はたしてエンドポイントはどこ?
 zoroは昔っからテレビっこである。
でもどうしてもテレビをみれないときがある。それは車の運転の時だ。zoroの車には上等にもナビゲーションシステムがついている。いわゆるカーナビである。だから当然テレビも車の中でも見ようと思えば見ることもできる。とっても危険であるからみないのではあるが。
 そんなときはたいがいFMラジオを聴いている。地元の情報やニュースと音楽が聴けるからである。zoroは新潟県人なので聞くチャンネルの大部分はFM新潟でしめている。
 はじめて車を買ったときそのころは車にFMチューナーがなくて欲しくってむりしてカーコンポを変えたおぼえもある。それもFM新潟という民放のFM局を友としてドライブしたかったからだ。はじめてできた地元の民放FMということですごく楽しみにしてた。
 洋楽の最新情報やJ−POPの新譜やブレイク前の新しい才能に出会い「こいつはいけえる。売れるな」と思ったりしながらひとりうなずいたりしたものだった。また別の日はユーミンの辛口で切れ味のある恋愛相談のコーナーに耳をダンボにしたものだ。また、FM新潟の自主制作番組にも必死さがあった。なんとか放送局として自立しよう、リスナーと一体化して盛り上がっていこうという情報ステーションとしての前向きの勢いがあったように感じられる。
 しかし、最近のFM新潟はどうだろうか?なにかが違う感じがする。
 まず第一番組の宣伝やもしくは局の企画したイベントの宣伝が多すぎる
特に自主制作番組やその合間にいれられるCMの中には数え切れないほどだ。そしてあげくの果てに開局記念と称して現金でリスナーを釣っているような企画。これが情報ステーションとしての役目だろうか?
 第二にパーソナリティと呼ばれるものたちの意識の問題である。
ある男性パーソナリティがクラブのDJ気取りで放送する。それが日本語のへたくそな外国の方みたいでとても放送できるものではないだろう。
 ある女性パーソナリティは関西出身で関西弁で話したりする。関西弁が悪いわけではないし、彼女が自分のふるさとの言葉を大切にしているのもいいことだと思う。しかしここは新潟なぜわれわれが彼女の思いにつきあわねばならないのか?なぜ彼女はわれわれのお国言葉で話す努力をしないのか?
 ほかの女性パーソナリティなどはスポーツニュースがほとんどと言っていいほど読めないものが多い。読めないならスポーツニュースを見たりしながら努力する必要があるのではないか?それがプロとして人に伝えるものの最低限の仕事ではないか?
 そして一番問題なのはそれがなおらない(もしくは良しとする)局の姿勢ではないか。そこにはリスナー本意の姿勢はないのではないか。自分たちの満足が彼らのエンドポイントになっているのではないか。スター気取りのパーソナリティはその現れだろう。
 ここで言いたいのは、この大きいのは女子アナがスター気取りでプロ野球選手や芸能人をあさってる全国ネットの放送局である(民放、国営問わず)。そして小さいのがコミニュティFMである。人は状況に酔いしれると本当に目指したエンドポイントを忘れる。どこの業界にも転がっていそうな話である。
(2000.11.13作)
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