モスクワへ
 
 今日はTriumph & Tragedyを子供とY君を交えて。私以外は初めてで、Y君が枢軸、子供がソ連、私が西側です。

 序盤外交重視策を取る枢軸は、’38年までにチェコ、オーストリア、ルーマニア、低地諸国を同盟国とし、ギリシャが保護国、ハンガリー、ノルウェー、スウェーデン、デンマークが通商国となっています。ただ’38年に枢軸がポーランドを支配しようと繰り出した3連外交攻勢は、全てソ連にキャンセルされ野望は成りませんでした。
 一方西側も東側も、工業重視で2,2,1と工業力を上げ収入が増加しています。またソ連はスペインを同盟国としています。そして西側はトルコ、ラテンアメリカと通商した後、USAを参戦させようとしましたが、これはソ連に阻止され保護国どまりです。
 ’39年、枢軸はなびかないポーランドを武力で屈服させようと目論んでいましたが、なんとこのタイミングでソ連がポーランドを保護国化。枢軸は渋々未だ中立だったハンガリーとブルガリアを占領します。
 ’40年枢軸はポーランドへの影響力を排除しようとしますが、今度は西側に阻止され、ポーランドはソ連の保護国にとどまります。もうこれ以上ポーランドを放置できない枢軸。二正面作戦はしないという確固たる信念のもと、腹を据えてポーランド攻撃から必然的に発生する独ソ戦に突入します。

 枢軸はまずポーランドでワルシャワ、ルヴォフに突入します。ここにいたのはポーランド空軍。枢軸は空軍を投入していなかったので、彼らはそのままソ連に亡命します。さらに枢軸はソ連オデッサ方面にも侵攻し、防衛要塞を陥落させます。
 それに対しソ連は6個の重戦車軍で反撃。オデッサのドイツ軍をあと1ステップまで減らします。

 枢軸はオデッサでソ連主力を拘束している隙に、ポーランド、バルト諸国を制圧し、キエフを占領します。レニングラードにソ連軍は1ユニットしか居らず、秋に枢軸が先手を取れば簡単に占領できる状況です。

 そして秋、枢軸のコマンドEに対し、ソ連の出したのは緊急コマンドのA。ソ連はレニングラードに2駒を入れて防衛が間に合ったので、枢軸はそこを諦めて代わりにベラルーシに6駒を集中して占領します。しかし枢軸戦線の南北はがら空き。翌年の順番次第では大変なことになるのでは?


 果たして’41年春はソ連が先攻。後ろに回り込んでキエフ、ベラルーシは共に包囲されます。しかし枢軸は慌てず騒がす、ポーランドとブリャンスクを攻撃して、前進しつつ補給を回復します。


 さらに夏が先手で連続移動となった枢軸は、ルヴォフとバルト諸国を攻撃して補給線の安全を確保した上で、主力がモスクワに侵攻。弱小な戦力しか居なかったモスクワは初めて陥落します。
 しかしここでソ連は、ブリャンスクへ反撃しモスクワへの補給を切りに行くとともに、ルーマニアを占領していた部隊が実は戦車で、それが後ろから回り込んでワルシャワを占領します。ブリャンスクは一撃では全滅させられなかったものの、これにより東部のドイツ軍には陸路からの補給線が引けなくなります。

 しかし枢軸の補給線はバルト海を通じてまだかろうじて繋がっていました。ここで鍵を握るのは、最後番の西側です。西側はどうするか迷いましたが、枢軸が次に先手を取ってレニングラードを落としてしまうことを恐れ、枢軸に宣戦してバルト海に艦隊を派遣し、東部の枢軸軍の補給線を切ることにしました。同時にベルギーにも侵攻し、ソ連から盗んだ重戦車の技術も活用して順調に占領します。

 そして秋にはやはり先手を取った枢軸。補給切れで大規模な損耗を被ってしまいましたが、もうこの状況ではレニングラード攻略に賭けるしかなく、ドイツはありったけの部隊で攻撃します。

しかしやはり一撃で落とすには戦力が足りず、しかも亡命ポーランド空軍が祖国を奪われた恨みを晴らす大活躍をして、侵攻したドイツ軍は全滅。ソ連は大祖国戦争に勝利します。

 一方ドイツが大半の戦力を東部に集中していたため、西側はその隙にドイツ国内に侵攻します。

そして’42年、西側はアメリカ軍も加えてドイツ攻撃を続行します。ソ連には秋のコマンドが無くて妨害も間に合わず、西側がドイツを全て占領して勝利となりました。

 私たちのプレイでは初めてドイツがソ連への本格的な侵攻に成功し、なんとモスクワまで攻め落としてしまいました。しかしやはりそれでも勝ち切るのはなかなか難しいようです。
 
インデックスへ