昨夜相川地区復興委員会の1回目の会合が開かれた。
先の農伸会のときに、土地改良区役員と農伸会役員、村の役員で構成することを決めた。
会長、副会長は総代、副総代を充てることにした。
ということは、4月に改選ということだ。
農地の復旧に町の重機借り上げ制度を利用することは
確認済みで、すでに1ヶ所申請してある。
昨日の会合ではもう2ヶ所くらい地権者を集めて
申請できそうなところがある。
問題は業者がいないこと。
役場からは「業者は地元でみつけて、工事前の写真と
完了後の写真をつけて、請求書を回すように」と言われた。
口で言うのは簡単だが、雪が融ければ公共事業も始まるわけで、川口や小千谷の業者を頼むことなどできるのだろうか?
誰か長岡や小出方面の業者を知らないか?という話になった。
あんな手もある、こんな手もあるといろいろな意見がでた。
そんないいアイディアがあるのだったら、さっさと地権者を集めて
合意を得ればよさそうなものだが、そこまで踏み込もうとはしない。
工事をすれば個人負担が伴うのは当然と考える人が少ないことに、唖然としてしまう。
すべて役場が悪いような言い方をする人もいるが、地権者の合意を
まとめるのは地元の責任でしょう、と言いたい。
役場だって打ち出の小槌を持っている訳ではないのだ。
今回の豪雪は役場も想定外だったらしい。
当初4月から工事着手する予定が、大雪のため1ヶ月は遅れるだろうとみられている。
土地改良区は「除雪車を使ってでも」と申し入れしたらしい。
とにかく、一度役場の担当を呼んで、工事の見通しを聞くことを確認した。
それと、住宅再建にどんな制度があるのか説明会を開いてもらうことも確認した。
昨夜の会議を受けて、役場の建設企業課に行った。「そちらの都合に合わせるから、農地の復興について説明会を開いてほしい」次に住宅復興班がある2階に行って、住宅の復興について聞いた。「それは3階に行ってほしい」3階に行って「耐雪住宅、克雪住宅の説明会を開いてほしい」「それは1階の建設企業課だ」 夕方、建設企業課から「次の3日の中から選んでほしい」と電話があった。「住宅の耐雪、克雪、バリアフリーの補助金の資料も頼むね」「耐雪、克雪はうちだが、バリアフリーは課が違う」「それはそちらの都合で、家を造る人は一括の資料がほしいんだ。住宅のことは後日でいいから、一括で説明会をしてほしい。資金の説明まで役場にしてくれとは言わないから」「あちらの課に頼んで・・・」 なんのための復興本部なんだ、と言いたい!!それを一括で説明できる職員はいないのか?
共産党の桑原加代子さんから電話があった。「全壊でも住宅応急修理制度が使えることについて、県から指導があって、役場では関係者に連絡している。暮れに問題になった○○さんのお宅について、もう一度役場に行ってみてはどうか」 早速役場に行ったら、25日まで再受付をしていると言って、書類をくれた。 その足で小千谷の大工さんのところに行った。暮れには「すでに4件も見積書を書いた。1月22日までと期限を切られているからできない仕事の見積もりは書けない」と断られた経緯がある。 別の大工さんにも相談したが「1月に屋根の工事はできない」と言われた。 実際にはその後2回工期延長があったわけだが、申し込みが締め切られて、悔しい思いをしていた。 今回再び申し込みを受け付けていると説明したら、すんなり受け取ってくれた。小千谷は21日が申し込み締め切りだそうだ。 順番が逆になったが夕方○○さんの家に行った。「再受付の案内がきたでしょう?大工さんに頼んできたから22日に見積もりに来る。工期が切られているし、大工さんも忙しいからあれもこれもという訳にはいかない。今回は屋根だけということでお願いしてきたから」 これでやっとリベンジできた。 桑原さんに報告の電話を入れたら、川口支部長と該当者の家を回るとおっしゃっていた。共産党に票を入れたことはないが、今回は避難所当初からたいへんお世話になっている。
今朝も5時過ぎに震度1くらいの地震があった。 昨日の日中はバシャバシャと音がするので、雨が降り始めたかと思ったら外は晴天。3月下旬並みの気温で屋根の雪が融ける音だった。 今晩は地震で斜面が崩れて川と農道を塞いだところの関係者を集めて、農地の仮復旧の相談をする。役場からは「災害査定に入っているところだからあまりいじらないように」といわれている。そんなことは百も承知だが、とりあえず重機を入れて川を迂回させなければ田んぼが川になり水は別の沢に流れ、そちらの沢筋ではオーバーフロー。被害がなかった田んぼまで今度は水害。本来の沢筋では水が来なければ田んぼが作られない。そんな構図が目に見える。 災害は3年のうちに復旧するといわれているが、手をつけなかったための2次災害までは査定してくれないだろう。3年なんて待っていられないから、自費で復旧する農家がたくさんいることを役所は知っているのだろうか? そして何より、一度農地を休ませる(荒らす)ことによって、農家の意欲がそがれることが怖い。水路を切ることによって田んぼの面積が減るのは仕方がない。それでも田んぼを作りたいのだ。 ただ、大きな問題がひとつある。水路は復旧するがその脇の農道まで復旧すると、それこそ本格復旧になるので、査定からはずされる可能性がある。私の頭の中では仮設道路をつくるつもりはない。それだと上流に田んぼを持っている人はやっぱり耕作できない。 とりあえず、水が流れれば下流の人は耕作できる。この不公平をどうするか?もう、一町内会長の判断を越えている。賢い役員なら黙ってゲタを役場に預けるのだろうが・・・
昨夜の会議の後の雑談で、全壊でも仮設に行かないで住んでいる人がいるか?と聞いた。相川地区で1軒あった。 朝食前に、確認に行ってきた。「役場から連絡があったので24日に役場に行こうと思う」「締め切りが25日だから、それまでに大工さんに見積もりを書いてもらうように」出勤前に大工さんのところに行ったようだ。 川口町には全壊の認定を受けながら仮設に行かないで自宅で頑張っている人が200軒もあるらしい。一見信じられない数字だが新聞記者と共産党が同じことを言っていたから、信じてもいいと思う。役場から1軒1軒、連絡がいったという情報だが、今日のお宅のようにことの重大さに気がついていない人がいるのではないかと、心配する。
今日は春一番が吹いた。いこいやに六日町からシルクフラワーのボランティアが来てくれた。私の前の職場の大先輩で、シルクフラワーの材料の繭を入手するために桑畑を作って蚕を飼っているという本格派だ。繭に色を付ける技術は新潟県中山間地農業技術センターで研究された。今日は手始めにチューリップを作ったが、次はもっといろんなものを作りたいという希望があった。

天理教ボランティアによる倒れた小屋の復旧
今日の新潟日報18面に「地域力を考える」というタイトルで新潟市の河田珪子さんの「家の実家」が紹介されていた。河田さんからは泉水小学校校長先生を通じて泉水仮設のために使って欲しいと義援金をお預かりした。泉水小学校の2階に開設した「いこいや」には河田さんの意思が入っている。