泉水小仮設住宅入居開始   投稿者:広井   投稿日:Mon Dec 6 06:39:50 2004

川口小、中学校より遅れたが、今日、泉水小学校の仮設住宅の入居が始まる。
家内は昨日から下見に言って「狭い」と言いながらも何を持って行くか、荷物の整理をしている。
 
相川地区は35人分の炊き出しをお願いしていたが、それも今日のお昼で
やめることにした。
夕方までにすべての家庭が引っ越しできるとは思わないが、一応の区切りだ。
サンウッドの調理室は希望者に開放するし、カセットコンロもまだ余裕がある。
 
私が徴兵制度と称している当番も今日で終わりにする。
みなさんが会社を休んだりして、よく付き合ってくれた。
当番は炊き出しを取りに行ったり、サンウッドのまわりの冬囲いや環境美化に協力していただいた。
 
サンウッドにはまだ支援物資がたくさんある。
余った物は役場に返すように指示をもらっている。
今まで六日町温泉に避難していた人が帰ってくるので
その人たちに配給してから、返すつもりだ。
 
今みぞれが降って、一面真っ白になった。
これを初雪というのだろう。
 

 

初雪   投稿者:広井   投稿日:Mon Dec 6 07:27:49 2004

朝7時過ぎの相川サンウッド前の写真です。
道路は真っ白。
昨日の風でシートが1枚切れました。

 

仮設住宅   投稿者:広井   投稿日:Mon Dec 6 19:25:39 2004

今日は泉水小学校の仮設住宅がオープンした。
相川地区のボランティアサブリーダーだった蛭田さんが
茨城県から引っ越しの手伝いに来てくださった。
昨夜は2人で1升半くらい飲んだ。
 
我が家は5人家族ということで、3LDKに入れてもらった。
入ったところがシート張りの4畳半で玄関兼台所兼洗濯場。
その右奥にトイレとバスルーム。左奥が4畳半の洋間。
右側の奥の部屋が4畳半の和室。エアコンが付いている。
左側の奥の部屋が6畳の洋間。ここにテレビとこたつを配置した。
家内のお姉さんも手伝いに来てくれて、主に掃除をしてくれた。
ガラス1枚では寒そうなので、窓にビニールのぷちぷちを張った。

 

サンウッド撤収   投稿者:広井   投稿日:Tue Dec 7 11:12:51 2004

余った支援物資を役場に返す前に有効に配分したいと思っていた。
仮設組でまだ六日町温泉から帰っていない人もいる。
昨日までは徴兵制(当番制)を強いていた。
しかし、天気が悪かったので物資の移動は見合わせていた。
 
今日は天気がいいので決行することにした。
朝、荒谷地区の避難所(泉水小学校)に顔を出したら
相川より支援物資が少なかったことがわかった。
炊飯ジャー、ポット、電気こたつは仮設組用に備蓄しておいたが
相川では仮設希望者が半分になって、余っていた。
荒谷地区は全員が仮設組だ。
「俺が鍵を開けるから、取りにきなさい」
残り物でめぼしいものは荒谷地区に配分した。
 
10時から、最初から頑張ってくれた近所の奥さんたちも手伝ってくれることになった。
「欲しいものは何でも取って」(あなた方の協力がなかったらできなかったから)
 
ボランティアセンターにもにも電話した。
「相川です。支援物資で余ったものを本部なり、ボランティアセンターに
お返ししたいから、車と人間をまわしてください」
「相川って、どこですか?」
「・・・あなた、川口にきて相川を知らなかったら、仕事はできないよ」
どうも、ボランティアセンターの受付だけは最後まで好きになれそうもない。

 

ヒゲをおとす   投稿者:広井   投稿日:Wed Dec 8 01:50:43 2004

とりあえず、サンウッドの中も片付けた。
仮設住宅への引っ越しも終わった。
最後まで残っていた錦鯉の売り口も決まった。
古い車庫も整理して2台分のスペースを確保した。
仮設住宅に帰ってきてからゆっくり風呂に入って、ヒゲを落とした。
こたつに入ってテレビを見ながら、ビールを飲む。
なにげない日常がそこにある。
 
大勢の皆さまのおかげで、ようやくここまで来られた。
山で言えば2合目くらいか。
住宅の再建、錦鯉設備の再建等々、まだまだ試練が待っている。
一歩一歩、ゆっくりと確実に辛抱強く登るしかない。
 

田麦山地区の仮設住宅入居は12日(日)からだそうだ。

 

今日の出来事   投稿者:広井   投稿日:Sat Dec 11 18:07:59 2004

今日から田麦山地区の仮設住宅の引っ越しが始まったらしい。
 
2回目の家電4品目と粗大ごみの無料回収日ということで、
お隣さんと2台の軽トラックでテレビ、エアコン、冷蔵庫を西川口の集積所に運んだ。
1回目は行列ができていたが、今日は待ち時間なしでボランティアの方が降ろしてくれた。
おなじ建設会社の敷地内で粗大ごみの集積が行われていた。
狛江市武蔵野市など県外のトラックがたくさん来ていた。
ほんとうにありがたいことです。
 
帰りにあおりの里に設置されたボランティアセンターに初めて寄ってみた。
まず、ボランティアに来た人の受付。
となりが需要の受付と人員の配置をやっているようだ。
奥には物資置き場があって、衣類などをみている人がいた。
醤油やホウキ、チリトリなども「ひとり1個」と書いてあった。
最後に本部と書かれたコンテナハウスを覗いてみたが、役場職員はいなかった。
役場の名簿では本部長になっている小山さんに用があったので訪ねたら
「水落さんなら時々来るが、小山さんは知らない」という。
それでは役場からもらった名簿は何だったのか??
県の社会福祉協議会が仕切っているのだろうか?
誰か、知っている方は教えてください。
 
19日にはボランティアセンターを解散するが活動は続けるとのことだった。
言っている意味が理解できなかった??
 
1時ころ仮設住宅でくつろいでいたら、ボランティアさんの訪問を受けた。
「泉水小の仮設の人達のために、餅つきなどのイベントをやりたい」という。
(西川口では今日の11時からやる、と広報に書いてあった)
「雨が降っているのに立ち話も何だから、どうぞ入ってください」
そういえば、この人たちは雨の中ずっと外で仕事を探していたのだ。
支援物資のミルクティーなど出しながら、若い女性と意見交換。
餅つきはやんわりと断ったが、我が家のお稲荷さんの冬囲いをしてもらうことにした。
車庫に材料をとりに戻ったら従兄弟がきていたので、一緒に誘った。
美人に冬囲いしてもらって、お稲荷さんも満足したことだろう。(^_^)


http://uonuma5.hp.infoseek.co.jp/jisin2/jisin6.shtml

 

こんなこともありました   投稿者:広井   投稿日:Wed Dec 15 12:37:27 2004

今日役場の物資班から問い合わせがありました。
「相川地区の人で初期の頃軽油を寄付した人はいませんか?
ポリタンクに名前が書いてあります」
「そうそう、自衛隊の輸送車が入れないところに軽油を運びたいので
ポリタンクを寄付してください、ということがありましたね。
あのときは地区に声をかけて軽トラック3台分くらいのポリタンクを役場に運びました。
名前がわかるものなら、私が配達してもいいですよ」
と言ってみたけど、実物をみたら汚れているし
「あのときは返さないから、と断って集めた。
一度軽油を入れたポリタンクを再び灯油用にどうぞと言っても
誰も喜ばないから、すみませんがそちらで処分してください」m(_ _)m

 

人は無事   投稿者:広井   投稿日:Fri Dec 17 06:29:28 2004

昨日、横浜の親戚とあの日のことを話した。

向こうから電話をかけてもつながらなかった。

こちかからも電話をかけたがつながらなかった。

東京の娘からメールが入った。

直ちに返信した。

「人は無事 家は倒壊 鯉はあきらめた 東京の親戚に連絡たのむ」

携帯メールが苦手な私には精一杯の文句だった。

 

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