お父さん、お母さん!」と私たちの顔を見て泣きました。地元民同士、誰かと会えたり電話が通じたりすると、どちらからともなく『話をしたい』という欲求が止まらない。ワッといつまでもいつまでも話してしまいます。居るのか居ないのかどうしていたのか…普段の生活でこんなに話すことがあるとは知りませんでした。
心細いのはお互いで、動ける状況の人間が動いて誰かが誰かの安否を確認している、ような状態です。今の精神状態はお互い様ですから、支えあうしかない。
メディアの伝え方については私も大変に不満です。
「『珍しいものを見せる』んじゃなくて『何が要るか』を伝えてくれ」、と怒鳴りたい気持ちです。あと、自衛隊・海上保安庁などの方には地元民感謝しています。孤立地帯の住民の救助、生き埋めの救出・遺体収容をしてくれたのは彼らです。
炊き出しにも自衛隊の方が尽力されてます。報道機関もこれはきちんと報じるべきです。長岡市内でも橋が落ちたなんていうことで火災があっても消火にいけなかった場所があるのです。市街地にも道路の亀裂、陥没・隆起がひどいもんで、緊急車両がいけない場所があります。彼らが来てくれてなければ、あの方々はどうなっていたやら。

業者が動けない分、彼らが土砂を相手に仕事してくれてます。警察・消防の方々だけではとても保ちません。
今、なかなか現地に入る方法は限られていると思いますが、もし現地ボランティアで来てくださろうという方に。どうかしっかりした靴と靴下をはいて、軍手もお持ちください。一生懸命片付けてますが、残骸が散ってることもあります。ガラスの細かいのは刺さるまでは気付き難いのです。

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10月28日発信分
こちらは長岡市南部地域ですが、近所でも助かった家は築年数経ってない家でした。古めの家が被害を受けられましたね。
あと南部地域はこれは越路町とかにもいえますが、昔は一面田んぼだったところを埋め立てて住宅地の造成がされてます。長岡市でももう少し北側の叔母の家は、玄関の戸が外れてますが、基礎から歪んでます。昔、そこはプールがあったところを無理やり埋め立ててあるそうで、あと信濃川がすぐ側で地盤がそれほど強くないんじゃないか、と。
以上のようなことで建物・地盤のゆるいところが被害を受けたのが平野部。古地図を確保して調べとくというのも必要だったのかも知れないですね。まあ地名で「水」関係の漢字が地名となっているところを怪しむことは今の地図でも出来るとは思うんですが。そういう情報は日頃まとめておくべきだったか、と思います。
山間部はもう地崩れと住民が高齢、そしてお家も新しい家が少ないですね。
慢性的過疎なのですが、そこでしかできない産物がありますし、そこで生まれ育った人はそこを離れることが非常に難しいかと。だから山古志の決断は非常に村長さん的にはギリギリだったと思います。村民逃がして良かったホッとしただなんてことで済んでないですよ。
*掲示板などで「残って牛や鯉にかまけて…」と残った方を批判する方ありますが、こういう方には地場産のものに手をつけないで頂きたいものです。
山古志の錦鯉は観賞用ではやはり高額取引される良質のものです。
そして牛についていえば、闘牛(牛の角突きですね)としてだけでなく国産の肉食牛としても大変に貴重な和牛です。ものすごい財産ですよ。それと命と…といえば命だってことは誰にでも分かってますが、物品じゃあない、生き物なんだから尚更捨てられないですよ。
農作物と違って、今年の作はダメだったが来年は…という訳に行かないからギリギリ保つ努力をしている。
*美化してると勘違いしている人にも言いたい。
これは関東などの都会に住む人には分かり難いと思う。私にも全部分からないんです。しかし出稼ぎをしても都会に出ることを選ばず、必ず村に帰ってまた農業をやる、炭焼きをやる、家畜を育てる、という人たちは、私たち「街」の人間にわからないほどにそれそのものに賭けています。
共生体といっても過言じゃない、それだけは言えます。

それを愚かと非難するのも言論の自由です。が、義弟の実家のほうももう来年の作付け自体が出来ない公算が大きい農家が多数出ています。寿司屋さんや料理屋さんが直接買い付けるほど良質な魚沼米の産地であるだけに、離れるとしたら断腸でしょう。
あえて機械化をしないのではなく、腰まで泥に浸かって耕さなくてはならないところだって手植えで田植えする場所だって存在します。
そうやって手をかけて作られたものを食べているのは誰ですか?そういうぜいたく品ともいえる産物をまず消費するのは東京と大阪ですよ!地元じゃありません!
義弟は「もう父に諦めてもらう説得をするしかない。俺が『引導を渡さねば』…」と決意をしたようなのです。お母さまが精神的にかなり参っておられて倒れかねない感じなので、山を下ろして通院先に近いところに暮らさせる手立てを講じなくてはならない、ついては90超えたじいさん夫婦も置いては行けない。
親族揃って、火急に、それをやらなきゃならなくなりました。生まれ育ち、そして共に生きてきた場所で死にたいと願っている人たちを諦めさせることがどれだけ大変か。彼らの悔しさ・哀しさを分け合い、どれだけケアできるのか…それを考えています。これからもこういう人たちは増えるでしょう。
あと今、悪循環が起こりかけてます。被災地でも自営業者の方々(全てといいません)はかなり物資を抱え込んでいます。彼らは商売で独自のルートを持っていますから、全国から支援物資は余るほどある。でも見せない。
本当に困っている人たちはご商売してない人たちです。そのほとんどは避難所にいる人たちですけども、避難所になっている場所は自治体が援助物資の備蓄にも使いたい場所…でもありまして…。しかし余震で建物被害など増えますと、避難所やその駐車場にまた人が押し寄せる心配があります。そうなると備蓄につかう建物がなくなるわけでして…。物資の仕分け・配給にも時間かかるので、避難所の人には直接行き渡らない事態となっています。今自治体がご厚意で送っていただいている物資にストップをかけざるを得ないのはそのせいでして。
あと物流は関越が通っていることから復活していると思いますが、県内全体で食料品は品薄…かも。全体に2、3割高に思えますが、こちらでは何とか買い物は出来ます。ただ、どうも石油ショックでトイレットペーパー買いだめが起こったときの話と印象が似てる気がします。
それが心配で今、外部からボランティアや支援物資を送る方々のサポートをしている方(新潟復興ボランティアを支援するBLOGさん・http://yaplog.jp/nigata/)に情報を入れてますが、地区のボランティアセンター同士の連携が取れているといいにくい。タテ割り行政の悪いところが出ている感じが致します。他に川口町など助けて欲しいところはあるのに、小千谷で押し戻す、というのではせっかくのご厚意をムダにしかねない、と申しわけなく思います。
昨日、妙見で救出された母子ですが、あれは私の自宅からでも複数のヘリの爆音が聞こえ、救助ヘリだけじゃないとは思ってました。
しかし、ヘリが必要でも代表のヘリを一機飛ばすに留められないのか、と。あの真下で作業されている方々のご迷惑でしょう。
また長岡の日赤で待ち受けていたマスコミ、生死の境で運び込まれている担架に群がってフラッシュをたくとは何事かと思います。あれは本当に搬入の邪魔ですし、どういう神経をしていたら出来るのか。命がなくなるそのとき、そしてその後、土中に埋まるまで被災民は見世物ですか…!
NHKは信濃川の対岸から撮っていましたが、それで留めて欲しかったです。
ボランティアで来てくださいます方にお知らせがもし出来たらですが、ちょっと中越は盆地気候で夜・朝方の冷え込みがきつくなってきました。ですので関東での冬支度の格好をしていただいてもやりすぎとはならないでしょう。

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10月31日発信分
今日、義弟は朝早くからご両親の説得に向かいました。 お父さまがどうしても現在半壊状態のお家に戻るときかない状態でしたので。 行く前から義弟の肩にかかったものの大きさを察してはいましたが、 お母さまのごきょうだいが説得に加わって下さったそうです。 「外観を見ても、見えるところから内部を見ても全体的に傾いたこの家では、 冬を迎えれば積雪に耐えられない、諦めなさい…」、と。
とうとう、お父さまが折れられたそうで、山を降りることが決まったそうです。 あまり降りるところが街すぎてはいけない、ということで、 ご両親の通院先の近いところに住まいを借りる方向で話がついたそうです。
義理の親族である私たちには本当に何もして差し上げられることがなく、 申しわけなく思っています。家だけじゃない、先祖の代から守ってきた 田んぼや畑を残して、どれだけ辛い思いをされているか知れないのに。 ただ、何か必要なことがあれば、いつでも手を差し伸べるつもりです。
山古志のことも涙をながしておられる方、があられましたが、 私も山古志の「牛の角突き」を見ています(あれは国の重要無形文化財です)。 よく手入れをされたつやつやの和牛たちの勇壮な姿に感動した一人です。
あの牛たちは、どれだけ手をかけて育てられたことでしょうか。 山古志小学校で飼われていた牛は救出されたそうですが、 出来るだけ多く残して欲しいです。本当に大切な文化の復興を願っています。
ライフライン復活も徐々に進んでいますが、身近に家屋の全壊・半壊などで 避難所にまだ居られる方々のお話はお聞きします。今日も知人から電話があり、 「家中が砂壁の砂でジャリジャリになっていたけれど、やっと一部屋、 過ごせるところが出来たよ…」と嬉しそうに話しておりました。
家屋の被害が少ない方は徐々に家に戻れる可能性もありますが、 近在の図書館・学校・公民館などの公共施設とその駐車場はまだ避難所と なっています。やはりまだ山間部、地盤の弱い地域の被災者の方々が平地に 来られるケースが目立ちます。
また恐怖感が大きいのか家の前で車中避難を されている方が多いのですが、ここまで医療的なケアが回るのかが心配です。 近所同士で気をつけるしかないですが、ラジオでエコノミークラス症候群対策の 放送をしてくださっているのはとても良い事だと思います。
一番大事なことですが、ネット上、またオフラインでも 全国からお心を寄せてくださる方々の多さを知り、一県民として深く感謝 しております。被害や援助のニーズに地域格差があり、またリアルタイムで それをつかんでいくことを継続することが大変なのになお頑張って下さって。
(↓地震について取り上げたことに関して中傷があったということで…:管理者注)
またクライン様、今回のことでは善意でのことに中傷される方があって、 もし私のメールの記述などが原因していたとしたら、申しわけがないです。 もし私の記述への苦情があるなら、私が頂戴いたします。 ですので私のブログのURL公開をいただいて結構です。
(以下略。私のブログにありますカテゴリについてはそのうち、アーカイブを取って公開します。この一連の話には後日談もかなりあるので、整理したほうがいいと思うので)

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12月1日発信分
地震の件では投稿を掲載いただき、ありがとうございます。
あれから私事ですが、老人保健施設に入っていた祖母が亡くなり、余震の中、通夜・葬儀・初七日が過ぎていきました。
しかし心痛むのは、被災による疲弊が様々な形で出ていることです。既に報じられているところですが、避難所に居られた高齢者の方で今まで介護を必要としなかった方が弱られたりしていることがまず一つ。
また被災の復興にいま一番動いて居られるのは建築関係の方ですが、知っている方が入院されてしまいました。その方は山古志村にお世話になった方があったそうで、テレビで水没した村を見て「何も出来ないのか…」と悩まれていたそうです。そして今度は仕事として壊れた住宅を修復に行って、まざまざと惨い被害状況を見ているうち、それが追い討ちになって大変に落ち込まれ、お仕事が出来なくなってしまったのです。
他にもひどい鬱になっている親族は数人ありますが、本当に見るに耐えません。
不眠症なども報じられていますが、いまだパジャマを着て眠れないと言っている人たちは大勢居ます。私個人も低空を飛ぶヘリの爆音に悩み、あれを聞くと頭痛がします。いまだ耳栓がないと安心して眠れないです。
勿論、疲労が身体に出る人もいて、私の義弟も今日、入院してしまいました。
被災地・小千谷での勤務の傍ら、倒壊したご実家のこと・ご家族のことでかなり苦労していたのに、祖母の葬儀で何かと便宜を図ってくれていました。
彼の親御さんに申し訳が立たない…とつらい気持ちです。

韓流については私は「嗜好の問題」と思っているので、好きな方は楽しめば良いと思ってます。ただ『単に一つのドラマの主演俳優である人の来日』を『北海道の地震災害』よりも優先して報じる、という報道番組の姿勢には大変に疑問を覚え、激怒しています。もう、一連の地震報道でマスコミの良心を信じる気持ちを失っていますが、見損ない尽くした、という感じです。
新潟は震度7で北海道は5だった、なんて問題ではありません。
実際、24人もの怪我人が出ているわけです。具体的な被害状況、現地の人たちに必要な援助について早々に報じるべきだと思うのに、そんなに一人の俳優の話題は美味しいものでしょうか?呆れています。

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