ヒストリカルウォーシミュレーション
ウォーゲームやシミュレーションゲームの正式な呼び方として、ヒストリカルウォーシミュレーションゲームという言い方があります。この名称からわかるように、私たちのやっているゲームは、「戦争」のシミュレーションであって、「歴史」のシミュレーションではないのです。歴史はあくまで「的」に過ぎません。
戦争とは許されたあらゆる手段を使って勝利を目指すことですから、ウォーシミュレーションゲームでは、ルールで許される手段はタブーなく駆使して勝利条件を目指すのが本来のプレイと言えます。
本当の戦争で「自分の作戦は歴史的に正しいか」などと考えている将軍はいません。自分の作戦が歴史になるのが本当の戦争です。ですから当然ウォーゲームとは自分で新たな歴史を作るつもりでやるものであり、それこそが歴史的なのです。
したがって史実を持ち出して、「このプレイは歴史的に合っているか」ということばかり考えながらプレイしたり、ましてやデザイナーがルールで許可した手段を「歴史的におかしい」などと言って後付けで禁止しようとするのは、ウォーシミューレーションとは異なる邪道なプレイと言えます。(事前にローカルルールに同意しておくことや、プレイ中にゲームが続けられないようなおかしなルールが見つかり、合意してとりあえず変更するのは、この限りではありませんが。)
また背景となった状況を無視して、史実と同じ行動を取るのをヒストリカルなプレイと称するのも、全くお門違いです。
例えば南北戦争で史実のリーは常に東部でヴァージニア軍を指揮し続けました。しかし同じ南北戦争のゲームであるFor the Peopleで常にリーを東部に置いたからといって、それは必ずしもヒストリカルなプレイとは言えません。
なぜならリーがヴァージニア軍の指揮を執ることになったのは、前任指揮官ジョージョンストンの負傷という前提があったからです。元気に任務を果たしているジョージョンストンを解任して無理矢理リーに置き換え、政治的問題を起こすのも、主要な軍を2つとも東部に置いて、西部を手薄に放置するのも、現実的でなくヒストリカルなプレイとは言えません。ジョーが東部で元気なら、むしろリーが西部に行く方が歴史的なプレイでしょう。
このようにウォーゲームとは本来、歴史を追体験するためのツールではなく、歴史に近い状況で戦争を指揮している感覚を体験するゲームなのです。国際通信社の広告に「歴史を覆す決断の醍醐味」と書いてあるように、作り手側もやはり同じ考えのようです。とはいえ、この考えを他の人に強制する気は全くありません。ただ、ウォーゲーム本来のプレイをしているのに、逆にそれを非難するようなことは、絶対にやめてほしいと思うだけです。
インデックスへ