節制
 
 なかなか時間がとれなかったPaths of Gloryを、ひさしぶりにやることができました。前回の敗北以来雪辱を誓っていた私は、再び連合軍としてY君に挑みます。
 早々に戦線が破綻するのを防ぐため、東部戦線とイタリア戦線は選択配置を使用しました。

 対戦前には、徹底したシュリーフェン計画でのフランス攻防も検討されました。うまくいけば早々にフランスを撃破して中欧が勝てる可能性もありそうですが、失敗した場合は東部戦線での遅れが大きく響きそうです。結局Guns of Augustに対して、連合軍が防御配置を若干修正しただけで、今まで同様中欧は東部に向かいます。
 前回同様戦争状態の上昇を優先する中欧に対し、今回の連合軍は作戦を優先します。その結果中欧は第3ターンに限定戦争に突入しますが、連合軍は第5ターンに遅れます。その代わりにオーストリアに対する攻撃は熾烈を極め、東部戦線のオーストリア軍は壊滅状態となり、ロシア軍はブダペストに隣接します。連合軍は勝利にあと一歩と思われました。
 しかしここから少しずつ連合軍の思惑とずれが生じてきます。中欧は前回よりさらに西部の防御法を改良し、予想していたよりも多くのドイツ軍が東部に順次投入されてきます。ロシア軍では、ブダペストに入りざん壕を掘ったドイツ軍を抜くことはできず、それどころかバルカンにも派遣されたドイツ軍により、粘っていたセルビアも陥落してしまいました。
 第7ターンには早くも中欧が全面戦争に入り、未だイタリアもルーマニアも引いていなかった連合軍は、これら5のカードを有効利用し損ないます。
 MEFは既に実行していた連合軍ですが、東部に広がったドイツ軍の圧力が強力で、その後ルーマニアカードが来ても参戦させる余裕がありません。しかしオーストリア軍がろくに再建されていない状況では、さすがに中欧もイタリア戦線まで十分戦力が回っていません。連合軍は方針を変更して、フランス支援のもとイタリアを参戦させることにしました。
 その後全面戦争のドイツ軍増援が出そろい、オーストリア軍が復活してくると、最大限東部に投入されたドイツの大攻勢により、ロシアは押され始めます。さらにトルコも軍が登場して攻撃を開始し、バスラは陥落、さらにエジプトを目指して進んできます。
 このままでいけば苦しくなる一方の連合軍は、ロシアコーカサス軍で攻撃をするという賭けに出ます。そして最初の攻撃は成功して、Diyarbakirまで進出し、中東の東半分支配に王手を掛ける形になります。とは言え所詮コーカサス軍だけでは戦力不足で、トルコの戦力が引き抜かれて来ると、それ以上の進撃はできなくなります。
 前回からさらに磨きのかかった中欧の戦略に、この戦略で戦うのは無理だったのか?連合軍は半ば諦め気味です。いろいろ考えた連合軍は、最後の賭けとして、ロシアの崩壊を防ぐために抑えていた戦争状態を上げることを決断します。
 第15ターン第4ラウンドから、まずルーマニア、続いてサロニカを実行し、東部と中東の作戦のために薄くなっていたバルカンで、中欧を忙しくさせます。そして第6ラウンドにルシタニアを出し、一気に連合軍は全面戦争に進みました。
 にわかに慌ただしくなったバルカンでは、激しい攻防戦が起こります。イタリア、セルビア、ロシア軍で攻めたて、コンスタンチノープルを狙う連合軍ですが、最終的にここへドイツ3個軍が送り込まれるに至っては、野望も叶わぬものとなります。
 しかしこの攻防は、他戦線での中欧の侵攻を遅らせるという効果ももたらしました。その結果第19ターンの始めのVPは8と、何とか連合軍が持ちこたえています。ただし既にカイロが落ちてエジプトは陥落一歩手前、ロシア、ルーマニアもさらにいくつかVPを奪われそうな雰囲気です。
 ここで連合軍にやっとシナイパイプラインとブルアレンビーが同時に手に入ります。これを使ってエジプトで逆襲に成功すれば、連合軍の勝利はほぼ決まります。中欧はこれを許す訳にはいきません。ポートサイド、そして登場したばかりでまだ単独でいるイギリス中東軍に、攻撃をしかけます。勝敗を決めるこの決戦では、ぎりぎりイギリス中東軍が減少状態で持ちこたえ、エジプトがイギリスの手に残ることが決まりました。連合軍はきわどくも長年の雪辱を果たすことができたのです。

 今回両軍の戦略はほぼ互角だったと思います。連合軍は戦争状態の推移に十分な注意を払わなければならず、総力戦移行のタイミングを誤れば、適切な戦略をとる中欧には倒されてしまうでしょう。
 もし中欧のバルカンでの若干の戦術ミス、あるいは多少の運が無ければ、結果が変わっていた可能性は十分あります。これでやっと両軍の戦略がいくらかは見えてきたように思います。


 
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