楽園に住むものは・・・・
 
 昔、子供のころ僕の家の近くには豆腐屋さんがありました。そこの豆腐屋さんはちょっっと豆腐が柔らかくて買いに行くときによく壊さないように母から注意されたものです。
信号を2回わたっていく豆腐屋さんは、夫婦ふたりで営んでいる豆腐屋さんで年齢的には僕の両親より年上だったように思います。

ここの豆腐屋さんのがんもどきを何ともなく食べていたのですが、そのがんもどきは時々売り切れたりしていて手に入らなかったこともあり、そうすると煮物が寂しかったりするようにおぼえています。
僕の中では何ともない普通のがんもどきでした。

 ところが、その豆腐屋さんが病気になったり、亡くなられたり、後継者がいなかったりして閉店することになり、少し寂しい思いをしてはいましたが、そこは時代の流れ、老舗でもない個人商店にはありがちな終わりで納得していました。
特にそこの豆腐が特に美味しい思ってもいなかったし、ましてやがんもどきどこでも食べれると思っていましたから。

 ところがスーパーで豆腐やがんもどきを買っても、その店ほど美味しくはありませんでした。
豆腐はそれでもスーパーではない店で買うとそれなりですが、がんもどきは未だにあの味にはあっていません。


 僕の転勤前の職場は経営があまり思わしくないところで、常に赤字赤字と言われてきました。
それにつけても薬剤師の地元のものがいなくて若い新人が回され、田舎の町だったので若い者たちは安い給料と環境に嫌気がさして、次々と退職する始末。
そのたびに欠員となり仕事のつけが回り、残業がつづき、有給休暇など宇宙の彼方に飛んでしまっていくほど不毛な忙しさの中にいました。
そして小さい職場だったので自分の上には職場長しかいなくて、職場全体のことや対外的なこともしたりしてたいへんでした。

 今の職場は年齢的にもバランスがとれて何も言わずに仕事ができる強者だらけ。有給休暇も前もって言えばきちんととれるし、残業もあまりありません。
上司自体この職場のすばらしさを気がついていないかもしれないくらい絶妙なバランスの上に成り立っています。


 普段普通にたべていたものが、それになれてしまうとそのもののホントの価値がわからなくなってしまう。
 恵まれた職場にいてある程度無理のきくところにいると、ホントに自分が恵まれた職場で働いている感覚が失われていく。


 楽園に住むものはそこが楽園とはきっと思わないだろう。
そして楽園を失うときにはじめて楽園
の意味を知る。

今の職場をきっと誰かがやめたり、移動があったりしてはじめて今の職場の価値
に気がつく。

今は誰も誰も楽園の意味など考えることはあるまい。

そしてエデンの園の禁断のリン
ゴを食べて楽園を失うのは残された者か、去っていく者なのか、はたしてどちらの立場の人間なのかは誰も知らない。

 
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裏ゾロのぼやきに