強力な助っ人   投稿者:広井   投稿日:Wed Nov 17 19:47:47 2004

昨日の会議では町内に6箇所のボランティアの拠点をつくる、というお話しだった。
泉水地区では相川にするか武道窪にするかという相談が来て、両方に常駐スタッフをおいてもらうことにした。
 
相川に来たのは藤井さん。
「毎朝9時にきてボランティアの要望を聞く」というので
「うちは毎朝8時に朝礼をやって、意見要望を聞いているから
その時間にいてもらわないと困る。寝るところと食事はこちらで用意するから
明日の朝8時にテントの荷物をまとめて、こちらに来て欲しい。
地区の構成は3区。住民の人数と構成比はこのくらい。
全てパソコンに入っているから自由に使ってください。
インターネットもできます。紙もプリンターもOKです。
 
とりあえず、明日のボランティア要請は2件。
今度の土日はガラスや瓦などを出せる日だから、需要はたくさんあると思います。
ただし、他人が家に入ることを嫌がる人もいるから、あくまでも希望する
人のところに配置してください。
 
物資の要望はお昼までに注文をとって、地区でまとめて出すことになりました。
すみませんが、私の代わりに注文をとりまとめて下さい。
役場への連絡は地区の連絡員を走らせます。
私はときどき自分の仕事でいなくなるので、よろしくお願いします」

 

総代会議   投稿者:広井   投稿日:Fri Nov 19 17:39:59 2004

今日は10時から総代会議があった。総代=町内会長
議題はHPで確認のこと。今回はパソコン持ち込みで要点をA4、1枚に速記した。
 
ボランティアセンターからまた2名の常駐の方が派遣されてきた。
そのうちのひとりHさんは昔山登りもしていたということで体格がいい。
口ひげをはやしているので、サマワ帰りの自衛隊員みたいな風貌だ。
「土方でも何でもやります」こんな人が来るのを私は待っていたのだ。
「明日、明後日と私のところで鯉揚げを手伝ってください」
 
夕方高齢者の2人暮らしのおばあさんが食事に来た。
「何かボランティアにやってもらいたいことはないかね」
「作業場の屋根のアングルが道路に飛び出しているのでなんとかしてほしい」
Hさん「私が行きましょうか」
私(明日はうちの仕事をしてもらいたいので)「その程度なら俺が今やります」
Hさんも付いてきて、一緒に屋根に登った。
思った通りすばらしい人材だ!!


http://uonuma5.hp.infoseek.co.jp/jisin/11.18kaigi.shtml

 

ボランティアからのアドバイス   投稿者:広井   投稿日:Fri Nov 19 21:53:14 2004

今日から常駐ボランティアの蛭田さんと飲んだ。
今晩のサンウッド(公民館)はボランティアさん2人お泊まり。
国際感覚のすばらしい方で、いろいろなご意見を承った。
 
日本ではボランティアに行くから1週間休みを下さいなんていうと
ワンランク評価が下がるが、外国では上がる。
 
日本人はボランティアを頼むとき遠慮をするが、外国人は
ここまでやってください、ここからは自分でできますとはっきりと言う。
 
例えば家の片づけにボランティアを頼んだら、本人は監督するだけで
あまり一生懸命働かない方がいい。
あとであれはどこに片づけたとか、あれは捨ててもらっては困るものだった
というような、トラブルが起きることがある。
 
ホームページなどで家の片付けに何人。
家屋の分別に何人必要、などとこまめに書いて頂いた方が人を集めやすい。
 
ボランティアセンター発表によると、川口町の災害ボランティアは
最高時800人だったのが、今日は200人くらいだったそうだ。
それでも仕事のあぶれている人がいたそうだ。
明日から土日に入るからもっとたくさんの人が入ると、私は思う。
仕事があるかというと、家の解体後の分別があると思う。
相川地区でも明日から解体が予定されている。
 
今日の総代会議で「役場職員を常駐させてほしい」という要望があった。
しかし役場職員にオールマイティな人材はいない。
みんなが自分の仕事は一生懸命やっているが、他の部門は暗い。
役場の中でたらい回しにされたという話は列挙にいとまがない。
職員の中に避難勧告が解除されたことさえ知らない人がいた、という笑えない話がある。
原因は忙しさにまぎれて朝礼をしないせいだと思う。
全てはトップの責任だ。
職人の世界では段取りができれば仕事は7割がた終わった、と言われている。
 
相川の例を出して発言した。
>「毎朝9時にきてボランティアの要望を聞く」というので
>「うちは毎朝8時に朝礼をやって、意見要望を聞いているから
>その時間にいてもらわないと困る。寝るところと食事はこちらで用意するから」
 
「ボランティアの中に非常に優秀な人材が来ている。
そういう人を常駐させることで総代は少しは楽になる」
私の場合は藤井さんと出会ったことで肩の荷が半分になった。
 
史上最強の役員と優秀なボランティアの潤滑剤はやっぱり新潟のお酒かな (*^_^*)
 

農地の問題   投稿者:広井   投稿日:Sat Nov 20 20:50:06 2004

優秀な常駐ボランティア藤井さんのおかげで今日は自分の仕事に専念することができた。
1反池2枚、錦鯉の数で当歳(10〜15cm)4,000尾を取り上げた。
スタッフは義理のお兄さん2人と常駐ボランティアのHさん、それとばあちゃんと私。
 
今晩サンウッド(公民館)では土地改良区の役員会が開かれている。
私は役員ではないので引き上げてきた。
 
信濃川に設置してある特注大型ポンプが動くか?
ポンプ場に降りる階段は崩落した。
送水管に致命的な故障はないか?どさん子の前で国道が陥没している。
水路が曲がっているのを田植えまでに直せるか?
作業場が倒壊して、農機具が壊れ、すでにやる気を失っている人の
田んぼは誰がやるのか?
ポンプを入れ替えたときの借金がまだ残っているのに、さらに借金を重ねるのか?
30代、40代のせがれで農業をやる気のある人が何人いるのか?
問題は山積です。
 
7月の水害のときと同じように、土砂崩れ等の被害箇所を報告するように連絡があった。
受益者が2名以上の施設(道路、水路、ため池等)工事費40万円以上の場合
個人負担5%で工事ができるらしい。
これは水害の時の説明と同じだった。
 
ポンプ、送水管、水路。この3つのハードルをクリアしなければ
農地だけ復旧しても無駄になる。
田んぼがダメなら畑を作ればよさそうなものだが、そのノウハウを
持っている人はいない。
元中山間地農業技術センターに勤めていた私でさえ、お勧めの作物は○○くらいしかない。
でも研究員の先生方なら何かアイディアがあるかも知れない。

 

農地の問題(2)   投稿者:広井   投稿日:Sun Nov 21 04:21:13 2004

石丸さん、いつも情報ありがとうございます。
聞いた話を書くのはどうかと思いますが、全くウソではないと思いますので
あえて書かせて頂きます。
 
西川口地区は小高から堰で水をとっているそうです。
7月の水害で堰が落ちて応急的に川からポンプアップしていたと聞いています。
今回の地震でさらに堰が落ちて来年の稲作ができないのではないかと言われています。
 
中山地区はすでにポンプと送水管が老朽化していたそうです。
入れ替えのため何回も会議を開いたが、一部、借金をしてまで農業を
続ける意欲のない人がいて、話がまとまらなかったそうです。
これも今回の地震で壊れたと聞いています。
 
さらに難しいのは山古志村の場合。
山が動いた訳ですから、再測量しても登記簿に書いてある個人の宅地や
農地を特定することは不可能ではないか、と言われています。
 
そこで、すばらしいアイディアをだした人がいます。
川口町山古志村を政府直轄の天領にして
住民はすべて公務員の資格を与える。
いいアイディアだと思いませんか?

 

土砂ダム下流の25世帯106人、集落移転へ   投稿者:広井   投稿日:Sun Nov 21 23:47:46 2004

>新潟県中越地震で、避難勧告が続いている同県川口町小高地区(25世帯、106人)は、
>同地区での復興をあきらめ、全世帯で集団移転する方針を決めた。
>移転先は未定で、今後、町と話し合う。
 
私のバレーボール友達が2人います。
地震以来連絡を取っていないけど、田麦山小学校で避難所生活をしているのかなぁ・・・

http://www.asahi.com/special/041023/

Re)集落ごとに町営住宅建設へ   投稿者:広井   投稿日:Sun Nov 21 23:37:05 2004

石丸さん、いつもすばやい情報ありがとうございます。
レスを書くにはしばし時間が必要でした・・・
 
住宅の解体、分別を町の費用でやること自体、たいへんありがたいことではありますが
そんな財源がどこにあるのか不思議でした。
先の総代会では「お金があるかないかの問題ではなく、やらなければならないのだ」というご説明でした。
この答弁では説明責任を果たしたとは言えません。
だだっ子の言い訳のように聞こえたのは私だけでしょうか?
さらに町営住宅建設などほんとうにできるのでしょうか?
 
震災の義援金がどのくらい集まるかは知りません。
それが全て川口町に降りるとは誰も想像しないでしょう。
それなのに小千谷市長岡市山古志村に先駆けて
どんどん斬新な政策を打ち出すことに、どんな意味があるのでしょう??
 
お年寄りや弱者が町から出ていかないための政策としては、よい政策のように思えます。
しかし、これが子供や孫の代まで背負わなければならない借金になったとしたら
誰が責任をとるのでしょう?
 
今、相川地区で家が全壊して一番困っているお年寄り夫婦は
子供を頼ってムラから出ていこうとしています。
行く人も引き受ける人も一大決心をしたと思います。
それを町営住宅に引き留めることにどんな意義があるのでしょう?
私にはわかりません。
 

Re)中越地震で判定に不満続出   投稿者:広井   投稿日:Sun Nov 21 23:04:06 2004

隣のお父さんが罹災証明をもらって、報告に来た。
「全壊の証明をもらってきた」
「それはおめでとうございます。甲種合格というところだね」
 
川口町では全壊と大規模半壊の住宅について、解体と分別の費用を
町で負担することになった。(本日の新潟日報の1面にも書いてあった)
その後の運搬、処理費用は法律で国が負担することになっているらしい。
したがって、運搬処理まで町がやると書いてある資料は一部訂正が必要だろう。
 
半壊と一部損壊の住宅を解体する場合は、解体、分別費用が個人負担になる。
だから、お隣さんに思わず「おめでとう」と言った。
お昼に武道窪地区に取材にいったときも「よかったね、全壊で」と言ってきた。
 
判定に不満が出ることは私の中では想定済みだった。
川口町の場合、役場職員が1軒1軒調査するには人も時間も足りなかった。
 
したがって、(私が聞いた話は)建築組合に丸投げということだった。
相川の場合、建築組合の中でも資格のある人がよそから派遣された有資格者と
1軒1軒まわりながら、マニフェスト表にしたがってチェックを入れていった。
 
マニフェスト表を提示して「お宅はマイナス何点だから、○○だ」
と言うのであれば、納得がいく。
 
私も初期の段階で役場に行ったとき「お宅は50万円(半壊)だね」と言われて
この人はいつ我が家を見たのか?
何を根拠に半壊と言っているのか?と疑問に思った。
 
判定はあくまでも一定のチェック項目にしたがって下されるべきだ。
外観や所見で判断したら、説明ができないだろう。
判断をする側には説明責任がある。
 

11.21相川   投稿者:広井   投稿日:Sun Nov 21 22:28:39 2004

相川地区に優秀なボランティアが2名常駐していることは前にも書きました。
Fさんは私の代わりにボランティアの受付をしていただき、たいへん助かっています。
もうひとりの体格優秀なHさんは2日連続で、わが家の手伝いに来ていただきました。
おかげさまで2日間で錦鯉の当歳12,000尾を越冬池に入れることができました。
本人はボランティア本部の出張所副所長できたつもりのようですが、お気の毒さまでした。
お金は受け取らないと思いますので、お礼にボランティア中の写真を
12月のカレンダーに仕上げてプレゼントしました。
 
相川、武道窪地区では、新聞を今日から新聞配達員が個別に配っています。
「武道窪はすごい」という情報を得たので、お昼に様子伺いに行って来ました。
 
また、息子の彼女とお母さんが様子伺いに来たので、家の中を案内しました。
以下のHPで写真をアップしました。


http://uonuma5.hp.infoseek.co.jp/jisin/jisin3.shtml

 

 

ボランティアさん、ありがとうございます   投稿者:広井   投稿日:Mon Nov 22 19:51:41 2004

今日相川地区に入ったボランティアさんは約30名。
子供たちと遊んでくださる「のびのび隊」
畑の収穫、冬囲い、家の片づけ、土方仕事などなどでした。
難しい手続きは全てFさんにお任せしして、私は4人の男性と
水路の埋まったところを復旧してきました。
土嚢積みなど自分ではあまりやったことがありませんが
ご指導をいただきながら、なんとか雪解け水が鯉の池に入らないようにしてきました。
 
相川地区ではガス、水道の復旧に思ったより手間取りました。
しかし夜10時頃まで一生懸命働く作業員の姿を見たら、苦情など言えるはずもありません。
 
「自衛隊は急に止まらない」交通安全の標語のようですが、炊き出しのことです。
食材は5日前くらいに調達しているのだそうです。
工事の進捗状況をみながら、全くの独断で21日に
「炊き出しは24日の朝から50人分にしてほしい」とお願いしました。
 
明日は天気がよさそうなのでテントをたたむ予定です。
それでも家が全壊でガスも水道も引いてもらえない人のために
50人分だけ炊き出しを継続しようという判断です。
今朝の朝礼でそのことを話したら「ガスが復旧しないうちに、炊き出しを縮小するのは時期尚早」との意見がありました。
「まだ24日の朝までに40時間以上あります。それまでに復旧しなかったらレトルトのごはんもあります」と言い切った。
 
実体はガスも水道も復旧した家庭が「明日からいらない」と言って、勝手に上がっていくのです。
今日も夕飯のおかずがたくさんあまりました。
テントでお手伝いしてくださるお母さんが「もったいない、もったいない」と
言いながら片づけていました。
 
もう一度声を大にして言いたい。「自衛隊は急には止まれない」
したがって、テントをたたむ前に勝手に上がるのは大迷惑なのです。
 
 

強い味方がやってきた   投稿者:広井   投稿日:Tue Nov 23 07:45:49 2004

昨日夕方、茨城県から来られたボランティアのHさんと固い握手で別れた。
 
今朝公民館に出勤したら、昨日まで通いのボランティアで来られた方がいた。
Hさんの代わりだということはすぐにわかった。Iさん。
若いときは黒四ダムで6年間働いていたとおっしゃる。頼もしい。
「いつまでいらっしゃいますか?」
「相川に骨を埋めるつもりでやってきた」さらに頼もしい。
こちらもそのつもりでフンドシを締め直して対応したい。
(私がフンドシをしているかどうかは、ご想像にお任せする)

 

震災から1ヶ月   投稿者:広井   投稿日:Tue Nov 23 21:08:20 2004

夕方5時56分に町内一斉に黙祷を捧げた。
 
家が倒壊した老夫婦は子供を頼って東京に行った。
3日前に帰ってきて、親戚や子供と家を片づけた。
公民館に布団とこたつを用意した。
子供たちは車庫に泊まったそうだ。
 
ムラに「お見舞い兼御礼」をいただいた。
どんな気持ちでそれを書いたのか?
それを思うと胸がいっぱいになった。
 
あと2晩、公民館に泊まって東京に行くそうだ。
明日の夜のことは約束できないので、一升瓶を出して送別会をすることにした。
メンバーは公民館に避難している2世帯のお父さんと私。
ボランティアの方も誘ったが、本人が引き上げるまで遠慮していた。
 
解体、分別は町の費用でやってくれるのだから、頑張らなくてもいいんじゃないかと思っていた。
しかし倒壊した家の中には登記書や通帳、位牌があったので
分別しないわけにはいかなかったそうだ。
私も考えが浅かった。
 
さようなら、広井新太郎さん。

 

 

相川テント撤収   投稿者:広井   投稿日:Wed Nov 24 05:55:04 2004

昨日は天気がよかったので、テントを撤収した。
テントを地下室に入れて、替わりに冬囲いの板を出した。
囲い板をはめていたら新たなトラブルがみつかった。
サンウッド(公民館)の下水管が壊れていて、汚物が建物の裏で
水たまりになっていた。
直ちに役場に連絡したが業者が来るのは今日の午後になるらしい。
でも仮設トイレを撤収する前でよかった。
 
今日の朝食から自衛隊の炊き出しはほんとうに困っている人50人分に減らした。
朝食は少し余ると思うが、昼食はボランティアが食べると
足りないかもしれない。まぁ、なんとかなるだろう。
 
当番制も解除してもいいか、という声があった。
そうするとサンウッドの近くの奥さんだけが
負担を背負うことになるので、しばらくそのままで
様子をみることにした。
 
まだまだ、この先何が起こるかわからない。
 
今朝5時前に起きたら、満天の星空だった。

 

あの当時   投稿者:広井   投稿日:Wed Nov 24 16:52:22 2004

古田島さん、投稿ありがとうございます。
野田で亡くなった方はお父様でしたか。お悔やみ申し上げます。
 
私は町の飲食店の2階で錦鯉品評会の慰労会を始めたところでした。
ドーンと突き上げられて、畳に腹這いになるより、動きようがありませんでした。
女将さんが「お客さん、申し訳ないけど歩いて帰ってください」
というので、飛び出しました。家々から人が出てきて
「どうすればいい、どうすればいい」と叫ぶので
「役場、役場の駐車場に行け」と叫びながら走りました。
 
「西川口の家に子供がひとりで留守番をしているけど、どうすればいい」と聞かれたので
「タクシーなんてないから、歩いて帰れ」と言いました。
 
町の防災無線の第1声は「役場は機能していないので、各地区で
対応して下さい」だったと記憶しています。
 
あの当時、木沢でも家が倒壊して人が下敷きになったという
情報はありましたが、道路が寸断されていたため
こちらから消防団員を送ることができませんでした。
もっとも相川地区の消防団員は武道窪の火事に出動していました。
 
私は坂塚を走って駆け上がり、貝ノ沢の知人に乗せてもらって、家に帰りました。
まず、公民館の地下室から発電機を引っ張り出して、投光器を付けました。
公民館は木造で避難所にはならないので、公民館の隣りに去年作ったばかりの
自分の車庫に50人ほど収容しました。
 
次に泉水小学校に行ってみました。
グラウンドには武道窪、貝ノ沢、相川の人がいました。
体育館を開放するように教頭先生に掛け合いましたが
広神村で体育館の屋根が落ちたという情報があったので、却下されました。
 
再び自分の車庫に帰って、朝になったら何が必要かを考えました。
水。トイレ。
車庫の裏に自分の井戸があったので、夜中に家から電気コードと小型ポンプを持ってきて、まず水を確保しました。
余震のたびに水が濁りますが仕方ありません。
 
この水は次の日に役場の駐車場まで鯉の水槽でピストン輸送しました。
 
トイレは池に桟橋をかけるか、スコップで大きな穴を掘ることを考えていました。
近所の方がパワーショベルを持ってきてくれました。
大きな穴に桟橋をかけて周りをシートで囲みました。
 
朝になって「電気炊飯ジャーのある人は持ってきて下さい」と号令をかけました。
相川地区でトラブルもなく対処できたのは、今年宝くじ協会から
発電機を買っていただいたことが大きかったと思います。
 
「緊急事態だからムラの定期を100万か200万切り崩す」とも言いました。
消防団員は消防車でガソリンとカップ麺、赤ちゃん用品を買いに行きました。
長岡でもホームセンターが開いていなくて中之島で買ってきたそうです。
 
次の日からは「緊急車両 物資買出し」「緊急車両 病人搬送」などの
ラベルを自分で作って送り出しました。
 
その後のことは、この掲示板をたどってみてください。
停電の復旧が早かった天納の知人の家から投稿していました。
 
わが家は傾いたため電気を切られ、周りの人より1週間くらい電気のくるのがおくれました。
それでもボランティアの大学生のおかげで公民館に設置された
無料電話でインターネット環境を確保して投稿していました。
初期のバタバタは記録に残しておきたいことばかりです。

 

強い味方がやってきた(2)   投稿者:広井   投稿日:Wed Nov 24 21:21:23 2004

私事ですが、ドラム缶1個半くらいの濾過槽が池の中に倒れ込んで
どうしたものかと、思いあぐねていました。
中に500kgくらいの砂が入っていて、それさえ出せれば入れ物は軽いという
製造元の説明でした。
 
黒四ダムの戦士というボランティアのIさんに相談してみました。
上蓋のネジは下の5本以外は簡単にはずれましたが、その後が難しい。
しかしIさんの技術と知識であれよあれよという間に解決しました。
 
遅ればせながらやってきたボランティアの青年たちは東京農業大学から
だそうです。
Iさん「俺はトウダイ卒だ」
私「どこの灯台ですか?」
岩手県三陸の灯台だ」
 
でも人生大学を歩いてきたIさんには脱帽です。
 
 

Re)ライフラインが復旧しました   投稿者:広井   投稿日:Thu Nov 25 05:52:19 2004

小林さん、おはようございます。
相川で一番下水道が遅くなったのが、避難所であるサンウッド。
まさか管が割れているとも知らず使っていました。
昨日の午後復旧しました。
 
炊き出しは昨日から50人分に減らしていただきました。
それだけみなさんが自活しているということだから、喜ばなければいけません。
何故か相川でもうちの6班6軒は全滅で、台所に入られる家は1軒もありません。
他にサンウッドに避難しているのは3家族11人。
ボランティアの常駐が2人。
仮設住宅ができるまでお世話になるつもりです。
 
武道窪地区は、旧上川保育所で朝晩は200食、お昼は150食だそうです。
 
荒谷地区は未だに全村泉水小学校に入っています。
仮設住宅には1軒1台しか駐車場がありません。
荒谷の場合、家の車庫に置いてくることは不可能なので
学校の反対側の空き地を除雪するように、要求中です。
 
昨日の新聞で「冬期間、屋根の雪下ろしに行かれなくて
倒壊した場合も全壊扱い」という記事がありました。
山古志村のように誰も住んでいない地区に、除雪車を走らせるのでしょうか?
まもなく雪との戦いが始まります
 
 

トイレとゴミの問題   投稿者:広井   投稿日:Thu Nov 25 17:16:38 2004

屎尿処理業者から苦情がきました。
「仮設トイレを回ってもほとんど使ってないではないか。
わかりやすいように目印をつけてほしい」
「了解。現在相川地区でどうしても必要な仮設トイレは4箇所。
でも地元の人が掃除した後で工事関係者が使ったりしているんだよね。
4個以外は使用禁止にします」
 
ゴミの問題はもっと深刻です。
23日にガラスと陶器、粗大ゴミの日がありました。
相川では当番が番をして種類別に山にしましたが、他の地区で
ひと山にしたため、収集員がたいへん手間取ったという話がありました。
それでも収集しない粗大ゴミが残って、頭の痛い問題です。
次の日になって「袋に名前を書くようにすればよかったね」と
言ったけど後の祭りです。
 
東部地区のテントを訪問したときその話をしたら
「東部ではもともと名前を書いて出す約束だったが、震災でグジャになった」とのこと。
 
基本的には個人のモラルの問題だと思うのですが
自分の家がきれいになれば後は野となれ山となれでは、ちょっとひどすぎます。
こんな時期だからこそ個人でためておけるゴミは我慢して
ゴミの収集がスムーズに行くように協力できないものでしょうか?
 
ちなみに我家ではいろんなものを家の中に入れて、解体の日を待っています。

 

Re)接骨院   投稿者:広井   投稿日:Fri Nov 26 05:46:07 2004

工藤様、ボランティアありがとうございました。
私もムラの公民館で3回、マッサージ、整体のサービスを受けました。
最初のころは防災無線でアナウンスしても、忙しいのか、なかなか人が集まらず
本部に詰めていた私がお世話になった次第です。
昨日も整体師さんが来られ、行列ができました。
 
大勢の皆さまのおかげで、家の片づけ、野菜の取り入れや冬囲いなど
順調に作業が進んでいると私は見ています。
そして合い言葉は「気を抜くと風邪を引くので、頑張ろう」
 
昨日サンウッド(公民館)にパトカーが5台も来たので、何事かと思いました。
県外ナンバーの軽ライトバンの持ち主を捜していたようです。
公民館の奥で役員と話をしていました。
後から聞いた話では、お坊さんで、心のケアに来たらしいのです。
でも悩み事を聞いて、ついでに家族構成などを調べて・・・
というのがあるらしいのです。
近所の奥さんが怪しいとにらんで、警察に通報したそうです。
 
本部に詰めていたボランティアの藤井さんのお話しでは
神戸から来られた長谷部さんがお坊さんのことを覚えていて
「彼は神戸でも問題をおこした人物だ」ということらしいです。
 
警察がきたついでに先日の大捕り物の話を聞かせました。
こちらは車のナンバーから写真入りの古物商の免許証のコピーまで
押さえていました。
警察官の話ではよその地区でも問題を起こして、すでに要注意の手配書が回っているそうです。
 
これからもいろいろな人が来られると思います。
警察官をしている弟が言っていました。
「人をみたら泥棒と思え」と。

 

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