テトの後
 
 しばらく66年開始のシナリオで北・ベトコンが勝てなかった後、次のような方法が見つかりました。
・ベトコンしかおらず政府打撃軍に近い所に、北ベトナム軍を1つずつ重ねる。これにより政府側がベトコンを攻撃しようとしても、アンブッシュだけして回避でき、回避に成功しても残ったもう一つで政府側に攻撃コストを払わせることができる。
・空の州にも北ベトナム軍をばらまく。そこには米・政府軍を再配置できないので、米・政府ペア戦略を妨害できる。
・66年でもやはり第1ターンは米・政府軍を理想的な配置にはできないので、65年同様徹底的な攻撃から支配拡大も行い、有利にしておく。
・テト攻勢は、そのための良いカードを残しておき、できれば前の年から部隊配置を準備しておいて、場合によっては発動を遅らせる。最初のラウンドは支配せず攻撃に専念する。ベトコンの消費を避けるために、キャンペーンに関係ないベトコンによる支配は翌年に繰り越す。
 これによってまた北・ベトコンは有利になり、今度はしばらく米・政府が勝てなくなりました。第1ターンに支配数で北・ベトコンが有利になった後、ずっとそれが覆せないのです。そこで今回米・政府は、第1ターンにゾーン2キャンペーンを含めてできるだけ北・ベトコンの支配を潰しに行くとともに、北・ベトコンのキャンペーン攻撃は最初の再配置と回避でできるだけ受け流す方針で行きました。


 その結果66年は、ホークがノルマ3の所を1、安定化地域が5、北支配地域が1増えて11と、第1ターンとしてはまずまず抑えられました。そして67年はテトの準備で北・ベトコンがアクションを抑えめにしたため、北支配地域は1つ減り、戦意はダヴ2となります。
 68年、北はテト攻勢を発動せず。政府側はゾーン3キャンペーンでホークを稼いだため戦意は動かず、北支配地域はさらに2つ減って8となります。しかし安定化地域も2まで減り、北は来年のテト攻勢に備え部隊を南進させています。しかも中国・ソ連から戦車をもらい、インディアンカントリーでベトコンも2つ増やしました。

 69年、準備万端整った北はテト攻勢開始。特に激戦となったのが、安定化された国境のPhunoc long州で、北側の主力によるキャンペーン攻撃に対して、政府側主力も増援を呼んでプラトーンで反撃。そして政府側がさらにファイアベースを構築したところに、北はグエンザップ将軍で攻撃し、アメリカ軍に損害は与えたものの、ここの占領は成りませんでした。
 さらに北は秘密戦争で2ダヴ、政府側もカンボジア侵攻で1ダヴを稼ぎます。その結果北ベトナム軍の損害は19、ベトコンは3、政府軍の損害が11、アメリカ軍2、ラオス軍3と、両軍ともとてつもない数の大損害を受けました。そして北支配地域は7しかなく、政府のクーデターはグエンヴァンチューで食い止めたものの、北・ベトコンは8ダヴを稼ぎ、ノルマまであと1つと押し戻します。


 そして70年、北・ベトコンは支配地域の減少が深刻に見えますが、ここでテト攻勢の余波が炸裂します。まず前年に侵入させておいたベトコンが4地域を支配。政府側も来年のキャンペーンを狙って南方で支配を増やすものの、北・ベトコンはさらに北ベトナム軍1個だけの所にベトコンを動かして支配を拡大。手薄な所への攻撃も行って、この年なんと北の支配地域は7から13へ大増加。ダヴも6増えて16となりノルマに並びます。
 71年、一旦支配地域をこんなに増やされてしまうと、政府側がこれを減らすことは容易ではありません。北が限定戦争を使ったこともあって結局支配地域は減らず、ダヴはノルマを越えて21となります。
 72年のイースター攻勢に対し、残された政府軍は米空軍と共に信じられない奮戦をし、8の損害に対して北ベトナム軍22、ベトコン3の物凄い損害を与えます。しかしこれだけ損害を与えても、北支配地域についてはほとんど減らすことができておらず、多くの都市を押さえた北・ベトコンは十分なダヴを稼いで勝利しました。



 これで米・政府も、ようやくサドンデス負けせずに最終ターンまで戦えるほどに戻せました。序盤は互角に戦えたものの、まだテト攻勢以降に不利が残っていますが、これも以下に気をつければさらに互角に迫れるのではないかと思います。
・秘密戦争で北により多くのリソースを消費させるよう、必ず68年までにラオス軍を散開させておく。
・政府にクーデターが起きないよう、必要数より2多くのリソースを残すのを忘れず、グエンヴァンチューは必ず残しておく。
・第1ターンで北ベトナム軍を空き地に置かれたら、米・政府軍ペアを最後の移動でそこに送る。サイゴンから送っても良い。
・テト攻勢でベトコンを政府側のいない所にばらまかれた場合、可能ならアンブッシュ覚悟でそこに政府軍を1つづつ送る。

 
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