65年はつらい
 
 久しぶりにHearts and Mindsを子どもと。1965年から72年までのシナリオを、子どもが初めて北・ベトコン側、私が米軍・政府側です。
 1回目、北・ベトコンに戦車が入って、+2資源のマッドミニット併用巨大キャンペーンが出て、さらに最強のグエン・ギャップ将軍までありました。最初安定化地域が1つしかないのに、無理して反撃までしてしまった米・政府側はどうしようもなくなって敗北。後日もう一度やりました。

 65年、まず安定化を優先しなければならない米・政府はキャンペーンを使わず、北・ベトコンはサイゴン方面でキャンペーン。サイゴンがいきなり陥落し、米軍も2つやられて、北の支配は3つ増加します。やっぱり北・ベトコン本気の65年攻勢は止められないの?


 66年、米・政府はスターライト作戦で北部を占領してホークを稼ぎ、安定化地域も7つに増えます。67年には北・ベトコンはメコンデルタを発動して幾らかダヴを稼ぎますが、北の支配地域は減らされて最初と同じ10に戻されます。
 そして68年のテト攻勢ですが、米・政府も中央にホワイトウイング作戦をぶつけてきます。米・政府はアメリカ軍3個を含む10個を失うものの、安定化地域7つを維持して政府は盤石。逆に北は9個、ベトコンは7個と大きな被害を被り、支配地域もまた1つ減ってしまいます。
 69年、米・政府はシーロード作戦でメコンを制圧してホークを稼ぎ、北・ベトコンは中央で攻撃して支配を1増やします。そして70年は北がキャンペーンXとシークレットウォーのダブル発動で大成功し、米・政府はラオス・カンボジアの安定に多くの資源を払わせられます。しかし71年は北・ベトコンがさらにイア・ドラン戦役を発動したものの、損害ばかり多くてあまり成果は無し。逆に米・政府がカンボジア侵入とラムソン719でホークを稼ぎ、北支配地域は2減って8になります。

 そして最終72年、北・ベトコンはイースター攻勢を発動します。しかし前年の損害や爆撃のため戦力が不足し、期待したほど成果は上がらず、ダヴは目標に届きませんでした。米・政府側の勝利です。

 1965年は米・政府の戦力、安定化が不十分なため、北・ベトコンの総攻撃に弱くなっています。それを前提として最初の再配置と第1アクションをもっと良く考えなければなりませんでした。今回はその後に米・政府は盛り返せましたが、短いシナリオだったら負けていたでしょう。
 
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