第三帝国の思い出
これは昔々シミュレーションゲームが全盛だった時代、タクコンというものがあった頃、私が東京タクコンに出かけた時のお話です。
1日だけのプレイでしたが一応キャンペーンとしてプレイし、4人プレイでした。ただし枢軸をやりたかった私は、イタリアに変なことをされると困るので、1人で枢軸をやらせてもらいました。他のプレイヤーは、イギリスとフランス担当は知り合いのようで、第三帝国には自信があるという口ぶり。ソ連プレイヤーは何とかと言うサークルの名刺をくれました。その時の私の戦略は戦略研究室に書いてある通りですので、そちらもご参照下さい。
まずセットアップでポーランドの配置が次善の配置だったので、私はそれに対する最善の攻撃を仕掛けます。そしてその最初の2:1攻撃は、4・6の攻撃側全滅となってしまいますが、そのまま次の2:1攻撃を発動して無事ポーランド攻略を成し遂げます。しかし西側の自信満々君達には、ちょっとした小技くらいにしか見えていないようでした。
続く連合軍ターン、西側は積極的攻撃に出ました。ポーランド戦の損失のために十分増強できなかったドイツ西部へ、マジノ線の突出部からフランス軍で渡河攻撃し、装甲部隊を前進させてこちらの空挺部隊に隣接させたのです。これで次のターンのドイツの空挺作戦が不可能になります。自信満々君は勝ち誇ったように「ごめんね」などと言っていました。
しかし私はそんなことは気にもとめず、第2ターンにはベルギー、ルクセンブルク、マジノ線突出部ときれいに占領して直線的な戦線を築き、フランス装甲を孤立させます。
すると彼らは次の自軍ターンに、「当然やるしかない」と言いながら2ヶ所で1:1攻撃をかけてきました。しかし当然ながらそんな攻撃は非常に危険です。期待通り1ヶ所で5を出してAE(攻撃側全滅)となり、フランスの戦線に大穴が開きます。これを見て彼らは言いました。
「EX(相互損害)は心配していたが、AEは想定してなかった。」
ちなみにEXの確率は1/3、AEは1/6です。なんと楽観的な人たちでしょうか。
結局これによりフランスの防衛体勢が崩れ、次のターンの1940年春にはフランスは降伏します。これで1940年秋にソ連に宣戦することによる、ダブルアタックが可能になりました。
私はソ連に宣戦すると、航空部隊をイギリス攻撃が可能な範囲でぎりぎりソ連寄りに置き、真意を隠蔽します。ソ連プレイヤーはダブルアタックで攻勢に出ますが、この時期では戦力不足で突破には至りません。そして枢軸のターンが始まろうという時、自信満々君は言いました。
「私はこの飛行機がイギリスの方に飛んでくるのを恐れてるんですよ。」
そう思ったら少しは対策したらどうでしょうか。盤上では、イギリスの戦力は相当数がアフリカにあり、ろくに本土防衛策がとられていません。当然私は全空軍をイギリスに差し向け、ドイツ海軍は不十分なイギリス防衛艦隊を破り、ロンドンを占領します。
これを見て自信満々君は、さっきまでの自信が完全に消え失せ、狼狽君になります。そして何を勘違いしたのか、
「ちゃんと戻る基地は足りているのか?」
と謎の事を言って怒ります。発進してきた基地がどこに消えるというのでしょう。もちろんそんなたわごとを言っても状況が変わることはなく、1:2でのロンドン奪還も失敗して、イギリスは降伏しました。
時間の都合もありそこで終了となりましたが、自信満々君はこの状況でも
「俺はアメリカとソ連だけでドイツを降伏させたことがある。」
と負け惜しみを言っています。これだけの結果を見ても、まだ実力差が理解できないようです。
その後自信満々君の別の知り合いが来て、
「○○君(自信満々君のこと)が第三帝国で負けた〜?みんなに言ってやろ。」
と言っていました。どうやら彼もそこでは強い人で通っていたようです。今のように情報の無かった時代のお話です。
戦歴トップへ