Symphonia
Rose
Violin
これまで、私の中で支えとなった、様々な処方箋の書いてある本の内に、美輪明宏さんの「天声美語」(講談社)があります。
(介護をしていた頃はネット環境に無く、通院日の折に書店で飢えを満たしていたものでした)

この中にある「美輪リスト」に書かれた様々な芸術作品に触れることは在宅介護を終えた私にとって大きな慰めでした。
特に、アルマンに対するマルグリットの無償の愛を描いたデュマ・フィスの「椿姫」(岩波文庫)を初めて読んだときに年甲斐も無く大泣きをしたことは忘れられません。
突然に自分の役目の終わりを余儀なくされ、今まで何のために…という虚無感がおそったときの出会いでした。私は無償で人に何かを出来るほど高潔ではありません。それは、本当に思い知った一冊でした。

美輪リストに始まり、
様々な美しいもの・情趣あるものに触れることが私の精神のリカバリの一つになっていると思います。
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また、新潟県弥彦村にあります、蔵書票(エクスブリス)のコレクションで有名な浪漫美術館、そして長野にあります碌山美術館など規模は大きいものではありませんが素晴らしい美術館でお気に入りです。あとは小樽の北一硝子、これはアウトレット(微細な傷程度で使用には全く気にならないです)のお店が良かったのでもう一度は行きたいです。
ネット環境に入って以来は、いろいろありましたが、一番実りが多かったのが元々好きな読書とクラシックを始めとした音楽との再会でしょう。読書については別にブックレビューサイトを持っております。良質のファンタジー・スピリチュアル系小説中心に、ご紹介をしておりますので、お好きな方はどうぞ。
 
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在宅介護の数年間…
そしてそのリカバリ、通常社会復帰について

正直、ここが一番、つらいところです。
祖母を施設に送ったことについては、本当に仕方ない事情でした。それゆえ、今もこのことは私の胸の中の一つの罪悪感・挫折感になっています。
偽らざる本音として、自宅で最後まで見送りたかった。それが無理と自分の身体が嫌というほど教えてくれたのですが、立ち直れない日々が続きました。
「祖母がいないこと」に慣れられない。それは今もって変わりません。そして私の体調の好転があれば、自宅に戻すこともと思いましたが、祖母との暮らしを終えて以降、数ヶ月で20s体重が落ちました。
別に医学的に何も無い。強いていえば、張り合いをなくしてしまったのかと。
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しかし、これが祖母との人生の終わりではありません。施設の職員さんがたの尽力もあること、そしてそれまでに重ねた数年は、物理的なものだけでない何かを私に残しています。一番重かったのは、周囲の無理解に立ち向かうことが一つありましたが、自らの内部の葛藤については適切な言葉でのご説明が難しいです。
「周囲が私にとって…」というものとは違うものが、私にはどうしてよいか分からなかったです。それは、ボケた祖母が私を孫として認識せず、自分の母親である人と認識し、すがってくることでした。夫が早世、母たち3人の子供をかかえ、一生懸命世の中を渡ったひとで、元気な頃は非常に強情でこわいくらいのひとでした。それが、人が違うほどの泣き虫になってすがってくる。
痛ましい姿でした。今もって痛ましいものです。

それに耐え切れない時期、祖母のすぐ下の妹、私にとって大叔母に当たる方が新幹線を2本も乗り継ぎ、祖母に逢いに来てくださったことが忘れられません。日頃、足の痛みに耐えかねる生活にも関わらず、痛み止めの注射を打ってまでしてそれをして下さいました。
その行為を忘れぬよう、何かと…。

祖母にとって私は、母親(私にとって曾祖母)であるのは変わりませんが、役不足でもそれは果たそうかと思うようになりました。
先日、祖母の体調が崩れたとき、面会に行きました。「死にたい、死にたい」といつも通りの繰言を言います。その時に特別に意図はなかったのですが、こんな言葉が滑り出てしまいました。不謹慎とお叱りを受けること承知でその通りに書きます。

「あんたは死んだら、絶対、いいところにいける。でも、生きるの死ぬのは神さんが決めることや。そう決まったときまでしっかり生きて待っておれ。」

われながら傲慢な言葉と、後々、自己嫌悪と反省でした。しかしこれからも祖母に会うときは"過ぎない程度の慰め"を持っていくつもりです。祖母を本当に見送るまでは。

(2003.04.04)
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