死神損害補償株式会社
                              
 デスクの上の端末のディスプレイが、申し訳なさそうになった。メールが着信したのだった。池の上和代は作業中の資料のウインドウを少し小さくして着信したメールを開いた。
       「今日仕事終わったあといつもの場所で                                                                        祐介」
 短いメールだったが、和代の頬をピンクに色付かせるのに充分だった。
 和代と祐介は、つきあい始めてもう1年半になる。高木祐介は将来を嘱望された営業マンで和代とは3歳違いの32歳、大型プロジェクトを任されるくらいのポジションにいる。 学生時代から地味で目立たなくて人が良いだけが取り柄の和代ではあったが、いずれは祐介と結婚して他の女子社員が羨むような寿退社をすることになるだろうと思っていた。
 和代はメールを閉じると資料をハイスピードで作成した。彼女はいつも祐介からのメールが入ったひと同じように自然に微笑んでしまうほど幸せな気分に包まれていた。
 退社時間もあと1時間と迫ったころ、和代はできあがった資料を保存しながら
「プリントは明日で良いか。さてと」
などといいながらインターネットで今日祐介といくデートのコースを探し始めていた。
 今日いくことに決めている、雰囲気のあるイタリアレストランを決めたころ後ろから後輩の美菜子の声がした。
 美菜子は秘書課の専務付きの秘書のひとりである。もっとも切符の手配などをしている雑用係の面が多かったが。
 美菜子は和代が学生のころからかわいがっていた愛くるしいくりっとした瞳が特徴的な現代的な女性であった。
 「先輩知ってました?営業本部の高木さんニューヨークに転勤らしいですよ。いよいよ2年後は営業部次長くらいですかね。すごい出世ですよね。」
社内のスクープはいつもこの子が和代の元に持ってきた。
自慢げな美菜子を横目に和代は
 「その話ホント?」
と聞いた。
 「ホントですよ。人事部の部長が専務と話しているのをから聞いたんだから。でもうち独身での海外赴任はタブーですよね。じゃあ結婚して赴任か。誰かいい人でもいるのかな。
なにか知ってます?、先輩」
和代は私のことだよいい人はと言いそうになったが
 「へー知らないな。うらやましいね高木さんの彼女」
と言って美菜子の方を見ると
 「もう戻りなさい。あんまり抜け出すと叱られるよ。」
と言って追い返し、デートコースの検索を再開した。
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 イタリアレストランで食事を終えたあと、いつものようにホテルのラウンジから部屋に行くものと思っていた和代は「港で海でも見ないか」と言う祐介の言葉にちょっと首を傾げたが、そのまま理由を聞かずついてきていた。
 和代は祐介がいよいよプロポーズしてくるものと思った。二人の間に気まずい空気が流れた。祐介は和代の正面から瞳をのぞき込むと
 「ごめん、ぼくと別れて欲しい。」
と言った。言葉には意志がこもっていた。きょとんとした和代を後目に祐介は
 「君も知ってるようにぼくは来月ニューヨークに行くことになっている。
その時は以前から付き合っていたロンドン支社長のお嬢さんと結婚して連れて行くことになっている。
君とは楽しい時間を過ごしたよ。ありがとう」
と二の矢、三の矢を放った。和代には言葉もなかった。
 そんな和代をおいて祐介は逃げるように去っていった。
 和代には喪失感だけが残っていった。不思議と涙は出なかった。ホントに哀しいと泣けないものなのだと和代は思った。でもその夜は自分の情けなさと祐介のいなくなった心を抱えて眠れなかった。
 次の日和代がのりの悪い化粧をして出社すると祐介のロンドン支社長の娘との結婚とニューヨーク支社転勤の話題で社内は持ちきりになった。しかしその話題には和代が振られた話が添付ファイルがついていた。
そのファイルを流している情報は正しかった。発信源は美菜子だった。和代は恋人と可愛い後輩の両方を一度に失っていた。
                              
 エリート社員のスキャンダルは厳禁なのか和代は本社から同じ市内の小さな子会社にばかな夢を見て恋をした女のレッテルと共に出向になった。
 やめろと言うことだったのかもしれない。でも、和代は言われるまま出向した。
 ことあるごとに和代の傷にふれるような陰口をたたかれ、仕事でも冷遇された。何も手に職のない和代は何も考えずに出社し退社していた。
 ある日和代は本社の屋上に立っていた。まだ太陽は空にあったが風は強かった。
 靴をそろえ、遺書をその上におき、手すりを乗り越えようとした時、空が急に曇ると強い雨が降り出してきた。和代は気にもとめずもう一度手すりを乗り越えようとすると
 「ちょっと待ってくれませんかね。お嬢さん」
と呼び止める声がした。和代は振り返るとそこには黒いコートに黒いシルクハットをかぶって、真っ黒の金属製のアタッシュケースを抱えた30代半ばの男が浮かんでいた。
 「止めたって無駄よ」
和代は叫ぶと男は
 「止めませんよ。私は死神だから、私が殺すことはえんま様から禁じられてますが。」
とニヤッと笑っていった。
 「でもね。自殺する前に契約書書いてもらわないと」
と言って死神と名乗る男はアタッシュケースを開けて紙切れとペンを持ってふわーっと近づいてきた。
 「何の契約書?」
 「それは自殺する意志を書いた契約書ですよ。私は死神損害補償株式会社の社員の死神なんです。これを書いてもらうと私たち死神は契約がとれると言ってノルマを達成、ボーナス倍増万々歳なんです。」
と言って死神はまたニヤリと笑った。
 とりあえず和代は手すりから降りた。
すると契約書とペンを差し出した死に神は
 「これとらないで死なれると処理が大変でね。自殺はホントは認められない死に方で特例の例外で認められるんですよ。なんで本人から自殺しますの契約を必ずとれって言われてるんですよ。えんま様から。」
とほっとした顔をした。和代がペンで記名欄にサインすると
 「これで良いでしょ。もう死ぬから止めないでね」
と言い放った。
 「だから、止めませんて、死神なんだから。でも提案があります。私、今年のノルマは不景気やらストレス社会やらでもう達成してるんです。」
と言いながら死神は今度はケースからノートパソコンをだしてディスプレイに契約件数のグラフを和代に見せた。
 確かにノルマは達成していた。
 「そこで1年後にしません、自殺するの?もう契約書をもらってあるから返しませんけど。理由は二つあります。その一つめは」
と言いながら死神はディスプレイの画面を切り替えた。そこには今から3日後の会社の様子が映像ででていた。
 美菜子が中心となって和代のことを笑いものにし、ののしっている画像だった。美菜子の顔が妙にワイドショウ的で和代には虫酸が走った。
 「そうでしょ。今死んだら恋に破れたから死んだばか女なんて言われますよ。そんなの悔しくありません。そして二つ目は。」
と言いながら死神は一冊の貯金通帳らしきものを和代に手渡した。そこには残高21Pと書かれていた。
 「これ何の通帳なのよ。」
和代が聞くと死神は
 「あなたの生涯の充実度の通帳です。これのプラスが大きいほど良い天国にいけます。自殺は罪が重いですからね。プラス21は普通ですからこれで人生終われば普通の天国ですね。
 このまま自殺するとマイナス3000くらいですからまあ火炎地獄ですかね。おそらく。生前もつらい、死後も地獄じゃいやでしょ。
 だから私とあなたの双方とも良い来年くらいがいいんじゃないかと。その間にポイント貯めればいいんですよ。
なんで死んだかわからないなんてかっこいいじゃないですか。」
と死神が説得口調で言うと和代は妙に納得した。
 「どうすればいいのよ、ポイント貯めるのに?」
和代が言うと、死神は
 「一気に増えませんからね。ちっちゃい良いことをして10くらいずつ貯めていけば一年で3000ですから普通の天国にいけます
よ。良いですかちっちゃいラッキーですよ。それと一度交わした契約を取り消すことはできませんから。」
と言い残して消えていった。
 死神が消えると雨もあがっていった。妙に納得した和代の手にはあの通帳があった。
                               
 和代は1年後の良い死に方を目指して次の日から努力をはじめた。
 何を言われようと気にせず会社の同僚にすすんでコピーをとってやったり、残業を引き受けてやったりして一ヶ月を過ごした。
 そして通帳を見ると23Pになっていた。
 「一ヶ月でこんなもの。」と失望している和代の携帯が鳴った。死神からだった。
 「なんで増えないのよ。あなたふざけてるの」
和代は怒鳴った。
すると死神は
 「なんで他人のポイント増やしているんですか?
人にしてやるのはその人のポイントを増やしたり減らしたりするだけですよ。何かしてやってうれしいだろなんてそんなことではだめです。
そんな薄っぺらい行為では自分のためになり人も喜ばなくては」
と言うと携帯は切れていた。
 和代はそんなものかと思い、一晩作戦を練った。
 次の日から和代は朝一番にオフィスを掃除した。それはきれいなオフィスだと気分がいいからだった。
 おいしいお茶の入れ方とか業務改善とか自分が仕事しやすくて、みんなも納得してくれるような仕事をさがしてするようになった。
 プライベートでも自分を磨くために宅建の講座(不動産関係の子会社だから)に通ったたりして充実していった。
 時々ガラス越しに死神が1年後の自殺契約を確かめるため見に来ていたが気にしていなかった。それより毎日が公私ともに楽しかったから。3ヶ月後には通帳の存在も忘れていた。
 半年ほどしたころ
「池の上くん、助かったよ。君のおかげだ。君のコーディネートで我が社がプレゼンでこのプロジェクトを落とせたよ。どうして本社は君を出向させたのかね」
社長が喜んでいた。
 半年前から今までの間の人事異動やら何やらで和代の出向理由を気にしたり、知ってたりするものはいなくなっていた。第一和代自身の充実ぶりがみんなにそれを忘れさせた。
 和代は駅前再開発プロジェクトで大規模な開発ではなくちっちゃな喜びが発見できる街という提案をしていた。これには自信があった。だって自分がちっちゃな喜びの積み重ねで今とっても充実しているからだった。
 これを機に和代はエリートではないものの仕事で任されるポジションについた。
 そしてこれまたエリートではないが人がよくて一生懸命な恋人もできた。ますます和代の人生が充実していった。
                  5
 約束の日がきた。和代は気分が重かった。ポイントは10000を越えていた。前日、和代は恋人にすべてを話し、二人で対策を練ったがいい案は浮かばなかった。とりあえず本社の屋上に行くことにした。
 本社の屋上はきれいな星空なのにまた雨が降っていた。
 「約束の日ですね。ポイントは10251ですか、これだと自殺してもきれいな花畑の天国にいけますよ。」
死神はノートパソコンでデータを見ながらニヤリと笑った。
 「今年のノルマはどうなの?まだ達成してないの?」
和代は聞いてみた。
 「あと一件です。あなたで達成なんです。
それでは早くすませてしまいましょう。」
死神はそう言うと和代をせき立てた。
 「実は私は自殺したくないの。いま人生楽しいし。」
と和代が申し訳なさそうに言うと
 
「またそういうわがままを言う。契約は破棄できないんですよ。さあやってしまいましょ。」
と困った顔の死神が厳しく言い放つと恐い目でにらみつけた。
 「死神さん、待ってくれ。もう一件なら俺が契約するよ。」
貯水タンクの影から声がした。和代の恋人だった。
 「もう一件でノルマなんだろ。俺が契約すれば和代はもう良いだろ。」
和代の恋人は死神に真剣に拝むように土下座をして言った。
 「そうすればいいけど、契約書がありますから。」
死神は譲りそうになかった。
 和代と恋人はぼくが死ぬ、私が死ぬと二人で言い合いになっていた。
 そんなこんなが1時間ほど続いたあと死神が言い争いにうんざりして、あきれた顔で
 「和代さん、一年間どうでしたか?どうして死にたくなくなったのですか?」
と聞いた。
 「一年間自分の中にあるいろんな可能性がわかったり、すごく小さいことで感動できる自分がいたり、やっぱり人生は自分で充実させようなんて思ったりするときはだめで、よく言えないけども今の一瞬を大事にしようと思ったり、」
と和代は言うとよく表現できない自分にいらだっているようだった。
 生きたいという思いの強さだけはまわりのみんなに伝わっていた
 「そうですか。そうなんです。人生なんてよくわからないです。でも自分で自分の人生のことを考えなきゃだめです。
何が生きてると言うことなのか。」
死神は妙に哲学的なことを言った。
 そして和代の書いた契約書を雨の中にさらした。すると契約書から黒いインクが流れ出て和代の名前が消えていった。
 「あなたの契約はもうなくなりました。
これからもっともっとつらいことあなたに与えますよ、何せ私は死神だから。
それでも良いですか?それでも乗り越えられますか?」
と死神は強い眼差しで言い放った。
 「大丈夫、もう自分から死のうと思わないと思います。だって喜びは自分の中にあるのだから」
和代は自信を持って言った。
恋人と手を握りあっていた。
雨はあがっていた。
月から光が差し込んで三人を照らしていた。
 「もう会うこともないでしょう。じゃあお二人さん幸せに」
と言うと死神は光の中を空に登っていった。
 すると一陣の強い横風が死神に向かってふいた。死神が黒いコートと黒いシルクハットを押さえようとしたが間に合わず吹き飛ばされていた。
 和代が風の中、目を細めてみると死神の頭には白く輝くリングと背中に大きな白い羽根があって、ゆっくり羽ばたいて空の彼方に登っていった。
(終わり)
 
 
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