最後の追い込み   投稿者:広井   投稿日:Wed Dec 1 21:03:38 2004

雪国には雪国の悩みがあります。
今日は車庫の奥から除雪車を出しました。
かつて40人も避難していた車庫です。
荷物やカーペットを動かしてなんとか出しました。
次に空いたスペースに荷物を押し込んで、入り口に除雪車のスペースを作りました。これで半日。
 
息子が休みだったので、午後から最後の池の網引きをやりました。
明日はボランティアさんを頼んで選別の予定です。
 
役場から「家屋の解体をしてもよいか」と問い合わせがありました。
「鯉の仕事が終わるまで、もう少し待ってほしい」
「瓦だけでもはいでもよいか」
「それは、お願いします」
最初にチャンスがあったとき見送ったけど、その後で
東京にいる娘や親戚が訪ねてきて、結果的にはよかったと思います。
娘は自分の部屋からアルバムを出しました。
 
ボランティアの藤井さんには
「引き上げる前にボランティアセンターの一輪車やスコップを片づけてほしい」
と要請しました。
藤井さんの交代要員はいらない、と本部に伝えてあります。
 
泉水小学校の仮設住宅がオープンするのが、6日。
炊き出しも6日のお昼まで。したがって相川地区の当番制も6日まで。
 
仮設トイレや相川に設置されたお風呂も近日中に撤収の予定。
ユニットハウスも雪が降る前に撤収の予定です。
中には冬場の物置にと考えている人もおられるようです。
説明に行かなければなりません。
 
カマキリ博士の予想では初雪は12月8日。
それまでには鯉の商売も終わらせたいと思っています。
 
 

藤井さんの送別会   投稿者:広井   投稿日:Thu Dec 2 22:04:54 2004

今日は午後から天理教のボランティアが我が家に来た。
約2時間で屋根瓦を全て降ろしてくれた。
1回目に解体を指示が出たとき、断ってよかった。
瓦だけでも分別してしまえば、解体後の作業が楽になるだろう。
天理教のみなさま、ありがとうございました。
 
2週間相川サンウッドでボランティアのキャップとして、受付から作業指示、
取材の対応までしてくださった藤井さんが、明日帰京することになった。
バイクでムラの中を走り回って、自分でご用聞きする行動力はすごかった。
今晩は避難所にいる家族にだけ声をかけて、ささやかな送別会をやった。
長いようで短かった2週間。
地域のみなさんが藤井さんを頼っていろいろな注文を出した。
解体後の分別、野菜の収穫、冬囲い、障子貼り、水路の泥上げ、鯉の池揚げなど
1日平均4〜5件。2週間で70件くらいの作業を総括してくださった。
おかげで私も自分の仕事をする時間がもてた。


http://uonuma5.hp.infoseek.co.jp/jisin/jisin5.shtml

 

町の2割が仮設住宅   投稿者:広井   投稿日:Fri Dec 3 18:48:31 2004

今日は初霜が降った。例年より遅いと思う。
その代わり日中はすばらしい好天だった。
川口からみる魚沼三山は雪で白かった。
午前中は逆光だった。
午後からシャッターチャンスがあったはずだが、忙しくて行ってられなかった。
 
朝からTENYが来て藤井さんが起きるところから撮影していた。
放送は月曜日の夕方6時過ぎだそうだ。
こんなことなら、ヒゲをそっておけばよかったか(^_^;)
 
9時から役場で総代会議があった。
仮設住宅の入居者数が発表になったが、
なんと町の人口の2割が仮設住宅に入ることになる。
それぞれの人数と世帯数はHPを見て欲しい。
 
藤井さんが小千谷から12時の高速バスで帰京することになっていたので
時間が気になるが、今日に限って会議が長くなってしまった。
原因は生活再建支援金で何を買えばいいのか?ということ。
まぁ関係のない総代さんもおられたが、相談を受けて答えられないようでは困る。
 
なんとか11時10分にはムラに戻って、藤井さんと握手で別れることができた。


http://uonuma5.hp.infoseek.co.jp/jisin/kasetu.htm

 

連絡長体制   投稿者:広井   投稿日:Sat Dec 4 04:05:52 2004

昨日の総代会議の議題のひとつに、「連絡長体制」があった。
町内にそれぞれ連絡長をおき、その下に班長をおいて連絡網を形成していた。
ところが、2割もの住民が仮設住宅に入ればそれは崩れる。
田麦山、和南津、木沢地区の場合は地区ごとにまとまっているので
問題は少ないと思う。
 
東川口と西川口が同居する川口中学校の仮設の場合は、区画ごとに新しい班を
形成して班長を出すことになったようだ。
 
泉水小学校の場合、相川、荒谷、武道窪、牛ヶ島、貝の沢の5地区の集合体だ。
同じ学区でまとまりはいいとしても、普段はほとんどつきあいのない人達だ。
総代は口をそろえて、地区ごとに連絡体制を組むという。
都会の人には理解できないかも知れないが、これがムラなのだ。
ただ、牛ヶ島から1軒だけ仮設に移る家庭をどうするか、問題になった。
仮設の配置からいえば武道窪地区なのだが、武道窪総代はクビを縦に振らない。
相川が引き受けることにした。
 
夜、ムラの台帳を出して仮設に行く人を拾い出してみた。
私の所属する6班は1軒を除いてすべて仮設にいくことになっている。
それだけで1班が形成できる。
残った1軒は7班の連絡網にいれてもらうことで、話がついている。
仮設住宅に4〜6軒の班を3班つくることにした。
今晩の役員会で図ってみたい。

 

文化財   投稿者:広井   投稿日:Sat Dec 4 12:32:53 2004

うちの隣は明治時代石坂平八郎県会議員を輩出した名家である。
平八郎翁のことは新潟県史にも出ている。
 
今日はうちとお隣の解体をすることになっていた。
なにげなく顔を出したら「蔵も壊す」という。
えぇ〜、図書館の桜井さんが、「石坂さんの蔵には古文書があるはずだが
まだ、調査にはいってない」とおっしゃったことが頭をよぎった。
地震からすでに40日以上経っているが、古文書のことなど頭になかった。
すぐに教育委員会に電話をいれたが、
「ひとりしかいないから出られない。桜井さんに電話してもよいが
捕まるかどうかはわからない」との返事。
家の人も「もうだいぶ燃やしたよ」とそっけない返事。
「全ての文書を相川サンウッドに運び込むように」と指示をだした。
5人頼んだボランティアは9時にならなければ、来ない。
それでも解体作業に来ていた天理教の皆さんが手伝ってくれた。
油紙に漆を塗ったこおりが出てきた。
全部で軽トラック2台分しかなかった。
 
終わってから桜井さんも駆けつけた。
ちょっと見てもらったが、やはり珍しいのがあるらしい。
「とにかくサンウッドで預かるから、落ち着いたらゆっくりやりましょう」

 

家屋解体   投稿者:広井   投稿日:Sun Dec 5 04:44:36 2004

昨日は我が家とお隣の解体でした。
家内も会社を休みました。
他に何をする気にもなれず、ただただシャッターを切っていました。
丁寧な仕事をしていただき、感謝です。


http://uonuma5.hp.infoseek.co.jp/jisin2/kaitai.shtml

 

くもりのち大風、大雨   投稿者:広井   投稿日:Sun Dec 5 17:05:29 2004

昨日、家屋解体をやってもらったとき、「ボランティアを頼んでシートをかけておくように」と役場の担当から言われた。
3人頼んだら大学生が来てくれた。
最初、解体した材木の上は釘がでていたり、足場が不安定で、怖かった。
雨が降ってきて滑りやすくなっている。
でも慣れてくると山登りで岩場を歩いているような感じで楽しかった。
大学生は最後まで怖そうで、申し訳ないと思いながら作業を進めた。
 
11時頃になって大風が吹いて、全員でシートを押さえたがどうにもならない。作業中止!!
サンウッドのガラスの補修に張っておいたシートも1枚は切れ始めた。
仮設トイレも倒れた。
 
午後はゆっくり、お茶のみをしていた。
女性の2人暮らしの家庭から「屋根のシートが飛んで、家中雨漏りしている」と相談があった。
この強風にボランティアを屋根の上に頼む訳にはいかない。
私だって屋根の上でシートを広げる自信はない。
あきらめてもらうことにしたが、親戚の大工さんが音頭をとって
マキ(親戚)の人間が屋根に登った。
これがムラのやり方だ。
 

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