わが祖国
 
 Triumph & Tragedy(GMT)2回目のフルゲームです。かさいさんが枢軸、たかさんが西側、私がソ連です。
 前回のプレイで、枢軸が適切なバランスで成長戦略を取った場合、戦わずに勝てることが分かりました。そこでそれをどう止めるかが今回のテーマになります。ソ連としては簡単に落とせるので攻めたくなるフィンランドやペルシャをできる限り攻めず、序盤枢軸に外交カードを只で渡さないことにしました。またソ連と西側で少なくとも序盤は外交の住み分けをし、相手がワイルドカードを多く持つ小国は邪魔しないことにしました。

 ’36年先番になった枢軸は、戦力を全く取らず投資とコマンドカードのみを購入します。これはまずかったのでは?ソ連も西側もこれで安心してカードだけを買え、どちらも工場を2レベル上げることができました。
 枢軸はその分外交カードを多く買ったものの、他の国も買う余裕ができたため比率的にはかえって不利になり、ハンガリーを衛星国にした以外は6か国の通商だけで、重要なルーマニアには何も置けません。ただアメリカの通商を阻止することには成功しました。ソ連はフィンランド、ペルシャ、ギリシャと通商します。
 ’37年枢軸はスウェーデンを衛星国にします、ソ連はルーマニア、スペインと通商、西側は低地諸国を保護国にします。一向にはかどらない外交に業を煮やした枢軸は、’38年にチェコ、オーストリア、’39年にはルーマニア、ポーランドを軍事占領します。

 そして’40年、人口に工場が追い付いて生産力が頭打ちになったソ連は、ここで全生産力を軍事生産に振り向けます。そしてドイツは春に先手を取って防衛ラインを引き直したものの、どう見ても戦力は不十分です。ソ連は「ポーランドはわが祖国」という謎の主張でドイツに宣戦を布告。まずポーランド北側のドイツ2個フルユニットを6ユニットで奇襲し、一方的に全滅させます。そして夏にはケーニヒスベルクの2ユニットも撃破。ソ連の攻撃は絶好調です。
 秋になると、あまりの猛攻に枢軸は戦線を山と川の戦まで後退し、スウェーデンからも戦力を引き揚げます。ここでソ連は南方をがら空きにして細長く伸びる危険な攻撃を続けるよりも、生産の前に人口、資源を確保することにしました。ソ連はスペインを衛星国とし、フィンランド、ギリシャを保護、トルコ、ペルシャと通商して外交も好調だったので、やりすぎて西側が敵になるのを恐れたというのもあります。


 ’41年’42年は膠着状態で過ぎ去ります。そして’43年ついに西側は枢軸に宣戦し、フランスからイタリアに侵攻を開始します。(この西側の参戦前に間違えてアメリカ軍をフランスに持ってきていました。)しかしこの攻撃は予想外に堅いイタリア軍とドイツ軍の反撃により失敗に終わります。次に西側は手薄になったドイツ南部に侵入しますが、これも大損害を受け風前の灯火に。その間ソ連は、ノルウェーとフィンランドを衛星国とし、通商を失ったペルシャを武力制圧します。
 ’44年には先手を取った枢軸により南ドイツの連合軍は全滅します。攻撃が一向に成功しない西側は、他のプレイヤーから低地諸国(西側の保護国ではあるにもかかわらず)への侵攻を助言され、そことデンマークへの侵攻を行います。
 一方ソ連は陸軍4空軍4ユニットで、4ユニットが守るルーマニアへ侵攻します。そこにはドイツ4ステップ空軍1個がいましたが、ソ連はジェット戦闘機を開発しており、一方的にこれを撃破します(ミグショック)。しかし陸戦では打って変わって大外し。倍以上の損害を受けてソ連の攻撃は頓挫し、ドイツ軍の大反撃を受けて撤退します。ただ大半が空軍と戦車なので、撤退の損害は歩兵1個ですみます。

 ’45年、枢軸は劣勢でソ連と西側が互角の状況。ソ連が堅い枢軸防衛線を崩せずにいる一方、西側は夏に最後の大攻勢をルールへ行います。低地諸国とデンマークから、さらに上陸と空海支援により攻撃。そして秋はAカードを準備しての計画的なダブルアタックで、西側は一気にここを攻め落とすことに成功します。これはソ連にとって予想外でした。ここが落ちていなければ、ソ連は西側に宣戦してイラクとデンマークの占領で勝てると踏んでいたのですが、これで勝負ありました。
 最終的に西側の平和の配当は8枚引いていたにも関わらず2点でしたが、サビキャプタルの2点も入り合計20点。次点のソ連は17点で西側の勝利となりました。
 
 
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