あっさり、こってり
 
 今回の幕末維新始末は、子供が薩長で私が徳川です。
 第1ターン、公議輿論で肥前を味方にした徳川。さらに江戸から出発した小笠原と海軍たちは、会津、北越、蝦夷を皆徳川方に引き込んでしまいます。この時点で点数は徳川6対薩長2。もし次に公使会見が引かれるといきなり徳川の勝ちですが。
 そして第2ターン、薩長はみごとに公使会見を引き当て。最短であっさり徳川勝利です。

 もう一度同じ陣営で始めます。
 第1ターン、公議輿論で肥前を味方にした徳川。さらに江戸から出発した小笠原と海軍たちは、会津、北越、蝦夷を皆徳川方に引き込んでしまいます。この時点で点数は徳川6対薩長2。もし次に公使会見が引かれるといきなり徳川の勝ちですが。
 って、まったく同じ展開かーい!
 また終わるのか?第2ターン。しかし今回は公使会見は引かれませんでした。徳川は榎本を手に入れ摂播を味方にするものの、薩長は肥前を無事手に入れた上、新政権樹立と勅命降下を貯めこみ、下手をすると早くも次ターンは開戦です。しかも徳川はこのターン朝廷の支持獲得にも失敗し、政権にも黄信号が灯ります。
 第3ターン、徳川は絶妙の宮廷工作を引き当てて新政権樹立を奪い、再委任を受けて政権も建て直し完璧です。薩長も列藩同盟で土佐を手に入れます。
 第4、5ターンは両者態勢を整えた後、第6ターンには薩長に乾退助が登場し、徳川から摂播の支持を奪います。徳川も京に兵を集めて守りを固めますが、得点でも戦闘力でも優位が無い状況で、勝てる可能性はあるのでしょうか。
 第7ターン徳川は加越と駿遠、薩長は北畿の支持を獲得。そして第8ターンには薩長がついに京へ突入しますが、どちらも朝廷の支持を得られず。徳川は北畿の支持を奪い、さらに豊州を公議輿論で手に入れます。

 年が明けて慶応四年の第1ターン、薩長は全軍を集めて宮廷の支持を獲得し、徳川幕府は崩壊します。薩長は第2ターンに宮廷の力で開戦し、東への進撃を開始します。北畿、尾州、駿遠と薩長は順調に前進し、徳川は逃げることしかできませんが、松平が意外に健闘し、乾の軍に損害を強いながら後退していきます。
 薩長が江戸に迫る第5ターン。もうこれ以上後がない徳川は、駿遠に全軍を送り決戦を挑みます。

しかしやはり乾には勝てず、松平は江戸に撤退します。もはや薩長を止める術は無いのか。
 そして第6ターン、薩長はついに新政権を樹立。後は江戸に立てこもる徳川軍を倒すだけになります。乾の能力を持ってすればこれは簡単なはず。松平は最後の悪あがきで京に向かい、乾はこれを追って北畿で決戦を挑みます。さあこれで明治の夜明けだ。

 ところが何?松平はいきなり2回続けて主導権を取り、乾の軍を壊滅寸前にまで追い込んで撃退してしまいます。徳川方も北畿の支持に失敗して加越に後退するものの、順風満帆かと思われた新政府がいきなり大ピンチです。
 今度は徳川が攻める番。まず摂播の支持を確保し、次に豊州からの連絡線を頼みに、松平は長州征伐に乗り込みます。戦闘能力では劣っても、倍の兵力がいれば乾くらい倒せるはず。小笠原を芸備に送って乾の退路を断ち、勝負を決めに行きます。

 互いに譲らず両軍死力を尽くして戦い、屍の山を築いていきます。そしてどちらも兵がわずかとなった最後の突撃。勝ったのは薩長でした。徳川はたった1ユニットだけになって、豊州に敗走します。

 どちらも自分が有利と思った決戦に敗北し、勝負を決せられないまま時は流れ、戦も早3年目。薩長は豊州の徳川残党掃討には成功しますが、逆にこれによって松平が倒れ、会津の指揮を佐川官兵衛が執ることとなってしまいます。佐川の戦闘能力は乾と互角。とても薩長は東へ攻め上るなどできません。そして第2ターンには公使が訪れますが、摂播まで押さえている徳川が点数では上回り、薩長政権は崩壊します。
 第3ターンには徳川が朝廷支持を奪い返し、江戸幕府再興の機会を待ちます。そして第6ターン、ついに徳川は念願の幕府再興を達成しますが、すでに神戸も横浜も外国に支配されているため、徳川が勝つには長州を奪い取らなければなりません。これに立ちはだかる薩長軍。もう何度目の決戦になるのか、芸備で両軍相対します。

そしてさすが新進気鋭の佐川は強かった。徳川は勝ち、わずかながらの勝利の可能性をつないだか。と思ったら朝廷の支持に1を出して失敗し、いきなり可能性が無くなってしまいました。結局引き分けです。

同じスタートを切りながら、全く違う展開となった二戦でした。2回目のゲームは決戦の度に勝者が変わり、戦闘になったら徳川は薩長に勝てない(特に土佐藩を持たない時は)というイメージが全く変わって、二転三転する良い勝負でした。
 
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