「マクレランだな。文句なしに。」
「マクレランだな。文句なしに。」
南北戦争で最高の将軍と言われたロバート・エドワーズ・リーは、最高の敵将はと聞かれ、こう答えたと言う。ジョージ・ブリントン・マクレランこそ、敗北の淵にあった北軍を救った戦争前半最大の立役者であり、当然の評価である。
しかし自分をリーに勝る大将軍と思い込んでいるのか、この言葉に異を唱える輩が多いと聞く。そのような戯言に惑わされぬよう、今一度マクレランの偉大な軌跡を確認していこう。
アンティータムの戦い。これはマクレランの為したすばらしい勝利である。しかし何をどう勘違いしたか、これを敗北などと呼ぶものがいるらしい。
どうやら彼らがそう思う根拠は、倍近い兵力で同程度の損害を受けたということのようだ。しかし戦闘とは、その結果が与える戦略的損益にのみ意味がある。「少ない兵力にしてはよくがんばった」などという、お情けのような評価には意味がないのだ。
北軍はこの戦いで何を得たか。南軍にとってこの北部侵攻は、外国の介入によって究極の目的である独立を果たす、最大のチャンスであった。しかしこの戦いにより、その野望は打ち砕かれた。
しかも開戦以来東部で連敗を続けて来た北軍は(半島戦役だけは実質的に勝利であるものの、形式的には)、これで初めて勝利を得た。それは北部の戦意を取り戻したのみならず、この戦いを持って奴隷解放が宣言され、以後南軍は永遠に外国の介入のチャンスを失った。
さらに同程度の損害を受けることは、補充余力のずっと小さい南軍に、より大きく響く。ライフルの普及とそれに対する攻撃戦術の未確立により、防御側が大きく有利となったこの時代に、マクレランは攻撃側でもってこれを成し遂げた。
一方南軍がこの戦いで得たものは何もなく、失った物ばかりである。そう、アンティータムの戦いは、北軍、つまりはマクレランによる、戦争の行方を決定づけるほどの大勝利なのだ。
しかしそれでもこの完全な勝利にけちをつけるものもいる。例えば「3本の葉巻を包んだ南軍の命令書を見つけながら、なおもたもた偵察しながら進み、分散したリーの軍を撃破し損ねた。」などと。
自分の軍の命令書くらい、いくらでも完璧な偽物を作れる。そんないかにも怪しい紙切れ一枚だけを鵜呑みにし、偵察もせずに、山の陰に隠れて見えない敵に突進するなど、それこそありえない愚挙である。
敵味方の兵力配置、どの部隊がいつどこに到着するか、しないかを完全に知った後知恵でなら、いくらでも都合のいいことを言える。しかし戦場では、敵の情報を正確に掴めないのが常であり、その位置も常に動いている。あらゆる可能性を考えて行動するのは当然のことだ。
しかももともと北軍は兵力で大きく勝っており、わざわざ危険を犯して奇襲を試み、相手に逆転のチャンスを与える必要は全くない。ここでとるべき最善の策は、命令書が本物の場合、偽物の場合の両方の可能性を考え、奇襲を受けないように慎重に進み、確実に敵主力を捉えることだ。そう、マクレランが実際に行ったように。
またある者は「3本の葉巻を拾って、単に運が良かっただけだ。」と言う。
最重要機密である作戦命令書を、将校たるものが、葉巻をくるんで落としてまう南軍。最下級の兵士さえもその重要さに気づき、命令系統を伝ってしっかりと総指令官まで届く北軍。その組織力の差は歴然としている。
これは運でも偶然でもない。全てマクレランの実力によるものだ。マクレランの作りあげた軍が、いかに優れた規律と統率を持ち、マクレランがいかに兵士たちに信頼されていたかを示しているのだ。これは他の将軍では決して及ぶことのできない領域である。
またある者は「予備を投入してあと一押しすればリーの軍を撃滅できたのに、チャンスを逃した。」と言う。
リーに勝つこと自体恐るべき能力なのに、さらに撃滅しなかったから無能だなどとは、とんでもない言いがかりだ。先述のとおり、この戦いはもし負ければ北軍にとって致命的で、絶対に勝たなければならない戦いである。敵の撃滅を目指すことなどより、確実にリーを食い止めることを優先しなければならないのだ。よけいなギャンブルをしている余裕はない。
この時北部に侵入した南軍は5万5千なのに、戦場には4万5千しかおらず、サウスマウンテンで失われた分を除いても、数千の敵がいつどこから現れるがわからない。実際A.P.ヒルの突然の来援に、バーンサイドが撃退されるという事態がすでに起きている。もし例え少数の部隊であっても、その様な事が予備を使い切った北軍の側面や背後で起こったら、北軍は一気に敗勢に陥ってしまうかもしれない。
しかも半島戦役、第2次ブルランと、別動隊による側面攻撃はリーの常套手段である。そんな状況で、確認のしようがないのに残りの敵は皆脱走したものと勝手に決めつけて、最後の予備を使い切ってしまえなどというのは、全く後知恵の結果論でしかない。最後まで予備を温存したことこそ、マクレランの万全さを示すものだ。
なお言うまでもないが、代わりに騎兵を突撃させるというのは問題外である。大きく進歩した兵器に対して、騎兵の正面突撃は自滅にしかならない。しかも騎兵は軍の目としての重要な役割がある上、失われると歩兵よりも補充が困難な、重要戦力である。すでに敗走している敵を追撃するならともかく、未だ戦列を維持している敵に突撃させて磨り潰すなど、全く戦略眼を欠いた用兵と言える。
またある者は「優勢な兵力であれば勝つのは当然だ。」と言う。
だが優勢な兵力で戦えたこと自体、すでに戦略的に優れている証拠である。この戦力差は誰が作ったのか?他の誰でもない、マクレラン自身が、半島戦役で南軍の4分の1もの兵力を撃破した上、第2次ブルラン後崩壊していたヴァージニア軍を奇跡的な速さで再建した結果である。
しかも北軍はしばらく回復不能という甘い見通しのもと、危険な北部侵攻を企てた上、戦力を分散したリーに対し、マクレランは全軍を集中して直撃し、戦力差はさらに拡大した。この戦いでマクレランは作戦的にも上回っているのだ。
さらに言えば、そもそも東部において常に北軍は優勢な兵力で戦っているのだ。それでもなおマクレランとミード以外は、ことごとくリーに敗北している。そしてミードは勝ったとはいえ防御側であり、しかもリーがその半身とも言えるトーマス・ジャクソンを失った後のことである。不利な攻撃側である上、ジャクソンまでいる完全なリーに勝つという奇跡は、マクレランしか成し遂げていない。
あのグラントでさえ、もはやジャクソンのいないリーに、倍の兵力で何度か戦闘をしかけながら、全て倍の損害を受けて撃退されているのだ。数が多ければ勝って当然、撃滅できなかったのは戦術的敗北等と言う者は、一体この戦争の何を見て言っているのか。
そしてさらには「北軍は戦力の逐次投入で各個撃破され勝利を失った。単純に全軍総突撃させればリーを撃滅できた。」などと信じられぬことを言う者までいる。
そんな素人戦術で撃滅できるような状況だったら、なぜリーは避けることもできたこの戦いをわざわざ戦い、そして失うものばかりで何も得られず退却していったのか?リーが戦いを選んだからには、北軍を撃退する自信があったはずではないか?それともリーはわざわざ自ら撃滅されることを目的として、ここで戦ったとでも言うのか?さらに各個撃破されたというなら、有利な地形に篭る南軍に攻撃し、なぜ北軍は同程度の損害ですんでいるのか?
答は明白。マクレランの戦術が優れていたということだ。リーはこの地形でなら勝てる、そしてポトマック軍を破ってさらに侵攻し、北部を席巻するのも夢ではないと思っていたが、マクレランの完璧な攻撃につけいる隙を見い出せなかったのだ。二人の名将がどんな戦術を考えていたか完全に知ることは難しいが、戦場の地図を見ればある程度予想できる。
南軍の右半分は、橋や浅瀬以外では渡河不能なアンティータム川に守られている。こんな所へ橋を通って攻め寄せても、大軍は通れず、渡河点に死体の山を築くだけだ。ここでは牽制にとどめ、南軍の守備兵力が他に引き抜かれるのを待って攻めるのが最善である。実際にマクレランはそうしたが、バーンサイドが早まって橋に突撃し、要らぬ損害を出して撃退され、結局川を越えることができたのは南軍が引き抜かれた後である。
一方南軍の左半分も、ポトマック河により侵入口は狭められており、北軍の大半を集中投入できるような広さは無い。しかもここには、有利な地形に篭るばかりでない、リーの恐ろしく巧みな布陣が施されていた。
まず中央は窪地の道を天然の塹壕として利用し、正面からでは決して崩せない防御の要とする。そして最左翼をポトマック河で守らせて、そこに突出部を作り、わざと中央と左翼の間に、底に穴の空いた凹部分を作っているのだ。
もしこの凹部分や中央に何も考えず突撃させていたらどうなっていたか?ダンカー教会からの砲撃と左右からの十字射撃を受けて前進は妨げられ、やっと中央や左翼にたどりついて交戦を始めると、空けてあった隙間からやってきた南軍予備に側面を突かれ、北軍が密集して突撃していればいるほど、雪崩的大潰走になるという仕組みだ。
実際にも早まった北軍軍団長サムナーが師団をここに送ってしまい、南軍予備部隊に側面を突かれて潰走している。師団程度で密集していなかったため、限定的な被害に留まったが、リーは大物が釣れなくてさぞ残念だったことだろう。
第2次ブルランやチャンセラーズビルで証明されているように、側面攻撃の威力は絶大なのである。戦闘では最大限それに注意を払わなければならない。またフレデリクスバーグで証明されているように、戦力差があったとしても、相手の陣地への正面攻撃は多大な損害を被ることになる。
ではこのリーの布陣に対する最善の攻撃方法は?もうお分かりだろう。マクレランがやった通りである。
最初の状態で罠にはまらず攻撃できる場所は、南軍左翼の突出部前面1ヶ所しかない。まずここを正面から攻め、完全に拘束して側面に対応する余裕を失わせたら、次の軍団をやや内側に送り込む。こうして突出部を押し潰していくと、南軍は側面を突くことができず、戦線を支えるために右翼から兵力を引き抜かざるを得なくなる。そうしたらその薄くなった所を左翼で攻撃し、安全に川を渡る。
ここまできたらいよいよ南軍中央にある天然の要塞「窪地の道」を攻めるのである。正面から攻撃してもただの自殺行為にしかならないが、南軍が予備を使い果たし、右翼が拘束されて側面を晒している今なら、そこに回り込んで最強の砦を崩すことができるのだ。
なお予備の軍団は、先に述べた通りあくまで安全な勝利を優先して使う。実戦では、北軍の最右翼にいた第1軍団が指揮官の負傷で後退しており、そこに穴が空いてしまっていた。ここを放置すれば、そこからジャクソンが突破し、川を背にして退路の無い北軍右半分が包囲され壊滅しうる危険な状態だった。そんな袋の中へさらにわざわざ予備の軍団まで入れて差し出して、どちらが先に崩壊するかのギャンブルをするなど、無謀の極みである。マクレランは冷静に穴を塞ぎ、確実な勝利を選んだ。これによりリーの最後の希望もついえたのだ。
恐るべしマクレラン、そしてリーも。天才同士の闘いは、一見拍子抜けするくらい緩慢に見えることがある。しかしその裏には、形には現れない激しい知略の衝突が隠れている事に気づかなければならない。
次にアンティータムの勝利の原動力となった半島戦役。戦争素人たちの「リッチモンドへ行け!」という愚かな圧力によって、現状では取れるはずもないリッチモンド前面まで仕方なく進んだが、もちろん無意味な出血ばかりで何も得られないのが目に見えている首都要塞攻撃など、マクレランの眼中にはない。ここで芸術的戦術により南軍に次々と損害を与え、苦境にあった戦争情勢全体を好転させていったのだ。
まず自軍の損害を出すことなく一歩一歩着実に首都に進むことで、相手を不安に陥れる高等な心理戦術。後に西部で巧みな防御戦を展開し、名将とうたわれたジョージョンストンも、マクレランの前ではひよこ同然。すっかり術中にはまり、無理な反撃をして多くの損害を受け撃退されたばかりか、自らも重傷を負うはめとなる。
マクレランの芸術はさらに続く。首都をつく構えを見せれば、南軍も無視はできない。その上で敵主力をおびき寄せ、隙を見せては攻撃を誘い、引くと見せては攻撃を誘う。これによって形式的には攻撃側でありながら、戦術的には巧みに防御側となり、より多くの損害を敵に強いていく。
しかも相手は、勝手に突撃してくれるバーンサイドやフッドのような猪将軍ではない。あのリーである。それを手玉に取っているのだ。神業としか言い様がない。そしてそれは10万の軍を海上輸送で敵の首都の目の前に上陸させ、さらに補給を確保するという、他の誰にもできない離れ技と同時に行われているのだ。神の上にも神の業である。
この神業に対してもまず「数で勝っていたのだから、リッチモンドは取れたはずだ。」などと全く正気を欠いた批判をする者がいる。
戦争中何度も北軍は数に勝る軍を持ってリッチモンド攻略を目指したが、だれ一人直接攻撃では取れていない。あのグラントでさえ南軍5万に対して北軍10万もの兵で攻めたが(クレイグ・シモンズによる、以下同じ)、結局攻め落とせなかった。それも封鎖の効果で南軍は物資が絶望的なまでに不足し、士気が下がりきっていた末期なのにである。
ところが半島戦役時は、最初南軍5万6千に対して北軍7万、その後も8万に対して10万しかなく、南軍は緒戦で北軍を破り士気は最高の時期である。これのどこをどうひっくり返したら、リッチモンドは取れたなどという結論が出るのだろう。
しかもさらにおかしなことに、マクレランが半島戦役で失敗したと言っておきながら、「封鎖で南部を締め付けるアナコンダプランは、北軍唯一最高の戦略だ」と言っている人物は珍しくない。半島で早々リッチモンドを落とせると言うのなら、何年もかかるアナコンダより、そちらの方が明らかに勝る戦略ではないか。
他にも「半島戦役最後のマルヴァーンヒルの戦いで勝ったのは、部下の戦闘指揮が良かったせいだ。」と勘違いするものがいる。
この戦いはマクレランがリーを心理的に追い詰め、攻撃せずにはいられないようにした上で、丘の上に大量の砲列を整えた時点で、既に勝負がついている。マクレランが直接指揮をしたかどうかは問題ではなく、この勝利は完全にマクレランのものである。
そして最もよく見かける不当評価が「マクレランは敵を過大評価して、臆病で慎重すぎ、攻撃を恐れる。」というものだ。
その答は「この時代はナポレオン時代に比べて兵器が進歩したのに、多くの将軍はこれを理解せず、いたずらに無謀な突撃を繰り返し多大な損害を受けた。」ということだが、ひどい場合には同じ人物がこれを両方言って平然としている。
マクレランは敵を過大評価しているのではなく、防御効果まで含めた適切な兵力評価をしたに過ぎない。この早い時期からライフルの威力を的確に見抜いた数少ない将軍なのだ。
そしてただでさえ防御側が有利なのに、さらに首都要塞を力攻めしようとするなら、少なくとも敵の3倍は必要となるだろう。半島戦役に参加した南軍の総数が約9万であるから、27万が必要ということになる。これは実際にマクレランが、リッチモンド攻略に必要な兵力としてリンカーンに示した数字だという話もあり、いかに適切な見積もりだったかが分かる。
アンティータムでは1日当たりで戦争中最大の損害を敵に与え、半島での七日戦争でもゲティスバーグに次ぐ大きな損害を敵に与えた強い将軍が、臆病なわけがない。
さてここまで読んで来た人の中には、次のような疑問を持つ人がいるかも知れない。「マクレランが優れた将軍だとすれば、同じリーに対して正反対の戦い方をしたグラントは、無能ということにならないのか?」
これに対する答はもちろん「どちらも優れている」だ。兵力差が既に圧倒的になっている末期と、マクレランが敗北の瀬戸際から北軍を救った初期とでは、状況が全く違う。おそらくこれこそマクレランが低く評価されやすい最大の理由ではないだろうか。素人には戦略的状況の違いなど解るはずもなく、グラント神話によって、グラントと正反対の戦い方をする将軍は最低という単純な発想がされたのだろう。
もちろん弱い敵が相手の場合や、勝利が時間の問題となっている末期には、自軍の損害を抑えることより、とにかく前進して敵に損害を与え、より早く降伏させることが優先される。しかし戦争の勝敗自体を争っている最中であり、むしろ南軍有利と思われていた初期に、リーという最強の敵と戦うには、絶対に「負けない」こと、つまり自分より多くの損害を相手に与えることを優先しなければならない。
そう、二人とも自分の置かれた状況に合った最善の戦略をとっただけなのだ。ただ、負けてもひたすら前進を続けることに比べると、味方の損失を抑え、より多くの損失を敵に与えることは、遥かに高度な能力である。この点を考えれば、リーがマクレランを最高の将軍と賞したのは至極当然のことだと分かる。
さあ、今ならあなたももう迷わず答えられるようになっただろう。
「北軍で最高の将軍は?」
「マクレランだな!文句なしに!」
注 万一これでもなおリー将軍の言葉に異論がある者がいたとしても、私は反論を受け付けない。あの世に行ってから、リー将軍に言うように。
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