ルール調整と作戦テスト
Imperial tideをルール調整して、Y君連合、私中欧でやりました。調整したルールは以下の通りです。
・クラクフとウィーンの間に道がある。
・ロシア革命は1917年(3都市支配)なら2VP、1918年(2都市支配)なら1VPとする。
・要塞・山岳に対する毒ガスは、年によらず右1シフトに変わる。
14年、中欧の目が悪くセルビア攻めにも難儀する状況。やっとベオグラードを落とした中欧は、そちらに砲兵を持って行き、あちこちでオーストリア軍にドイツ軍をスタックさせる。
15年、中欧はイタリアにドイツ軍を派遣して攻め込むが、フランス派遣軍に妨げられて征服は成らず。ロシアでも中欧の攻撃は頓挫。
16年、フランスからの消耗攻撃も厳しく、中欧は全ての戦線で戦力が不足して、もう攻撃ができない状況に。中欧負け。

まあ当たり前の事ですが、ロシアとイタリアを両天秤に掛けても戦力が足りるはずありませんでした。ロシアを攻めるならイタリア方面は防御に徹し、最大限の戦力をロシアに投入しなければなりません。
しかしそれを別にしても、連合軍がマルヌの奇跡を残し続けると、中欧の攻撃が非常にやりにくくなります。マルヌは移動後攻撃ができるので、敵に隣接していなくても1戦力で守る補給線は、簡単に切られてしまうのです。またフルスタックを縦に並べると、前のフルスタックを強制退却させられて、退却不能で全滅してしまいます。塹壕を掘れば防げると言っても、ロシア攻撃で一歩一歩塹壕を掘っていたらアクションが足りません。こんな魔法攻撃のように凶悪な奇跡は1914年限定にするべきだと思います。
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