personal telephone dependence syndorome(携帯電話依存症)
 2000.11.1 10:30pm宇多田ヒカルのfor youが鳴る。おっ、携帯に着信だ。zoroはあわてて愛用の携帯電話D501iを探す。
「 あれどこだ。充電器。ない。バッグの中。ないスーツの内ポケット。あった。でも電話は切れてしまった。」
こんな事がよくある。携帯電話のある場所がわからないほどぼけてるわけではない。携帯電話を使わないのだ。zoroの一ヶ月の携帯電話の通話料はだいたい100円から200円。i−modeの使用量を合わせてみても、基本料金込みで5300円くらいである。そのくらいだとほとんど自分から携帯電話を使うことはない。ここが問題なのである。
あんまり鳴らないのでどこにあるのかわからなくなるし、自分の携帯を使うのにドキドキしてとまどってしまう。挙げ句の果てにでようとして切ってしまうこともしばしば・・・
確かに携帯電話は便利だ。しかしこの鳴らない携帯電話がzoroに必要なのか?答えを言えば必要だったのである。非常時の連絡用に携帯するようになった。現に通勤時に事故に巻き込まれたときや家族に急な用事などの時にすごく役だった経験はある。つまりは保険みたいなものなのである。なにかあったときのための。
 ところで10代20代の友達を見るとどうだろうか?彼女ら彼らの間にはやっかいな事になってそうな気がする。街を眺めると携帯電話を抱えて、ところかまわず通話したり、着信のない時は画面を穴があきそうなくらい見つめていてりする。食事も着信メールを見ながら、休憩時間もメールの送信に費やす、そんな人を探さなくても見つけることができる。携帯電話に心臓をうつしているかのように大事にしている。
 NTTドコモの調べによると携帯電話の使用回数や使用料金が増えるほど深い話のできる親友が増えたり、親とコミュニケーションをよくとれるようになるそうだ。(朝日新聞2000.11.3朝刊より)これはにわかに信じがたい話だ。親友の数や親とのコミュニケーションと携帯電話の使用量は関係ないと思う。それにzoroの私見ではあるが親友が5人以上いるようなやつは何か信じがたい。「そんなにたくさん重要なことを話せる友達がいるなんておかしいよ」と思う。
問題は彼らが携帯電話が手放せない携帯電話依存症になってるんではないかということだ。携帯で誰かとつながっていないと不安でしかたない。電話が鳴らないとひとりぼっちのような気がする。それが引き金となって用もないのに自分からかけたり、かけられたりして安楽をえる。それでいいのかい。ひとりでいるのがそんなに恐いかい。自分を見つめてごらん。自分に自信を持って歩いてごらん。以外と自分一人でやれるよ。そしてたったひとりでもいい本当の親友を作ってごらん。みんなひとりになるのは恐いけどそれをしないと歩けないよ。といってもわからないかもしれないけど、言ってあげたい大きなお世話だけど。みんなひとりで歩ける力を持ってうなれてきたんだから。
 僕らの若いころは自分の行方がわからないところがかっこいいみたいな所があった。でも時代が変わったんだと思う。軽くつきあい自分の行方を自分で縛る時代になったんだなと思う。携帯電話が悪いわけでもないのに悪者にしてしまって携帯電話には悪いことをしたと思う。どんなに便利な文明の利器でも使うものの心意気がだめだと悪魔の道具になる。若者諸君これ以上携帯電話を悪者にしないように。
首都圏の若者1000人のうち7割は携帯電話またはPHSを持ってるそうだ。
それにしてもzoroの携帯は鳴らないな〜   (2000.11.4作)


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