素人なりに書く日誌でも、多分役立つことがある・2 
<その人の生まれ育った環境や今までの履歴をまとめて置く>


施設によっては(入所する人への接し方への考慮もあるのでしょう)訊いてくる事もありますし、書類等に記入を求められることもあります。
@生年月日A生育環境B生活歴・職歴…などを簡潔に書いておくと良いでしょう。

以下、実際に祖母のために作ったものです。

「大正○年○月○日、毛織物会社々長の父と女学校教諭の母との間に次女として生まれる。京都生まれだが、大阪で育ち、○○女学校を卒業後、21歳で△△県職員K・Sと結婚、一男三女をもうける(長男は早逝)。旧・満州で終戦を迎え、夫はシベリア抑留、子供を連れて帰国する。翌年、夫が復員、□□省に転職、その後、転勤族の生活だった。昭和○年、糖尿病の合併症で夫が亡くなる(最後の任地はS市・A賀用水路の仕事。S病院に入院するも、失明状態となってT大学病院に入院、そのまま亡くなる)。その後、S県内でN社役員宅の賄いを三年するが、重労働に体がついて行かず、仕事をやめ、N市の長女のもとに身を寄せ、現在にいたる」

<生活の様子をまとめておく>

@食事A排泄(トイレを使えるか、オムツなのか…など)B入浴C衣類の着脱(着替えがどのくらい自分で出来るか)D歩行の様子(自力で出来るか、杖や歩行器を使っているか、車椅子に乗れる状態かなど)など、大体の様子を簡単に説明できるようにメモを作っておく方法があります。また、日頃の生活の様子、何が介護家族の悩みか、を簡潔にまとめて置くと説明が楽です。

これも実際使ったものをお見せします。ご参考になるところがあれば、幸いです。

(食事)粥食でおかずは軽いきざみを用意している。部分的に介助が必要。はしは使えず、スプーンとフォークを使っている。食べ物をほとんど噛まず、早食いのために喉を詰まらせたり、嘔吐することが多い。ここ二ヶ月は一日三食では食べられず、5〜7食に分ける形で少しずつ食べている。ラップをかけて温め直したり、やわらかいものを出して対応している。大体1時間か2時間おきに、食べたいと言ってくる。ただ、頻尿を気にして味噌汁の汁やお茶などの水分を摂ってくれないため、ゼリーや果物をなるべく多めに出すなどしている。最近、錠剤服用のときむせることがある。
(排泄)部分的に介助が必要。ポータブルトイレ、紙パンツと尿パッドを使用している。頻尿と便秘の治療を受けていたが、排便については最近、下剤を使わない自然排便になってきた。が、本人には便意が無いようで、オムツにしていて気付いていない事が多い。排尿の方も、トイレはほとんど間に合っていない様子。自分で便座に深く座れないのと、立つ時にバランスを崩して転倒することが多く、また手が後ろに回らないため後始末と衣服の着脱は自分では出来ない。半年前くらいまではひどい時は15分おきにトイレに行っていたが、この頃は1時間に1〜2回ほどのポータブル使用になって来た。夜間は寝る前と午前2:00、5:00頃に家族が介助をしているが、本人がそれ以外の時間に頼んでくる回数もあり、負担が大きい。
(入浴)⇒自宅の風呂では浴槽に入れるのが難しい。シャワー椅子には座れるが、自分で体を洗うのは無理
(衣類の着脱)
⇒衣類に袖を通す、ボタンをかけるのは介助なしには出来ない。上体を前に傾ける姿勢になってしまうと、座っていても前につんのめったり横に倒れることになる。腕で体を支えるだけの筋力がないため、そうなると自力で起きられない。ズボン等の上げ下ろしも自分でさせることは危ないかと思う。
(歩行)杖を使用、但し、家の中でだけである。玄関の段差や階段の上り下りは3人がかりの介助となる。一度、床にお尻をついてしまうと立たせるのに一人の介助ではすまない。椅子やベッドからはつかまるところがあれば立てるが、起き伏しは介助が無いと無理。一人でしようとして転倒したり、ベッドから落ちる事が多いため、家族がついて介助している。

興奮して落ち着かないときと、そうで無いときの落差が大きく、施設や病院では大変おとなしい振る舞いをしているため、在宅時の様子を分かってもらいにくい。家族の姿が見えないとか、暗くなった、雷が鳴ったなどの事で「みんな、何処におるのや、怖い、怖い」と泣いて、家族を捜し回るため、家に一人では残せない。「天井に沢山人がおる」「お客さんが部屋に来ておる」と言ったり、「預けたお金を屋根の上に置いてどうするのや!」と興奮することもしばしばである。相手が居なくても、1〜2時間以上一人で喋り続け、声が枯れても止まらない事がある。また「人殺し〜」と言って、誰かを呼ぶために窓を開けたり、ベッドの柵などを棒でガンガン叩くなど夜間は対応に困ることも多い。
 デイケアやショートステイなどで施設に預けるようになって、自立心が芽生えた事は良かったのだが「歩く練習をするのや」と夜、廊下を歩き回ったり、暖房の入っていない部屋や玄関に寝転んでいたりするようになった。施設では全館床暖房なので問題が無いが、在宅ではとても24時間家中を暖房するわけには行かない。
 夜間の用足しのときは寒いので、本人の部屋はいつも暖房しているが、これ以上は辛いものがある。主治医の先生がいろいろ薬を試して下さったが、一番弱い薬(デパス0.5r)でも一日意識もうろうとして動けなくなってしまう状態で、2分の1に割って服用させても同じ事だった。これ以上割っても、薬理学的に無意味だと言われた。とにかく、薬に敏感なタイプなのではないか、との事。
 ○年○月のT病院入院時の検査所見で、アルツハイマーという診断が主治医のところへ行っている。介護者にとっては、何より夜眠れないのは大変な負担で、過労で夜間の介助途中に何回か倒れてしまっている。T病院と在宅介護支援センターのワーカーの方々が「長期の看護は無理だろう」との配慮を下さり、某老人保健施設へ紹介があった。入浴もなかなか家族では上手く行かず、デイケアと訪問介護サービス等でカバーしている。介護者である孫が背骨と腰の治療で接骨院に通院し、長女もここ二年ほど腱鞘炎で腕に力が入らず、力仕事は大変痛むため、援助を受けているしこれからも必要と思う。

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