NHKラジオ朝の随想で有名な河田珪子さんが、泉水小学校「いこいや」にお茶のみに来られた。校長先生の前任地の関係でお知り合いだったそうで、義援金もいただいた。仮設住宅の一斉雪下ろしの際にペットボトルを配らせていただいた。新潟日報の論説委員さんも来られた。 最初は河田さんから介護のお話を伺った。おばあちゃんたちの自己紹介が地震話になって、みんなが思わず涙した。みんな自分の体験を誰かに伝えたいのだ。 12時になったので仮設のひとつに移動して、ありもんでごつぉしてもらった。私もご相伴にあずかった。 「是非新潟にも遊びにきてください」「行ってみたい」という話になった。早速25人乗りのレンタカーを手配した。28日(月)に新潟に行くことにした。こういうのはお礼参りとは云わない。 学校の中に地域の茶の間があるなんて、全国でも珍しいと思う。校長先生と河田さんのおつき合いがあったからこそ、実現できたと思う。 せっかく盛り上がっているところに教育委員会から電話があった。「ちょっと、来て欲しい」 「実は、泉水小学校の学校評議委員から学校の中に茶の間をつくったことについて、町長に直訴があった。4月から貝ノ沢公民館に移って欲しい。電気やガス代は町で負担する」「俺だって学校評議委員だよ。先回の会合でそんな話がでたことも知っている。でもね、右の意見も左の意見もあるのに一方だけ聞くのはおかしいではないか」「とにかく町長が決めたのだから4月から移動して欲しい」納得したわけではないが、土日も使えるようになるし、音楽もかけられるようになるから、と自分に言い聞かせた。 でも河田さんがラジオでお話したり、日報の論説委員が新聞に書く前に報告だけはしておかなければならない。
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天気予報では山沿いで最大50cmの降雪と言っていた。4時に除雪車の音で目が覚めた。外に出てみたら、すでに2人の人が車の雪を落とし始めていた。私の駐車スペースは通路の上なので、自宅車庫に移動してきた。 先日農協から配布された営農指導のチラシでは、消雪予想は5月8日。融雪材をまきましょう、と書いてあった。春は一気に忙しくなると思う。 昨日は泉水小学校の卒業式だった。あとから校長先生から電話をいただいた。「開かれた学校を目指していたのに、当事者が知らないうちに茶の間の引っ越しが決まったみたいだね」教育委員会に呼ばれて何があったのか教えた。本来なら校長と私と2人呼んでもよかったのだ。当事者が知らないうちにことが進んでいく・・・ この問題は学校評議委員会の場でも平行線をたどった。校長先生が好意的でも、そうではない先生がおられることも知っていた。だから、黙って引き下がってきた。 今までは土日は閉鎖だったし、授業中に音楽はかけないでくれと言われていた。両親が働いている家の子供に「おかあさんが帰ってくるまで茶の間で遊んでいかないか」と声をかけた。「そんなことしたらゲームオーバーだよ」と言われた。どうも茶の間には近づかないような指導がなされていたらしい。学校にいるうちは教師の責任。そんなことはわかっていた。 校長先生にはお気の毒だが、私は今回の事態を前向きに考えている。河田さんから頂いたビデオには子供とお年寄りがいきいきと遊んでいる姿があった。貝ノ沢公民館に移動すれば実現できるかも知れない。
昨日の朝から寒気がしてどうも調子がおかしい。それが寒い体育館で卒業式に参列して、トドメを刺された。 昨夜はバレーボールの練習を休んで、8時に寝たが寒気がとれない。役員引き継ぎの文書整理をしなければならない。 東京でご飯の卸を商売にしているお隣のお兄さんが今日は仮設におこわと赤飯を差し入れにくることになっていた。10時頃からボランティアをお願いして、パック詰めと配達をした。地震直後にも長野県経由で2回おにぎりの差し入れをしてくださった。ほんとうに頭が下がる。 ボランティアから「総代は苦しかったら手を出さなくてもいいよ」「早く医者に行ったら」と言われたが「風邪なんてうつせば直るもんだ」とうそぶいていた。 なんとか時間までに引き継ぎ文書を仕上げた。新旧役員の中にも何人も風邪っぴきがいた。終わってから、ストーブを背に飲み始めたが腰が冷えてどうにもならない。早々に引き上げてきた。風邪までうまく引き継ぎできたかどうかは、わからない?
24日に河田珪子さんから「是非新潟市へ」と誘われたので今日はマイクロバスを運転して、新潟市までお茶のみに行ってきました。仮設のお年寄り14名、川口ボランティア3名と私、計18名でした。 10時半に到着して午後2時まで、それこそ実家に帰ったようにのんびりとさせていただきました。常連さんも20名くらいおられたと思います。「この家は揺れるけど驚かないでください」「私たちは慣れていますから」 単に集まってお茶を飲むだけではなく、奥の部屋には2台のパソコンが置いてあり希望者にはパソコン教室もやっていました。その先生のホームページ「越後佐渡・食の風土記」は「WWW イエローページ 〜よりすぐりの 1560 HP」に選定されるほどのできばえです。 おばさんたちは指編みを教えてもらってきました。そんなふうに、お互い教え合ったりして趣味を広げています。私のデジカメを興味深そうに見ていた方は、もっとすばらしいデジカメをもっておられて県内各地の花や紅葉の写真を撮るのが趣味だそうです。その方もホームページをもっていました。布製の背表紙のすてきな写真集をいただいてきました。もちろんすべて手作りです。 向かいに座っていたおばさんに私と河田さんを撮ってもらおうとしたらレンズを自分の方に向けてシャッターを押そうとしたので、大笑いしてしまいました。やっと説明してシャッターを押してもらったら、カメラがおじぎしてテーブルが写っていました。(^_^;) 「川口のみなさんもいつでも実家だと思って、気軽に遊びにきてください」とおっしゃっていただきました。ちなみに「うちの実家」の会員は240名だそうです。地元の大学生もいました。先ほどのパソコンの先生や元県職員などここでもボランティアが活躍しているようです。 余談ですが、今日参加した川口ボランティアは「たらこ」「わかめ」「しま」さんの3名。ほかにも「かつお」や「サザエさん」もいると言っていた。受付でニックネームを付けさせているらしい。全くユニークなボランティアだ。
http://uonuma5.hp.infoseek.co.jp/jisin2/jikka.shtml