オリエントに死す
4月も毎週ゲームシリーズ最終回のTriumph & Tragedyは、Y君がソ連、子供が枢軸、私が西側でやりました。
36年は、東西とも最小限の戦力増強以外投資重視、枢軸は少し投資多めのバランスです。ソ連がポーランドを取りかけたのを枢軸が阻止したり、枢軸がアメリカへ妨害してきたりした以外は、普通の外交で終わります。
37年枢軸は、ドイツ軍がシシリアに移動し、大西洋へドイツイタリア合わせて4ユニットが出てきます。何かが始まりそうですが、この年はここまでです。
そして38年、枢軸はトルコと低地諸国を衛星国化。トルコ軍でブルガリアを占領し、ペルシャの資源地帯を押さえます。西側は枢軸の動きに備えます。
39年にはついにドイツが動きフランス占領。さらにトルコ回りと共同でスエズに侵攻し、イギリスの残りは1ステップで翌年の陥落は確実に。そしてフレンチ北アフリカも枢軸のものになります。西側はある程度スエズの守りは固めていたものの、トルコを取られて挟撃されてはきつい。一方ソ連はスウェーデンを衛星国、ポーランド、フィンランド、デンマークを保護国としており、悪くない感じです。
さて地中海沿岸諸国を支配下に収め、順調そうに見える枢軸でしたが、東欧の要ルーマニアは外交で取れておらず、ようやく39年に武力制圧したばかりでした。しかし40年にはソ連がポーランドを衛星国化。枢軸はそれを阻止できるカードを持っておらず、西側は枢軸の戦力が東に吸引されることを期待して敢えて止めなかったものでした。
そしてこの風雲急を告げる事態で重要になった春のコマンドで、先手を取ったのはソ連。ルーマニアには前のターンまで1ユニットしかなかったので、2ユニットの内1つは1戦力要塞に過ぎません。ソ連は枢軸に宣戦してルーマニアに4個の戦車軍を突入させます。要塞の砲撃はかわされ、ソ連戦車はドイツの歩兵と要塞を一方的に撃破します。
さらにソ連はブルガリア、トルコ、ユーゴスラビアとドイツに服従していた国を次々と解放。東プロイセンも制圧し、ペルシャにも介入して衛星国とします。もはや世界はソ連のもの一歩手前です。

そして41年、西側はもう生産力が10しかなく何もできない状況。ソ連は5個軍で今度はハンガリーを包囲攻撃してそこのドイツ軍を壊滅寸前に追い込み、
「勝ったな!」
の声。
しかしその声の主はソ連ではありませんでした。
春の最後番だった枢軸は、イラクで補給線を守っていたドイツ軍を東インド洋に動かします。そして見せる夏の「A」コマンドカード。
「あっ!」
インドの東側国境は厚く守っていましたが、首都デリーには守備隊がいませんでした。
「ここ、届くのか・・」
夏に枢軸は確実な先手を取り、2つ目の首都を占領して軍事的勝利です。
私は苦しい状況に、なんとか早く通商路を回復して、手薄な北アフリカで反撃することばかり考えていて、デリーが上陸されうるという所まで気が回っていませんでした。ソ連がオリエントへの陸路を切っており、西側も枢軸の海軍を壊滅させたので、地中海へ海軍を派遣すれば、枢軸オリエント軍はいつでも補給切れで消滅させられるものと油断していたのが失敗です。
枢軸は今回ルーマニアが薄かったので攻められてしまいましたが、それさえなければ外交でトルコを取れた時は、このようにオリエントを支配して戦うのも良さそうです。しかしその場合西側はきつい戦いを強いられそうです。
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