堀之内町竜光から山古志村に向かって送電線が走っています。
今回の地震で壊滅的な打撃を受けたため、川口経由で新しく送電線を張りたい。
そのための地権者説明会を開催したいと、測量会社から連絡がありました。
ついては、まだ名義変更されていない土地があるので亡くなった方を
チェックして現在の世帯主を教えて欲しいと依頼がありました。
電話帳で番地を確認しながら今の世帯主を捜すことはそれほど難しいことではありません。
しかし、合併前のヒユ村の番地で書かれた部分はムラの高齢者に聞くしかありません。
今ほど資料を渡しましたが、「相続がなされていないと、たいへんなことになるぞ」と言って帰っていきました。
今、私が山古志村にしてあげられることはこんな程度かな。
一日も早い復興を祈ります。
昨日、連絡長会議と総代会議が役場であった。
私は任期最後の総代会に出席した。
議事録は以下のアドレス。
最後に送電線の新設工事のことが議題に上がった。
総代のひとりが図面を持ってきて「町長、知っているか?」ということから始まった。
町長は初めて聞いたようだ。
「○○課長、聞いていたか?○○課長、どうだ?」
あぁ、ここでも裸の王様ぶりを露呈してしまった。
「12月だか、1月に東北電力から話がありましたが、図面をみるのは初めてです」
「ゴルフ場の上を通っているではないか。ここはダメだ」
5時から連絡長と総代の合同懇親会があった。
会場まで歩きながら、測量会社の担当に電話を入れた。
「今ほど総代会議で送電線の話題がでたが、町長はゴルフ場の上はダメだと言っている。
あなた方は役場を通したのか?」
2人名前を挙げた。
「2人ともヒラではないか」
「当然、上につないであると思っていた」
「残念ながらそうではなかったようです」
「それでは誰に話を持っていけばいいのですか?」
「町長だろうね」
懇親会が始まってから、再び電話が入った。
「休み明けの朝一番に東北電力の担当と町長さんにお会いしたいが、どうか?」
「今、総務課長に代わる」(町長に代わるとは私も言えなかった)
ここで問題を整理してみたい。
来年9月に山古志村村民が帰村するために送電線が必要なことは誰でも理解できる。
そのためにはルートに当たった人の全面的な協力が必要だろう。
ゴルフ場を迂回した場合、計画の大幅な見直しが必要になり、さらに工事が遅れる。
川口町でトラブっていたら、期限までに山古志村の帰村ができるとは思えない。
帰村が遅れれば、山古志村民の意欲もそがれてしまうかも知れない。
ゴルフ場って、川口町にとってそんなに大切なものなのでしょうか?
川口ゴルフ場の年間利用者はどれくらいなんでしょうか?
ゴルフをやらない私には理解できない。
http://uonuma5.hp.infoseek.co.jp/jisin2/050318ka.shtml
18日新潟県知事発表、復興基金事業募集について下記のアドレスに詳細が載っています。
10年間で600億円を復興に充てようという制度です。
公の利益につながるものならば、個人の意見もメール、FAXで応募できます。
川口町では企画商工課が窓口になりますが、インターネットができるあなたなら
個人で応募することができるはずです。
1回目の締め切りは4月8日ですが、夏頃2回目の募集が予定されています。
今後10年間続きます。
私は印刷物を相川サンウッドに張ります。
また、任期中の24日に相川地区復興委員会を開催して周知します。
どうして24日かというと、23日がパソコンクラブの日だから
全くの独断で重ならないようにしました。
22日が中山間地直接支払いの説明会、25日が送電線の説明会、
26日が新旧役員の引き継ぎと今週もスケジュールがいっぱいです。
そうそう、今日は相川地区の新役員14名にお集まりいただき次期総代と各委員長を決めました。
総代は山崎和一氏。民生委員をしておられる方でそちらの造詣は私よりあると思うし、人望の篤いかたです。
表題は、太平洋戦争時のシンガポール守備軍の総司令官の名前です。
日本軍がマレー半島をシンガポールに向けて進軍しており、早急に陣地を構築する必要がありました。
現場司令官は、ゴルフ場を潰して陣地を作りたいと進言しました。
しかし、総司令官はゴルフ場だけは潰す事を認めなかったのです。
そのため、満足な陣地を構築できずあっけなく敗北しました。
総司令官にとって、ゴルフ場は神聖不可侵なものだったのでしょう。
広井さんの山古志村支援の話を読んで、何を優先すべきか判断できないダメな司令官の話を思い出しました。
昨日は最高のお天気だったのに、午前中にどうしてもやらなければならない
ことがあったので、遠くの山には行かれなかった。
それでもお昼を食べてから、木沢の二子山に行ってきた。
登山口はまだ2m以上の雪の壁だったが、軽トラックの荷台を踏み台にしてとりついた。
山頂まではゆっくり歩いても30分くらい。
そこには360度の展望が開ける。
送電線のルートを確認したり、山古志村に思いをはせた。
東屋ははるか雪の下だった。
光線のぐあいで3時頃が最高なのだが、しばらく雪の上で昼寝して帰ってきた。
やっぱり、川口町はいいところヨン。
http://uonuma5.hp.infoseek.co.jp/0503huta/0503huta.html
これがまぁ、毎日の仕事とはいえ、すごいもんだ。
雪道情報によれば、今日の川口町の積雪は248cm。
とても3月下旬の積雪とは思えない。
解体家屋の除雪と平行して池の除雪もやっている。
ようやく池の全貌が見えた。
こちらは井戸水で消雪しているので、頑張っただけ成果がみえる。
雨が降り始めて、気温もどんどん下がってきた。