川口町復興の講演会   投稿者:三郎次   投稿日:Sun Feb 27 14:17:19 2005

 26日、地震からの復興に関する講演会があった。
工学系の大学の先生方による発表で、研究成果からの報告である。
学問と無縁の者には、工学系と云うと無機質の硬いイメージを
抱いていたのであるが、きわめて人間性の深い立場で、災害と復旧に
かかわる今日的社会のテーマに、鋭く切り込まれた姿勢に敬意を感じました。
 
 地域の生活環境や、歴史文化をふまえた街並み構築の提案。
山村としての川口地域の特性をふまえて、豪雪地における
耐震建築の助言。雪害と震災の重なる地域での災害の様相や、
災害復旧にかかわる二次被災の回避についての提言。山古志村の
斜面崩壊を例にした山崩れの様子。このような発表の場に町の
機関からも町長と企画課長、建設課長も出席されて、適切な
対応をしていた。
 
  町の震災復興対策本部も、この日の発表提言を意義あるもの
として受けとめ、町の復興に活かされることを期待します。
この日の町長挨拶に「復興の主役は地域の住民」の言葉があった。
先のボランティア云々の発言が新聞報道にあったことで、さまざまな
物議が広がったのであるが、「主役は地域の住民」とする本意が
正しく新聞に載らなかったばかりの物議であったと思うのです。
 
「主役は地域の住民」これはゆずることのない姿勢であるべきです。
町の震災復興対策の中にもこれは貫かれていなければならないことです。
 講演会の大学の先生の提言がいかに有意であっても、これは地域の
住民の視点で練り直さねばならないものです。
 
  被災直後の深刻の状況のなかでは、私どもの視線はどうしても
低くなる。復興とは原状回復の復旧であってはならず、より良い
将来像を描く高い視線が必要です。講演会でなされた提言は、
地域の立場をふまえながらも、高い視線であった。
 
 復興の主役たる私どもは、この高い視線に耐えることができるのか自問自答しながらの帰路であった。
 

逃散   投稿者:三郎次   投稿日:Sun Feb 27 20:26:40 2005

 中世から近世のはじめころにかけて、しばしば「逃散」という
社会現象があった。川口町の歴史でも無関係のことではない。
 
 ムラの旧家・草分けとされる家に伝わる先祖の話には、他所から
流れ着いてこの地に住み着いたとする話が多い。それまで住んで
いた故地のムラを逃れて流民となり、新しい土地に移り住んだ
ことで、「逃散」の人々であったことになる。
定住農耕を基礎とした日本社会では異常なことで、それだけに
「逃散」する農民の側に切羽つまった状況があったことになる。
 
 江戸時代になっても近世支配の体制が不安定の中では
「逃散」がおきた。
 支配領主の圧政、または無為無策に抗議するに、武力闘争が
かなわない場合の最大の手段が「逃散」であった。
 
 江戸時代の新しい支配の体制に抗議して、ムラ人が集団で
「逃散」すると云う出来ごとが川口地域にもあった。
「逃散」は支配領主にとっては最大の脅威となる。ムラから人が
逃げ出す。支配の基盤が揺らぐことになる。過疎の地域であれば
「逃散」によって地域社会が崩落するのである。支配者はこの
「逃散」を防ぐためにさまざまな施策をとった。厳罰だけでは
防げないので、慰留の処置や、「逃散」者の帰還には優遇の処置
もとったのである。
 
 震災後の川口の状況はすでに多くの人が町を離れているとか、
復興の過程では町から離れざるをえないとする人たちの話を聞く
のである。町から離れるのは個人の事情であっても、離町された
後の地域の事情はきびしくなる。過疎の地域ではこのことが一層
深刻で、地域社会の崩落につながりかねない。
 
 町の復興には<現代の「逃散」>を何としても抑える施策が基本
として大切である。退避している人たちが、川口に帰って来れる
施策も必要なのである。
 国会の論議で、被災者支援に個人財産のことについて云々の論議
がなされていた。過疎の地域では個人の進出退去が地域社会全体の
盛衰にストレートに結んでいるのだから、地域の社会基盤の保持の
ために、被災者の個人救済の可能は大きな<公>の意味を持つ
ことになる。
 
 封建領主が支配基盤の崩落として「逃散」を恐れたと同じに、
現代の「逃散」は地域社会の崩落につながるとして、為政者も地域住民も、
もっとも危機感を抱かねばならないことである。
 

復興委員会   投稿者:広井   投稿日:Sun Feb 27 21:45:28 2005

三郎次さん、いつも格調高い投稿ありがとうございます。
 
相川地区では今晩も復興委員会が開かれていました。
農地の復興で災害に認定されない小規模なところでも
人数をまとめて町の重機借り上げ制度を利用しようという話し合いです。
 
「主役は地域の住民」との意見には賛成です。
しかし住民の側にそれだけの認識があるかというと、疑問です。
21日に相川地区で役場主催の農地災害の説明会がありました。
役場は「優先順位は村で決めてください」と言っているのに
「役場で決めてください」という意見が多くて、私には不満でした。
 
別の問題の時も「どうしてくれるのか、役場に行って聞いてこい」
などど、子供のような(やくざのような)議論にあきれたことがあります。
「総代として役場につなぐのは当然だが、どうして欲しいのか要望を言ってもらわなければつなげない」
と突き放したことがありました。
 
逃散について
私の友達にも「田んぼがなければもっと雪の少ない長岡方面に家を建てたい」と漏らした人がいました。
私も一時「田んぼを風呂敷に包んで背負えるものならば・・・」と考えたことがあります。
また、東川口で「家を新築する前に地震があったら、長岡に建てたかもしれない」と言った人がいました。
雪捨て場がない、道路が狭い、消雪パイプが機能しない、では気持ちがわかります。
 
東川口では道路の問題、流雪溝の問題、駐車場、公園の問題など話し合われているのでしょうか?
 
相川の復興委員会でも「10年後を見据えた議論をしよう」と言っていますが
どうもみなさんは目先のことにこだわりすぎているようです。
 
そうそう、ひとつ建設的な意見がありました。
小千谷市の東山地区から引っ越ししようとしている人がいるはずです。
しかし田んぼがあれば、遠くには行かれないはずです。
相川地区がその受け皿になれないか、という意見です。
 
また町長のいう「地域のお年寄りは地域で面倒をみる」という施策が実行に移されるなら
地域で公営住宅の土地を用意しなければなりません。
相川地区の人口が増えるためなら、どんどん議論を詰めていきたいと思います。
 

復興対策本部   投稿者:広井   投稿日:Mon Feb 28 06:11:22 2005

1月末の総代会議で役場に復興対策本部を設置するとの説明があった。
あれから1ヶ月、作業は進んでいるのだろうか?
その後総代会議もないし、インターネットで調べても何もわからない。
 
相川では建設企業課を呼んで、農地の復旧に関する説明会を開いた。
@災害箇所が400箇所 A雪のため工事開始が遅れる B水路、道路、田んぼの順に復旧する
くらいのことしか、わからなかった。
 
農村振興課の説明会もあった。
@農業に関するアンケート結果の説明 A共同協業化の勧め B相川地区では農伸会が中心になってやってもらいたい
相川地区のアンケートの回収率は60%だったそうだ。
私はむしろアンケートに答えなかった、答えられなかった人々の話、悩みを聞きたいと思う。
 
昨夜の会議も主題は30分くらいで終わったが、その後の雑談に期待していた。
まだ役場も土地改良区も把握していない災害箇所があるようだ。
よその地区で田んぼを耕作している人で、どちらの地区からも見落とされているようだ。
 
土地改良区の責任者と農伸会会計は体調不良のため欠席した。
副総代は大きなマスクをしていた。
農伸会会長は何故か一言も発言しなかった。
連日の会議でみなさん少しお疲れのようだ。
 
それにしても復興対策本部では話はどこまで進んでいるのだろうか?
小千谷市では冬でも家屋の解体をしているのに、川口ではストップしている。
雪解け後の解体家屋の運搬はスムーズにできるのだろうか?
こんなテンポで、新築や公営住宅を希望する人が1年半後に仮設を卒業できるのだろうか?
町長の顔は見たくないが、話を聞きたい。
 

解体家屋の除雪   投稿者:広井   投稿日:Mon Feb 28 16:37:48 2005

川口町復興ボランティアセンターのホームページによれば、今日の川口町の積雪は285cm。
このままでは消雪、解体家屋の運搬などいつになるかわからない。
 
幸い私には除雪機と自由な時間があるので、解体家屋の除雪を始めた。
解体家屋の上はところどころ空洞になっているので、慎重にやらなければならない。
ある程度飛ばしたところで、スコップで穴を掘り、風が通るようにした。
 
穴の下にはブルーシートが見える
 

新潟日報から   投稿者:広井   投稿日:Tue Mar 1 09:55:43 2005

何も新聞記事をここに書かなくてもよさそうなものですが
この掲示板を県外の方も見ていることを意識して書いています。
「うちの娘がオーストラリアでみている」と教えてくださった人もいます。
 
今朝の新聞によれば川口町で116世帯分の復興住宅建設計画ができたそうです。
自力で家を建てられない人のための公営住宅です。
05年度中に半分程度の建設が予定されているそうです。
町内6地区に分散して建てることによって、畑に行ったり、地域と
かかわりを持ちながら老後を過ごしてもらおうという考え方のようです。
この考え方には賛成です。
 

情報の共有化   投稿者:広井   投稿日:Wed Mar 2 04:52:33 2005

昨日は相川農伸会書記の立場で、見附市で開催された
「土地利用型生産組織育成研修会」に出席した。
長岡地域の生産組合や集落の代表が300名程集まった。
前半の大学教授の講演は眠いばかりだった。
 
後半のパネルデスカッションはプロの農家の体験談で、興味深かった。
越路町の今井利昭氏の話は市町村合併も交えて、刺激的だった。
「来年は長岡市との合併の年だが情報の共有化ができていないため、町、JA、県の足並みが揃わない。
ビジョンが見えていないため課題だけが残る」
 
川口町の復興ビジョンはどうなっているのか?
3月議会で何が議論されているのか?
ここでも情報の共有化ができているとは思えない。
 
川口町農協は北魚沼と合併が決まっている。
将来、町は小千谷市あるいは長岡市(?)になり、農協は北魚沼なんてことになったら・・・
 

情報の共有化(2)   投稿者:広井   投稿日:Wed Mar 2 05:40:44 2005

今朝も仮設で4時に除雪車の音で目が覚めた。
息子は昨夜のうちにボランティアセンターに行った。
外に出てみたら、昨日と同じ、車の上に10cmくらい新雪が積もっていた。
ただしフロントガラスに雪が凍みついていないから、気温は氷点下でもそれほど低くはないだろう。
自分の車庫に移動して、除雪と投稿をしている。
 
去年まで勤めていた川口町にある新潟県中山間地農業技術センターのデータは
気象データを除いてすべて削除した。
気象データは公開しても情報の漏洩には当たらないだろう。
 
 年   最深積雪日    3月1日の積雪  消雪日
1974   2月3日 320cm        293cm         5月5日
1980   2月17日 335cm        222cm         4月27日
1981   2月28日 401cm        395cm         5月10日
1984   3月8日 338cm        330cm         5月9日
1986   2月8日 377cm        375cm         5月8日
 
復興のタイムスケジュールの参考になればと思い、あえて公開する。
 

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