空と海と陸とそしてテーブル
今回のTriumph & Tragedyは、子供が枢軸、Y君がソ連、私が西側です。
36年先番になった枢軸は全投資で、他国もそれに続きます。37年も先手になった枢軸はまた部隊を生産せず外交中心ですが、他国はいくつか部隊を生産します。そして枢軸はトルコとポーランドを衛星国としてしまいます。
38年になるとどこも部隊生産を大々的に開始し、枢軸はデンマークとオーストリアに侵攻します。39年にはソ連がルーマニアを衛星国化し、枢軸はユーゴ、ブルガリア、そしてバルト諸国を軍事制圧します。これに戦略爆撃の匂いを感じ取ったソ連は、モスクワに対空部隊らしきユニットを集結します。

40年、モスクワに主力が下がったのを見た枢軸は、ソ連に宣戦し、防衛線に打ち込まれた楔ルーマニアを攻撃。地上軍に加え6ユニットの大空軍で攻め入りますが、惜しくも1ステップ残してソ連はこの年を持ちこたえます。ソ連はその間にフィンランドを同盟化し、バルト諸国とトルコを解放します。いつ大空軍に戦略爆撃されるか分からない西側は、ロンドンにユニットを山積みです。
41年、このまま戦っていては西側が勝ちそうと思った独ソは、トルコをソ連が、ルーマニアをドイツが取ることで合意し停戦します。また枢軸はスペインと同盟化に成功します。西側はフランスにイギリス軍を送り始めます。
42年、ソ連と和睦しスペインを味方につけた枢軸に先制攻撃されるのを恐れた西側は、先に枢軸に宣戦して圧倒的海軍力で地中海の制海権を握り、リビアとスペインの補給を絶ちます。これにより西側はリビアとスペインを占領しますが、枢軸は独伊西軍でフランスに侵攻しロレーヌとマルセイユを占領します。西側の宣戦は少し早すぎたか?
43年、枢軸が8ユニット32ステップの超巨大空軍を持っているので、西側はロンドン爆撃を恐れてあまり多くの部隊を大陸に送れません。また枢軸もアメリカの増援が来たパリを落とせる戦力はなく、ソ連も下手に均衡を崩したくなく。結局この年は、枢軸が西側保護国のスウェーデンを占領し、西側がデンマークのフルステップドイツ戦車を空爆で消滅させたり、枢軸衛星国のラテンアメリカを占領した程度で終わります。
このまま均衡が続くのかと思われた44年、西側は夏から秋にかけてのダブルアタックで(秋のAを握っていた)、マルセイユからローマに戦車が突破し、海軍と北アフリカの戦車も加わって、一撃でローマを陥落させます。
これに驚いたソ連。このまま西側を放置することはできないと、ペルシャ占領後西側に宣戦し、中東へ侵攻します。そしてドイツも黙ってやられてはおらず、マルセイユと北イタリアを再占領してこの年を終えます。

複雑な状況で迎えた最終45年。点数的には均衡しているように見えますが、フランスに大軍を置いてにらみ合っている枢軸と西側に対し、ソ連は他国の薄い戦線をどこでも攻め放題という感じ。これはこれ以上争っている場合ではないと、枢軸と西側は現状で停戦し共にソ連に備えます。
ソ連はまず継戦中のスエズを落とします。さらに空軍でアラビア海のフランス空母を沈めてインドに上陸しようとしますが、これは西側に先手を取られて失敗。西側もオスロに上陸し、次に枢軸にそこを攻めてもらってナルヴィクに撤退した後、ソ連領内に侵攻しようとしましたが、これも先にソ連に攻撃されて撃退され失敗。東部戦線でも国境沿いに並ぶドイツ大要塞に対し、ソ連はこちらにあまり戦力が多くなかったようで、特に攻勢はありませんでした。また枢軸もポーランドとスウェーデンでソ連に最後の攻撃を掛けてみますが、これも両方失敗。結局この年に意味のあった動きは、資源の足りなかった西側と人口の足りなかった枢軸が、互いのトリポリとイズミルを合意して取り合って、お互い1点ずつ稼いだことだけでした。
さて点数計算。ソ連は生産力17−宣戦1+原爆技術1+分け前3で20点。西側は生産力15−宣戦1+ローマ2+分け前4でやはり20点の同点。そして一番少なそうな枢軸は生産力18−宣戦1に、分け前が3枚で4点もあり、合計21点で何と枢軸の勝利。空に海に陸に激しい戦いを繰り広げた結果、勝負を分けた主戦場は、最後の1点を絞りだした交渉のテーブルでした。
ちなみに今回開発された技術は、
西側が防空レーダー、海上レーダー、重爆撃機、ロケット砲、精密爆撃、
枢軸が精密爆撃、重戦車、防空レーダー、ロケット砲、
ソ連が自動車化歩兵、防空レーダー、原爆技術1
でした。もう最近は精密爆撃とその対抗策である防空レーダーがトレンドになっています。
今回西側は対空力を高めるために空母を6ステップ造り、代わりに海上の足止め部隊として初めて潜水艦を造りました。(1枚目の写真参照)
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