激闘
GJからの再販が近い太平記ですが、先日のプレイが思わぬ激闘となりました。その時の様子です。
ルールは戦略研究室の自作ルール集の2つのルール(顕家星2つ、主導権バランス)を使い、シミュレーターの選択ルールは使いません。
私は公家方で、Y君が初めて武家方をやります。
建武二年、後醍醐帝は尊氏討伐令を出し、ついに両者の激突が始まった。赤松円心は武家方に、北条時行は公家方に味方する。東日本各地では公家方につく武将が続出し、両軍で最強の北畠顕家が南下しやすい状況となる。東海には2人、北畿には3人の武将が馳せ参じ配下に加わる。
第1ターン、主導権は武家方4。武家方は足利尊氏、斯波家長を東海に、高兄弟と武将2人を南畿に進め、京への圧力を高める。一方公家方は尊氏の移動を見て早くも顕家親子を南下させ、京から楠正成、名和長年、結城親光を北畿に、新田義貞、大内長弘を山陽に派遣して支配を広げる。
そして支配決定の段では、北畠親房が北関東の支配に成功したのに対し、尊氏は東海の支配に失敗。しかし高師直は南畿の支配に成功し、何とか最悪を免れる。そして北畿と山陽は自動的支配で、勝利得点が公家方に二点入る。さらに公家方は北条時行を出陣させるが、武家方は新田を恐れて赤松を出せない。主導権を取られた割には、公家方順調である。
第2ターン、主導権3を取った公家方は新田を北九州に移動させる。武家方は東海から小部隊で東山の北条を早めに叩くことを狙うが、公家方は顕家を動けるようにするため、まず奥羽から結城宗弘を北関東に動かさなければならない。すると武家方が今度は京に小部隊で侵入する。後醍醐帝は京を守るか、北条時行を守りながら顕家を進めるか悩んだ挙げ句、顕家の力を信じることに決めた。
これで東山、北九州、南九州が公家方支配となり、東海、京が武家方支配となる。武家方は一点もどして、公家方一点となる。そしていよいよ赤松円心出陣である。
第3ターン、主導権はまた武家方になる。顕家が迫りもはや後がない尊氏は、北畿攻めを決意する。尊氏を筆頭に東海、南畿より可能な全兵力が北畿に進軍する。守るは陣地防御の鬼、楠正成である。兵力的に正成は勝てないだろうが、かなりの損害を尊氏に与えると予想し、公家方は顕家を北陸に移動させ、北条時行や気比氏治らと北畿を再奪還する構えをとる。さらに義貞は山陽に反転し、赤松円心の調略を試みる。
そして決戦!鬼神のごとく攻め寄せる尊氏に、正成は予想に反して早々と総崩れ。公家方最後の5武将になったところに、尊氏の攻撃は5打撃!武家方に大した損害を与えられなかったばかりか、全滅して正成も討ち死にしてしまう。そして義貞も調略に失敗し、戦闘では円心に歯が立つ訳もないので撤退する。
公家方は南関東を制圧したものの、しばらく近畿には手を出せない状況になった。しかし武家にも北陸の北畠勢を倒せるほどの戦力はない。支配も両方9点ずつで動かない。均衡状態である。
さてこの状況を打開するため、武家方は足利兄弟を北畿から東海、関東へと向かわせ支配地の拡大を図るとともに、北畿は高師泰で顕家を抑え、南畿は高師直で支配を固める。一方公家方は顕家勢の戦力増強を続けると同時に、四国を支配する。
そして足利兄弟が南関東に達し、得点が武家に傾きかけ足利の即時反撃もなくなったのを見て、今をおいて時機は無しと決意した顕家が、北畿の高師泰に攻めかかる。戦力で武家が勝るものの武将能力で公家が勝り、全く互角の闘いである。能力を十分に発揮し最初は有利に戦闘を進めていた顕家だったが、師泰もさるもの、途中からだんだんと盛り返し、遂に顕家は撤退に追い込まれる。
この戦を落としたことで、公家方は大分苦しくなってしまった。しかし北陸にはまだ予備の兵力がある。まだ終わった訳ではない。
武家方は支配を広げて一気に戦争を終わらせるべく、赤松円心を北九州征伐に向かわせる。後のない公家方は戦力不足だが義貞を送って、阻止を試みる。そして戦闘では3度目にしてついに赤松円心が公家方に寝返ってしまい、公家方の大勝利に終わる。
そのまま公家方は西日本の支配を確立し、またもや戦局は均衡状態に戻る。公家方は山陽から円心が、四国から義貞が近畿を伺い緊張状態が続く。足利兄弟はこの危機に東北征伐を諦め近畿に戻ってきた。今度こそ最終決戦が近い雰囲気となってくる。
そして足利兄弟は山陽の円心に攻撃をかける。決して十分とは言えない兵力だったが、足利の威光の前に円心は一発で魅了されてしまった。(義貞の時は3回もかかったのに)
これにより公家は総崩れとなる。山陽を失うと四国の義貞だけでは戦線を支えられない。次のターンに義貞はまわりじゅうから攻撃を受け、無念の討ち死にを遂げた。
これにより北陸に唯一北畠勢を残すのみとなった公家方は、実質的な継戦能力を失い、足利の全国支配が確定することとなった。北畠顕家の最後の煌きは、その後の物語である。
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