与板町は上杉謙信の第一軍師、直江大和守実綱が天正六年に春日山より、兼光・兼辰の流れをくむ刀剣師を与板に連れて来たときから、与板打刃物は呱呱の声をあげました。
徳川時代には牧野氏、井伊氏と変り、城下町として信濃川を利用する港として隆盛を極めました。
大坂屋等豪商が群出し、享保年間には土肥鑿、兵部鑿が広く天下に知れ渡りました。
幕末のころ、竜眠斉兼行等の刀工が刀剣のかたわら鉋を製造して全国にその名を馳せました。
戦国の世から400余年、全国一の打刃物の主産地であります。
曹洞宗の古刹 香積山徳昌寺は、与板町の裏山の中腹にあります。長い石段を登ると、娑羅双樹の古木ゆかしき森厳な境内があります。
その昔、直江山城守の菩提所であり、良寛ゆかりのお寺です。
また、名僧虎斑による『請蔵南行爛葛藤』は、当寺の貴重な蔵書です
(与板町の塩之入トンネルの入り口に建っています)
与板町は良寛さまの父以南の出生地でもあり、良寛さまは幼いころから度々与板へおいでになりました。
与板と和島の境は、その昔、急坂の塩之入峠で、大変難渋な山道でした。
その後、村人たちの努力で改修され、良寛さまは非常に喜ばれて詩を詠まれました。
『塩のりの坂は名のみになりにけり ゆく人しぬべよろづよまでに』