カスピ海への避寒旅行
 
  Downfall of the Third Reichを、Y君枢軸、私連合軍でやりました。

 ドイツはフランスを降伏させ、イタリアはユーゴスラビアを占領、イギリスはリビアに侵攻。そして東部へ戦力を集めたドイツは、1941年の春に独ソ戦を開始します。ドイツ軍は国境のソ連軍をきれいに浸透し、ソ連は倍増したコストを払ってまで反撃しなかったので、国境の部隊は消滅しました。
 夏になるとドイツは南方でキエフを包囲し、ソ連はこれを救出するため危険な反撃を行います。そしてこの賭けは全て成功して、キエフは生き延びカレリアは占領されました。


 ここでドイツはさらに秋も攻勢を続けたい所ですが、次が冬であることを考えると無理もできず、セバストポリを落として守りを固めます。そしてソ連はレンドリースを受けつつ、ドニエプロペトロフスクに楔を打ち込みました。
 そして厳冬。ドイツは凍えて縮こまるのかと思いきや、ここでなんとセバストポリを飛び出し、グローズヌイ経由でバクーまで到達。さらに中央でも攻撃し、トゥーラの要塞を落としてモスクワに迫りました。果たして倍のコストを払ってまでしたこの賭けは成功するのか?
 ここで参戦したアメリカは、部隊をギリシャに輸送。そしてソ連はバクーを失って補給を3しか生産できない所でしたが、ここで兵站技術を完成させて5生産に戻します。ドイツはソ連が兵站の開発を始めていないことに賭けたのですが、もくろみは崩れました。ソ連は5個軍で反撃を行い、ドイツ軍を撃破補給切れにしてしまいます。


 1942年の春、ドイツはトゥーラへの補給を回復したものの、セバストポリ以東の部隊は降伏。さらにギリシャのアメリカ軍が北上し、南下してきたソ連軍と手を結んでソ連国内のドイツ軍を全て補給切れにします。また手薄なフランスでは、イギリス軍が空いていたノルマンディーに上陸しました。
 東部での包囲自体は簡単に回復できたものの、1ターンの間東部で全く攻勢を取れなかったことで、枢軸は完全に主導権を喪失。フランスにもどんどんイギリス軍が送り込まれ、ソ連には親衛赤軍も登場して、圧倒的戦力を止めようがなくなった枢軸は1942年末で投了しました。


 かなり綿密な計画を立てないと、枢軸が勝つのは難しいようです。
 
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