相川から   投稿者:広井   投稿日:Tue Oct 26 21:35:29 2004

みなさん、ご心配をかけております。
相川総代として、大忙しです。
我が家はまだ建っていますが、かなり傾いています。
昨日の朝、ほとんどの衣類や布団、書類などを古い車庫に移動しました。
冷蔵庫やテレビなど大きなものは出せません。
でももうもったいないのはないくらい、運び出しました。
メインのパソコンはデスプレイがさばおり状態で
まだ動作を確認していません。サブと息子のXPは大丈夫のようです。
電話回線は今日あたりから復旧していますが、停電のため
ルーターが使えません。隣の家は普通回線なので使えるかと
思いましたが、電話線がOUTでした。
今日から天納地区の停電が復旧したので知人の家から送信しています。
 
相川でも家屋全壊が2棟、うちのように倒壊寸前の家は数え切れず。
でもけが人もなく、全員無事です。
病院に入院中の方が亡くなりました。
葬儀は簡単に行い、燕市まで運ばないと焼けないということです。
 
公民館は今日中に片付けましたが、まだ余震の恐れがあるため
夜は電話番だけおいて、普通の人はがっちりした車庫に避難しています。
お寺さんも今日中に片付けましたが、木造のため避難所にはなりません。
 
私が昨年立てた3台分の車庫には30人くらい寝ています。
今年宝くじ協会から買ってもらった発電機は有効に動いています。
車庫の後ろに井戸があるので、地震直後から小さなポンプを動かしています。
余震のたびに井戸水がにごりますが、近辺では最初の水でした。
2日目には鯉用の水槽に水を積んで、役場に集合した東部のみなさんに
水を供給しました。
また、食料をもたないで飛んできた警官隊があったようで新米30kgを寄付しました。
給水中に歩いている人も運びました。
県外からきた警察官も誘いました。最初は遠慮していましたが
「緊急事態なのに歩いていたら時間がもったいないでしょう」と
言ったら全員乗りました。
 
相川の避難所は車庫ごとに10箇所くらいに分散しています。
欲しいのは燃料とシート。お米はどこの家にもありますが
精米した米には限りがあります。
相川では2台の精米機を設置し、よその地区の分も面倒をみています。
 
小千谷方面に出るのは自由ですが、入るのが難しいというので
今朝は「緊急車両 物資買出し 川口町相川」というラベルを作って
6台、仕入れに出しました。役場に頼んだら2日はかかるでしょう?
昨日は中ノ島までいかないとホームセンターがなかったそうです。
今日は長岡で仕入れができました。
 
夕飯のあとで配給のおにぎりが届いたり・・・
寝てから「役場に収まりきれないほどの物資が届いた」という情報があり
軽トラ数台で飛んでいきましたが、子供のお使い程度の収穫で帰って来ました。
大量の物資を目の前にして、それに対応できない役場・・・
明日は時間を決めて配給するそうです。
現在新潟方面から暖かいおにぎりが走っているという情報もあります。
「明日の朝食の米はすでにといであるのに炊かなくてもいいか?」
「大丈夫です」ほんとうかなぁ?
近くの車庫にそのことを報告に行ったら
「夕飯のあとでもらったおにぎりがまだある」とのこと。
 
米も10t車1台分入ったようです。西川口方面からきたものと思います。
「あれだけの米を誰がたべるの?」「自衛隊じゃないの」
 
ほんとうに欲しいものと、勝手に来るもの。
早く内部から情報発信したいと思っていましたが、人のパソコンを借りて
投稿しています。
人にも迷惑なので、これでやめますが相川は統制がとれています。
 
最後にビッグニュース。ホテル蒼丘、わらびの湯が崩落しそうとのことで
飯山線より山側の家には避難勧告が出ています。
山の乱開発を指摘する人がいましたが、現実になりました。

 

 

相川から(2)   投稿者:広井   投稿日:Wed Oct 27 15:22:04 2004

昨夜も大きな地震がありましたので、朝5時から村内の道路の点検をしました。
役場に行って本当に今日の朝食は自衛隊が用意してくれるのか確認。
各車庫を回って、かまどに火を入れないように要請。
今日は3食自衛隊が用意してくださるそうですが、お昼前の大きな地震のため
昼食はかなり遅れて、人々はカップラーメンを食べ始める始末。
炊事担当は「昨日の夕方研いだ米を早く炊かないとダメになってしまうよ」と心配。
 
「今日は協力して屋根と割れた窓の補修をしましょう」と打ち合わせました。
ところが10時頃の大きな地震。屋根に上っていた人より下で見ていた人がびっくりしました。
 
一番の問題は小千谷方面に出るのは簡単だけど、入るのが検問にかかって入れないということ。
町長さんの書いた役場の公式通行証は「チチキトク」という人が持ってでました。
「もう一枚役場に行ってもらってこい」と言われて私が行ってきました。
隣の地区の人は「こんなもの町の外では通用しないよ」と言っていました。
悔しいから「小千谷に出たら20枚くらいコピーしてきて」と送り出しました。
 
今日は支援物資がどんどん届いています。
役場の倉庫に収まらないので、どんどん地区に配送。
私たちも公民館に納まらないので各車庫にどんどん配送。
「しまいには人間を出さないと車庫に収まらないよ」と冗談が飛び出すほど。
 
一番ありがたいのは簡易トイレと医療スタッフ。
泉水小学校に3チームが来ました。
午前中は開店休業状態でしたが、私が学校に行ったついでに
「宣伝してくるよ」とムラの中をひとまわりしたら午後は大繁盛。
普段飲んでいる薬を持っていけば、同じ薬がもらえるということで
評判は上々です。
 
ほんとうにありがたいことです。
 
川口橋の向こうは全く行ってられません。
私がわかるのは荒谷地区は全員泉水小学校に避難していること。
東部地区は役場前広場や川合神社周辺、堤防の外河川敷でテント生活をしています。
私が昔勤めていた、新潟県中山間地農業技術センターに使っていない
施設があることはわかっていましたので、交渉したら
「町から正式に要請があれば県庁から許可をもらう」との回答を引き出して
役場に伝えました。あとは役所のナワバリの問題です。
 
支援口座のことは私が直接本部に伝えましょう。
 

相川から(3)   投稿者:広井   投稿日:Fri Oct 29 09:17:08 2004

 27日、相川サンウッド(公民館)に東北電力の低圧応急用電源車なるものが到着し
職員2名が常駐を始めた。早速、発電機はよその車庫に回す。
 
 28日、電力に余裕ができたので洗濯機を持ってきた。
ただしみんなが使いたいので脱水のみの使用に限定することにした。
テレビも外に向けて常時つけている。
 
 サンウッドには精米機まで備え付けたのに、食事は自衛隊が運んでくれた。
ただし量が多すぎるので明日から2割減を申し入れた。
東部地区総代は「今まで1,500食だったが、量が多すぎるので1,000食に
するように申し入れた」と総代会で言っていた。そのマネをした。
 
 総代会といえば、11時に役場に集まるよう連絡をもらった。
町長が木沢地区を視察中で遅れるというので、携帯の番号を交換して
最初はのんびりと始まった。みなさん、地区に帰ればいくらでも仕事があるのに
イライラしている。助役の司会で始まった。一斉に手が上がる。
いままでわからなかった他の地区の状況がおぼろげながらわかってきた。
木沢と田麦山は全村、小学校に避難しているらしい。
「ゴミは分別しておくように」との指導だが、私の車庫のグループでは生ゴミとビニールは
たき火の中に投げている。西川口は生ゴミを畑に埋めている。
だいたい、小千谷市にある焼却場がマヒしているらしい。
それも単なる停電ではないのではないか?
 
簡易トイレはそこそこの数配備されたが、屎尿処理施設「清流園」がマヒしているため
業者が動けないのだそうだ。「ただいま長岡市の施設を使えるように交渉中」
とのことだったが、下水処理が常識の時代に細々と稼働していた(?)施設に
他の市町村の分まで処理できるとは思えない。
夕方には相川地区でも「トイレがいっぱいになったのでどうすればいいか?」
という問い合わせがあった。くみとって畑に埋めるより仕方がないだろう。
東部地区ではバケツをもって家のトイレを使っていた人が多数あったそうで
復旧作業をさらに難しくしている。
 
私は「あと2ヶ月で雪が降るのに車庫が避難所になり、町中の車が道路に出ている。
これでは除雪車も走られないので、すみやかに畑を駐車場にするように」と提案した。
傾いた住宅の取り壊しがスムーズに行われなければ、仮設住宅も当然
畑に作らなければならないだろう。スムーズに行うためには瓦、ガラス、材木、
アルミサッシに分別なんてきれいごとは言っていられないと思う。
相川は田舎だからいいとしても住宅が密集している東部地区はどうするのか?
 
私がもうひとつ声を大にして提案したのは
「相川より奥、山古志方面は鯉の管理の人以外は全員避難して無人状態だ。
相川に検問所を設けて県外の車は入れないようにしていただきたい」
 
食事もしないで2時間もやりあったのに、ついに町長は現れなかった。
このことは本日の最大の報告事項になるだろう。
 
 総代会終了後に役場裏の車庫に回ってみた。支援物資の中に果物がある。
「みかんとリンゴをください」と言ったら「ここはドライブスルー方式なので
あちらから順番にきてください」と言われた。(もちろん冗談)
カップ麺や水は置き場に困っている。「いらない」といって引き上げてきた。
しかし後から生協の2t車2台で配達されてきた。配達ボランティアというらしい。
どろぼうが怖いから相川ではボランティアをお断りすることにしていたのに
勝手にやってくる。また仕事が増えた・・・
おろしながら仕分け、申し訳ないと思いながらまた配送。
物資のために人間が避難所から追い出される日がくるかもしれない。
豊かな国日本の非常識!!
 
 書きたいことはまだたくさんある。これはひょっとして本が書けるのではないか
と思い、地震直後から書かなかった日記を書いてみることにした。
しかし、6日分もというとどうも記憶がさだかではない。
夜仲間と飲みながら、あれはいつのことだっかと聞きながらようやく書いた。
町の支援口座はまだ公開されていないが、相川の口座を公開するか
などのいい意見がでた。
 
 ところで相川サンウッドの電話番号は 0258(89)2983 です。
電話番は常駐していますが、相川方面の安否確認のみにしていただきたい。
昨日もあるテレビ局が様子を聞きに電話をくださったが、用件は手短に願いたい。
私が錦鯉を飼っているということで、路上で記者につかまりインタビューを受けたが
「錦鯉の飼育方法は?」と聞かれたときは切れる一歩手前だった。
 
 時間は朝の5時。そろそろ役場に情報収集に出かけてみるか。
フロッピーに保存して、天納でパソコンを借りて投稿するつもり。
役場にもパソコンをもった報道陣がいたが、5分でいいから貸してくれないだろうか?
 
 
みなさん、ご支援ありがとうございます。
朝8時の情報では今日からし尿処理業者が回るそうです。
これで安心して○○○できます。

 

 

相川から10.30   投稿者:広井   投稿日:Sat Oct 30 09:03:45 2004

 29日のできごとを書いてみたい。
4時に起きてリポートを書いた。
5時半に役場に行って新しい情報がないか確認。掲示板に新しい情報はない。
本部テントでは主な顔ぶれが椅子に座って寝ていた。もちろん町長さんはいない。
資材を枕に寝ている職員もいる。せめて夜露がしのげるようにしていればいいのに。
消防団幹部がたき火をしていたので、よその地区の様子を聞いた。
役場職員の友達から、今度来るときはひげそりを持ってくるよう頼まれる。
帰りの駄賃にビニールの梱包材(通称プチプチ)を2巻き、軽トラに積んできた。
許可はおととい取ってある。というより、前回分を使い切ってしまった。
コンクリートの床面に敷いてもいいし、割れた窓ガラスの補修にも使える。
 
朝食前に天納(相川第3地区)に行って、テントを使わなかったら
役場に返すように申し渡した。実は24日に相川サンウッドで
町の錦鯉品評会をやる予定だった。役場のテントを用意してあった。
地震直後、天納地区からテントの申し入れがあったので、役場に無断で貸した。
連絡したら持ってこいと言われることはわかっていた。
テントでは2家族が避難していたが、雨と強風の日にテントが倒れそうになって
それ以来使っていなかった。
 
 昨夜「倒れた作業場から耕耘機を出したいので何人か回して欲しい」
という申し入れがあったので、現場確認。とても危険で手間がかかりそう。
使える状態で掘り出せるとは思えない。耕耘機1台くらい無視することにした。
 
 8時の朝礼では「自衛隊がテントを190張り用意するので希望者をとりまとめるように」
「今日から簡易トイレのくみ取りが始まる」との連絡があった。
早速天納地区にも伝達した。掲示板に投稿するチャンスだったので自分で走った。
 
 他の役員には「今日は自分の仕事をさせてもらうよ」と断りをいれて
70歳を過ぎた母と地震で水漏れしている野池の池揚げに行った。
なんと20cmくらいしか水が残っていなかった。全てサギの餌になったかと思ったが
15cm級の当歳を入れたと思われる数(900尾)だけ揚げることができた。
この時期、サギもどこかに移動したのか最近は見なくなった。
母は「こんな地震じゃサギも逃げるよ」とうまいことを言った。
家には持って来られないので隣の池に移しただけだった。
雪が降る前に再び取り揚げなければ・・・
 
 サンウッドに戻ったらまた生協が支援物資を運んできた。
この忙しいときにまた物資の分配。なんでこんなことをしなければならないのか?
まだ「靴下が欲しい」とか「下着が欲しい」と言っている人がいるが
小千谷市との交通が再開したのだから自分で買ってこいと言ってやりたい。
こんな生活をしていたら人間がバカになってしまう。
 
 午後、東京と愛知県の大きな錦鯉問屋さんから相次いで携帯に電話が入った。
家の電話がときどき鳴っていたのはわかっていたが、電話機が壊れて通話ができないのだ。
かなりの金額の商談がまとまっていたのだが、停電した次の日に野池に戻して
しまっていたのだ。しかも水を張った池が1枚しかなかったのですべていっしょくたんにして。
本来ならこちらから連絡しなければいけないのだが、
頭の中が町内会長バージョンになっていて仕事のことは忘れていた。
どちらも「かわいそうだから売れる鯉があったら全て買ってあげる」とのことだった。
全くありがたいお話だが、電気が通らないうちは予定が立てられない。
しかも町内会長として、つぎにどんな仕事が待っているのか想像もつかない。
 
 役員の中にも「会社から呼び出しがかかった」という人がいる。当然だ。
月曜日にはほとんどの人が会社に行くだろう。残るのはお年寄りと婦人と子ども。
雪が降る前にどこまで復旧できるのか?
 
 近日中にゴミの収集も始まるらしい。ひとつずつ問題が解決していくのはうれしい。
しかしそれを生業にしている相川副総代は戦線を離脱するということだ。
相川第2地区を統括してくれていたが、会社員以外でそれに代わる人を探さなければならない。
 
 相川サンウッドに長野県立阿南病院のスタッフが仮設診療所を設置してくれた。
5〜6人の患者が訪れて「普段より便利だね」と喜んでいた。
今日は静岡県からのスタッフと交代するらしい。外科と小児科だそうだ。
 
 夕方、仙台からきたという業者がサンウッドまで電気を通してくれた。
1軒1軒確認しながら電気を通さないと、火災の原因になるらしい。
ほとんどの人が避難しているので夜は中止して、他の現場に移動していった。
 
 相川地区では泥棒対策に気を遣っていたが、夕方2台のスズキジムニーの給油口に
ドライバーを差し込まれたことがわかった。ガソリンは抜かれていないと思う。
スタンドに行って給油しようとしてわかったらしい。
とりあえず警察を呼んで被害届けを出した。
 
 萬屋さんの前に全面通行止めの看板がでて、ガードマンが不眠で立っている。
泥棒対策にはありがたい。青柳工務店から「絶対に通すな」と言われたらしい。
荒谷の住民ともめていたので「この人は住民だよ」と説明してやった。
青柳工務店の友達に携帯を入れて事情を聞いたら蘭木(ウトギ)トンネルの先で
新たに土砂崩れがあったらしい。
昼間は山古志の住民や報道がどんどん入っていったのに、信じられない状況だ。
中には出られなくなった人もいるのではないか?
補足説明をすると、普段は小千谷市浦柄から山古志に入るのが
一般的なルートだが、それが土砂崩れのため相川が本線になっている。
日中はすごい交通量だった。
ちなみの小千谷市から川口町に入るときの検問はなくなり、自由に出入りできる。
 
 「河川敷に2つめの風呂ができたので、今度は一緒に入られます」
と発表したら「それって混浴のこと?」という質問がでました。
ご想像にお任せします。(ここまでが朝仕事)
 
 北村さん、ありがとうございます。
今は天納の知人宅でやっていますが、電気と電話の復旧は
あと2〜3日だと思います。
東部地区は停電のためインターネットをいている人はほとんどいないと思います。
旧国道より山よりの地区は土砂崩れの危険があるので
立ち入り禁止になっています。
 
 桑原さん、ありがとうございます。
河川敷でテント生活をしている方のことはわかりませんが
相川では物資置き場に困るほどの状態です。
今日は新潟市の弟と家内の兄が来てくれるそうですが
何もいらないから作業のできる服装できてくれ、と言ってあります。
車庫の2階を片付けてとりあえずの住まいにする予定です。
 
朝6時に本部に情報収集にいったら、川口交番の警察官が
今日の10時には野田から竜光に抜ける県道が開通する予定
と申しておりました。あくまでも予定であって、確定ではありませんが。
 
朝の朝礼で、役場からの通達では仮設住宅の建設予定地は地元で確保するように
とのことでした。また総代の仕事がひとつ増えました。

 

 

相川から10.31   投稿者:広井   投稿日:Sun Oct 31 09:20:20 2004

3:30 起床 昨日のできごとを忘れないうちに記録しておきたい。
8時にいつもの朝礼。私が申し込んだ中山間地農業技術センターの
使われていない研修棟を相川が使うか、貝の沢が使うか協議中とのこと。
(中山間地センターは6月まで私が勤務していた県の施設)
自衛隊のテントが今日中に設置されるということ。
 
新潟市から弟が応援に来たので、重くてあきらめていたテレビの
救出に挑戦した。下の居間の29型テレビは2人で。私の部屋の
テレビはなんとかひとりで。息子が今年買ったばかりの29型テレビは
大きすぎて壁の落ちた階段を降ろすことは不可能。
思い切って座布団をクッション材にして私が背負った。
40kgくらいだろうか?はしごを使って降りた。
まさに山岳救助隊の気分だった。
 
弟を使って家の片付けを一気に進めようと思ったが、母は小千谷に
避難している父に会いに行きたいという。仕方がないので
軽トラで行って、帰りにコンパネを買ってくるように頼む。
使えなくなった鯉の越冬池にふたをして、物置にするつもり。
そして物置に使っていた古い車庫の2階を住いにするつもり。
ちなみに私が去年作った3台分の車庫には36人の人が避難している。
 
突然、本部から中山間地センターに電話を入れるように連絡があった。
所長の携帯に連絡を入れたら、「相川に貸すことになったから鍵を取りに来い」
とのこと。直行。2階に15畳の部屋が7つあることを確認。もちろん無料。
ムラに帰って「希望者は午後1時にセンターに集合」と伝令。
1時に見学にきた家族は5組だったが、夕方までに8組の申し込みがあった。
下の事務室も片付ければなんとかなるだろう。
 
東北電力も入って電気はどんどん復旧していく。
横浜市下水道局がきてマンホールの点検をしていった。
NTTは相川サンウッドに無料電話を設置してくれた。
 
まだ家の前にいる錦鯉に少しでも楽をさせようとポンプを回したら
思わぬところから漏水した。
来年の春補修だが、使えるかどうかははなはだ疑問だ。
自宅とその周辺の池の電気は自宅にメーターがあるのだが
家が傾いているため、電気を切ってもらった。
地元業者を頼んで、まず車庫にメーターを付けて
その後電気をつないでもらわないと、池が使えない。
まだ野池にはたくさんの鯉が泳いでいるので
早急に手を打たなければいけない。
 
NTTにも電話線を切ることを連絡し、車庫に引くように要請したら
混んでいるので来月の16日になるそうだ。これも仕方がない。
 
小出から義兄も応援に来たので、車庫の2階の片づけに手がつけられた。
家のことは母と2人に任せて、私は総代の仕事に専念。
家内は私の代わりにサンウッドに常駐している。
 
今日も静岡県の医師団が相川サンウッドで開業した。
小児科と外科が専門だそうだ。
1階は物資の山で恥ずかしいようだが、仕方がない。
最初はこちらから取りに行っていたが、ボランティアが運んでくれる。
 
高齢者や身障者、乳幼児と母親は六日町温泉に避難させるので
10時までに決めておくように、とのことだった。
まわりが進めてもなかなか本人が首を縦に振らない。
 
本部に炊出しご飯を減らすように要請していたら、夕飯が少し足りなくなった。
ようやく「サトウのご飯」に手をつけることができた。
 
夕食中に役場職員が自衛隊を連れてやってきた。
テントは今日中に建てるということだったが、こんな時間に始めるのか?
「自衛隊は24時間営業。夕方になると動き始めて、朝は寝ている」
「うちの息子と同じだ」
 
月曜日から大きな問題が発生する。
若い人はほとんど会社に行くだろう。
建設関係の人はすでに仕事を始めている。
物資の分配や配送、食事の準備、伝令、警戒・・・
ここでボランティアを要請するか?
しかし見ず知らずの人をムラに入れることには反対する人もいるだろう。
今日中に結論を出さなければ・・・
 
週明けから学校も再開されるらしい。
荒谷地区は最初、泉水小学校の体育館に避難していたが
地震の時天井からものが落ちてきたというので今は教室に避難している。
夕方荒谷の総代に会ったときその話をしたら
「なんとかなるさ」と笑っていた。
 
個人的なことだが、地震直後ディスプレィが180度に展開した私のメインのパソコンに
初めて電源をいれてみたが、生きていた。30cmくらいのテーブルから落ちたが
しかも動きがよくなったような気がする。
(遅いほうのサブのパソコンに慣れてしまったせいか?)
 
ここまで朝仕事。今天納の知人宅から投稿しています。
 
今私の携帯が鳴った。対策本部からだという。
「今現在、どこの避難所に何人避難しているか教えてほしい」
「それは2〜3日前に役場に報告してある」
「今日現在のが、知りたい」
「あなたの名前はなんと、いいますか?」
「○○です」
「役場職員じゃないね」
「県から来ています」
「こっちはいろんな仕事があって細かい調査はやっていられないから
役場に報告した数字から10人引いておいてください」
(これだから、役人は嫌いだ。わたしも6月まで県職員だったけど)
 
11時から2回目の総代会議。今度は町長は出席するだろう。
 

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