東部は道が少ない
 
 Imperial tideを、Y君中欧、私連合でやりました。Y君は初めてです。

 1914年、オーストリアはセルビア攻撃の目が悪く、攻撃失敗の瀬戸際でしたが、最後は無事ベオグラード陥落。ドイツは東西に兵力を配しますが、それほど積極的な攻撃はしてきません。フランスはドイツの攻撃に備えて砲兵を準備しました。
 1915年、ドイツは計画されたイタリア攻撃。イタリアは一旦サイの目で粘るものの、中欧本気の攻撃には耐えきれずに降伏しました。代わりにロシアが攻勢に出ましたが、ドイツがベルリンとブダペストの方に下がってしまうと、東部に迂回路は無く、戦力で勝るドイツ軍を抜くことはできません。
 1916年、再配備でドイツ軍があちこちの他国軍にスタックし、サロニカは陥落。ロシアを中心に連合軍は枢軸に消耗攻撃を繰り返しますが、大して成果は上がりません。
 1917年、やはり連合軍の消耗攻撃は成果が上がらず。中欧はギリシャで一歩前進しました。そして最後に西側は戦車攻撃の賭けが成功しメッツ占領。
 1918年、中欧はアテネとブカレストの占領に成功しました。これで連合軍は中欧の首都を3つ取らなければならなくなり、アメリカ軍と戦車が西部で猛攻勢。難しめの攻撃を成功させ、エッセンとフランクフルトの攻略に成功しました。しかしそこから色々やってみましたが、もう一つ首都を取るのはどうしても無理。中欧は盤石な戦略で勝利です。


 Paths of Gloryでは、西側のルートが少なく東が多いので、中欧は西で守って東を攻めるのが有効でした。しかしImperial tideでは逆で、東はベルリンとブダペストの2点だけで支えることができ、ブダペスト前の平地にドイツ軍を置き山岳でも守れば、ブルシーロフ攻勢も吸収して安泰です。
 そうしておいて中欧は他の戦線で攻めれば良く、前回のようにフランスを落とすか、今回のようにイタリア、ギリシャ、ルーマニアを落とすか、どちらかが成功すれば勝てます。もし落としたのが2個所であれば、西部での最後の反撃次第になるでしょう。
 これを逆に西部で守って東部で攻めると、コストが高く他を攻める余裕が無くなります。ロシアを降伏させても、元々終盤の反撃力が乏しいロシア軍消滅のメリットは少なく、苦労の割に1VPを得るだけです。これでは西部の強力な反撃に対し、1か所取られただけで中欧は負けてしまうでしょう。
 この中欧が東部では守勢に徹して他で攻めるべきだという考えは、BoardgamegeekでもArgothair _Bialyvichさんが同じ意見を述べておられます。
 実際の地図でもPaths of Gloryでも戦闘正面は東部の方が広いのに、Imperial tideでは東部の正面を極端に狭くしている理由が分かりません。そしてそれにより史実で行われた東部攻勢が選択肢から外れてしまうのは残念です。せめてクラクフとウィーンの間にもう一本道があるべきではないでしょうか。もしかするとさらにロシアの降伏を2VPにしたり、要塞・山岳に対する毒ガスは右1シフトに変わるなどとした方がいいかもしれません。
 
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